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第6話 お札

「ただいま〜!」


門音がドタドタと駆け込んできて、勢いよく私の腰に抱きついてきた。


「お姉ちゃん、どこに行ってたの?」


「図書館!」


「えっ、図書館!? なんで〜?」


門音が眉をひそめながら、私の顔を覗き込んでくる。


「コレラについて調べてたの!」


廊下から足音がして、母が小走りでリビングに現れた。


「鈴、なんでそんなことを……」


その声には、少しだけ焦りがにじんでいた。

私は母の表情をきょとんと見上げる。


「え、だって……昨日の夜に話してたでしょ?」


母はしばらく黙り込んだあと、息を吐いていつもの優しい顔に戻った。

そして私の肩に手を置いて、やさしく、でもまっすぐ目を見て言った。


「いい? 昨日の話は、誰にも言っちゃダメよ?」


母の手が私の肩をぎゅっと強く握る。


「鈴の欲しがってたポーチ、買ってあげるから……」


「え、ほんと!? いいの?」


「約束、できる?」


「うん、ぜったい言わない!」


私はえりなちゃんに話したことなんてすっかり忘れて、母と小指をからめた。


「お姉ちゃんだけずるい〜!門音もほしい!」


門音がその場でじたばた足を踏み鳴らして、唇をとがらせる。


「はいはい、門音にも買ってあげるわよ。

その代わり、お手伝いしてね?」


「うん!!」


私と門音は声をそろえて返事をした。

お皿を並べたり、お米をよそったり――小さな手で、できることを頑張った。




「ただいま〜!」


玄関から父の声がして、門音が飛び出していった。


「お父さん! お父さん!」


「お、いい子にしてたか?」


「してたー! いっぱいお手伝いしたの!」


「それはご褒美の……なでなでだっ!」


「くすぐったい〜!」


門音がくすぐったそうに笑っているのを、私はキッチンの端からこっそり眺めていた。



夕食を食べ終えた頃、父がカバンから何かを取り出した。


「母さん、昨日の件な……知人から紹介してもらって、これを買ってきた」


父の手には、薄茶色の和紙に筆文字が書かれた——お札が、4枚。


「あなた、お札って効果あるんですか?」


「有名な神社のお札だから、きっと大丈夫だ」


父の声はいつも通りだったけど、その手の動きはどこか慎重で、そっと、お札を置く様子が記憶に残っている。



そのあと、両親は無言で家の中を歩きながら、お札を貼っていった。

玄関、トイレ、写真を撮ったリビング、そして……クローゼットのある部屋。


「よし……とりあえず、これで様子を見よう」


「何も起きなければ、それでいいんですけど……」


2人の背中を、私はテレビを見ながら横目で追っていた。

何かが終わったような、でも……終わってないような。

そんな空気だった。



あれから1週間。

写真に白い玉が写ることもなくなって、門音も寝言を言わなくなった。


まるで、何もなかったかのように、私たちは普通の暮らしに戻った。


ただ——


その頃、上の階のえりなちゃんが、突然入院した。


理由は、よくわからないらしい。

ただ、えりなちゃんのお母さんが小さな声で言っていた。


「お腹が痛いって言ってたの……」

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