カサンドラたちは、お祖母様の後ろについて、奥の食堂へと向かった。
所々、ロウソクではない淡い光が灯る廊下を抜けると。いつもの食卓には、分厚い肉や艶やかなソースのかかった料理が並んでいた。
「お祖母様、なんて素敵なお料理……」
「ドラお嬢様、すっごく美味しそうですっ」
「うわぁ、うまそうだな」
カーシン国からの帰り道。ミルンのパン屋でたらふく食べたはずの、カサンドラたちの喉が、思わず鳴る。
(……でも。私たちが食堂に入ったとき――黒い影のようなものが、サッと消えたような気がしたの。……気のせい?)
ちら、と食堂の隅を見渡したカサンドラに、お祖母様はふっと、鼻を鳴らした。
「まったく怖がりな子だねぇ……さあ、遠慮せず食べなさい。それとね、話を始める前に、カサンドラに渡すものがあるんだよ」
お祖母様がテーブルを軽く叩くと、カサンドラの前に真っ白な箱が現れた。
「これは……王族しか使えない、手紙箱……!」
それは、贈り主と受取人が魔力を込めなければ、開けられない魔導具。
ここ、デュオン王国では多くの国民が魔力を持って生まれ、五歳になると大聖堂で魔力の測定を受ける。測定結果は魔術省に登録され、その力は就職や身分、さらには人生をも左右する。
(私は確か「青色」だった。妹のシャリィの色は知らないけれど、私の方が魔力量は多かったはず)
手紙箱に手を添えると、差出人の魔力が反応して箱が淡く光る。そこに刻まれた名――
「……アサルト皇太子殿下?」
(私と婚約を破棄した、あの殿下が……今さら何の用? 妹との婚約が決まったのかしら)
箱に魔力を流すと、真っ白な封筒が姿を現した。封蝋には確かに、皇太子の印章。手を伸ばそうとした、その時だった――
「カサンドラ、その封筒に触ってはなりません」
「ドラ、手を引っ込めろ!」
「え……?」
突然、お祖母様とアオ君が声を荒げた。慌てたアオ君はカサンドラの手をとり、封筒から遠ざける。
「アオ君……? お祖母様、どういうことなの……?」
「この香り……ドルドル草の匂いだ」
「ほう、若いのによく知ってるね。カサンドラ、よく聞きな。ドルドル草は“毒草”なんだよ」
「ど、毒草……!?」
「ドラお嬢様⁉︎」
「安心なさい。毒性はそれほど強くない。もし、触れたとしても、私が持っている薬草石鹸で洗えば問題ない」
「それでも、毒は毒です。触らない方がいい」
二人の声が重なる中、カサンドラの心拍が高鳴った。
(まさか……こんなことが……)
あの舞踏会の庭園で見た、前世の記憶。
大聖女マリアンヌ様に誓い、今世のカサンドラはシャリィの邪魔をしないと決めた。にもかかわらず――
(それなのに、どうして? なぜ、アサルト皇太子殿下が私を……。それに、この香り……)
この香りを、カサンドラは知っていた。
「お祖母様、アオ君。この香り……私の妹、シャリィが好んで使っている、香水の香りですわ」
アオ君と、お祖母様の目が大きく見開かれる。
「なに、シャリィのお気に入りの香水なのかい? おや、おや――カサンドラは前にもこの毒を盛られていた? おや、カサンドラには毒耐性があるようだ。だからか、この毒が変に作用したようだ」
「私に毒耐性? 毒が変に作用した?」
カサンドラは.思い当たることがあった。
「あの、お祖母様……。いくら食事を減らしても、運動しても、家族と食べると太ってしまう。……もしかして、それもこの毒の作用?」
「なんと……! 食べれば太る毒……ハハ、面白い作用だね。きちんと調べる必要はあるが……君の言う通りかもしれないね」
その言葉に、カサンドラの思考が静かに繋がっていく。
『お姉様もご一緒に、新しいお茶っぱを……』
『お姉様、可愛いケーキを見つけたんです』
『お姉様、クッキーを焼いたのでテラスで……』
それらすべてに、同じ香りがあった。
「じゃあ……シャリィは私を毒で殺そうと……? それとも、何か別の目的があって?」
震える声で呟くカサンドラの頬を、涙が伝った。
(私は……何もしていないのに)
――断頭台の上で最後に見た、妹の、あの扇越しの歪んだ笑み。
「わ、私はいつも……妹に嫌われるのね……」
その言葉とともに涙を流すカサンドラを、シュシュとアオ君が近寄り、そっと抱きしめる。
「ドラお嬢様には、ずっと私がいますから」
「オ、オレも……ずっと、いる」
「ありがとう……シュシュ、アオ君」
お祖母様は、カサンドラの涙が止まるのを、黙って待ってくれていた。やがて、カサンドラの呼吸が落ち着いたのを見て、再び口を開いた。
「カサンドラ、毒はすべて取り除いたよ。もう、この手紙に触れても問題ない。……もし嫌なら、私が代わりに読むかい?」
「いいえ、お祖母様。……自分で読みますわ」
カサンドラはゆっくりと手を伸ばし、封蝋を切る。中には――三ヶ月後、王城の広間で開かれる舞踏会への招待状。
それは、アサルト皇太子と公爵令嬢シャリィの婚約を祝う宴で。手紙の差出人はアサルト殿下ではなく、妹、シャリィだった。