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第5話 律

 夜も更けた帰り道、僕は思い悩んでいた。


「颯斗を連れてくる」と言ったものの連絡先が分かるわけではないし、何とか訪ねて行ったとしても恭介に会ってくれるかなんて分からない。

きっと断られる可能性の方が高いだろう。


 空には星が少し見えた。

故郷の黒神村は、民家だって少なかったからきっともっとたくさんの星が見えたはずなのに、あまり覚えていない。

あの村では色々なことがあって心が摩耗していたから、所々記憶が飛んでいる。別に思い出したいことなんてほとんどないはずだけど。


 ふと、どこかからギターの音が聞こえてきた。路上ミュージシャンだろうか、そう思って意識をそちらに向けた瞬間、聞こえてきた歌声に全身が粟立つ。


その声。何度も側で聞いた、柔らかくて少し高めで繊細でどこか切なくて。


 思わず歌声の方へ駆け出していた。

人々の影の向こうにギターを抱えた、髪を茶色に染めてグレーのジャケットを着た青年の姿が見える。


 曲が終わった。

彼が僕の目の前で顔を上げる。


二重のくっきりした目、口角の上がった口元、意志の強そうな濃い眉、その面差しは

とても恭介に似ていた。


凍り付いたまま動けずにいると彼と目が合った。

気まずくて、ごまかすように拍手をする。


ギターケースの中には「律」と書かれたプレートが立てられていた。QRコード付きSNSアカウントらしきものも小さく書かれている。


「えっと、すごくよかったです」


そんな平凡なコメントしか口から出てこない。


「えー、ありがとうございます!そうだ、俺、律って名前で活動してるんでよかったらフォローお願いします」


「あ……はい」


 とりあえずQRコードからアプリを開いてフォローしてみた。

ギターを弾いている姿などが投稿されている。

 写真で見る彼はより恭介に似ていた。

表情や姿勢がちょうどそれっぽくなっていたからかもしれない。


「あとCDもよかったらどうぞ」


手作りらしいCDはとても簡素なものだった。真っ黒な中に「律」という文字が書かれているだけだし、どういったジャンルの音楽なのかイメージしづらい。


「じゃあ二枚ください」


二枚にしたのは瀬尾さんにも聴いてもらおうと思ったからだ。


「えっ二枚も!?ありがとうございます!」


 律は大げさに何度も頭を下げると荷物を片付け始めた。気づけば周りから人はいなくなっていて、僕と律だけが取り残されたようになっている。


 律は恭介そっくりの目で僕を見て照れたように笑った。


 似ているというだけで何の根拠もないのに僕の直感は、二人が他人ではないことを告げていた。

だけど、だとしたら。僕は以前にも律に会っているはずだ。そう、あの村で。


「あの。もう音楽歴は長いんですか」


 律の素性を知りたかったけれど何を聞けばいいのか分からなくてそんなどうでもいい質問をする。


「うーん、ずっとミュージシャンにはなりたかったんですけどやっと先月ギターを買えて活動を始められるようになったって感じです。でもやっぱりなかなか聴いてもらえないですね……。そろそろ心が折れそうになってたんですけど今日は会えてよかった。本当ありがとうございます。まじで感謝です」


律は幸い無口なタイプではないようだ。


「いえ、応援してるので頑張ってください」


「ありがとうございます!じゃあまた」


 ひとしきりしゃべり終わると律は去っていった。


 SNSはフォローしたので、DMで連絡をとることはできる。

とはいってもどういう文面を送ればいいのか分からないけれど。


 ふと、アスファルトの上に黒い鞄が置かれているのに気づいた。

中には数枚のCDや財布などが入っている。律が忘れていったようだ。


 幸いスマホは入っていない。それだけは持って行ったのだろう。

とりあえずDMで連絡してみることにした。フォローしておいてよかった。


『こんばんは、CDを買わせていただいた者です。さっきライブをされていた場所に鞄を忘れていますよ』


しかししばらく経っても既読にはならない。


僕は途方に暮れた。


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