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第7話 ノア


僕が昨日の場所に着いた時には、律はすでに来ていて所在ない様子で辺りを見回していた。


「すみません。お待たせしました」


鞄を差し出しながら声をかけると、律はまたしても大げさに頭を下げて言った。


「本っ当にすみません!そうだ何かおごりますよ。わざわざ来てもらったんだし」


「いや、別にそれは」


断ろうとしたが、もしかしたら律の事を色々知るチャンスなのかもしれない。


「えっと、じゃあお願いします」


お願いしますはおかしい気がしたが、律は親指を立てて

「OK!」

と言った。


なんだかその仕草も恭介と似ていてやたらどぎまぎしてしまい、ごまかすために僕は空を見上げた。


          *


僕と律は有名なチェーン店のカフェにたどり着いたが、何を話せばいいのかよく分からなくて視線を泳がせる。


「まだちゃんと名前言ってなかったですね。松原啓一郎です。よろしくお願いします」


「あ、柏木颯斗です」


改めてお互いに名乗りあう。律の名前は予想通りのもので、鼓動が速くなるのを感じた。

律は僕の名前を聞くと一瞬不思議そうな顔をしたが、


「よろしくお願いします」


とだけ言って小さく頭を下げた。何だか律には愛嬌がある気がする(ちなみに僕には全くない事は分かっている)。


迷ったが後で分かってしまうと面倒なので、最初から本名を伝えておく方がいいだろう。


「あ、呼び方は『律』でいいですよ。本名、好きじゃないんで」


律がどこか陰のある笑みを見せる。やはり自分のルーツを嫌っているのかもしれない。


「僕も本名好きじゃないし『ノア』でいいですよ」


 律と同じように実際に僕も自分の本名が好きではないが、これは律と恭介、そして僕が三人で会った時のためだ。恭介に僕の本名は聞かせたくない。


「ノア」というのは恭介が作ったAIの名前だ。

僕よりもずっと賢くて恭介をがっかりさせることもない。


「ノア?ケイじゃなくて?」


 律が首を傾げる。そういえばSNSのアカウント名は「kei」にしていたのだった。でも、律に「ケイ」と呼ばれるのは抵抗がある。そんな風に呼ぶのは恭介だけで十分だ。


「一瞬音楽をやっていた時の名前で、今でもあだ名みたいなものなので」


 くだらない嘘をつきながら律の顔を見ると、彼は途端に目を輝かせた。


「え、音楽やってたんですか!?何系ですか!?」


「時々ギターを弾いてただけです。でも下手すぎてすぐにやめたので律さんみたいには弾けないですよ」


 これは本当だ。恭介みたいになりたくて、彼のギターを借りて練習していたことがある。

どうやら僕には音楽の才能は皆無みたいですぐに諦めてしまったけれど。


「えー、俺もそんなにうまくないですよ」


 そう言いながら律はまんざらでもなさそうな顔をした。


 実際律のギターがうまいのか下手なのかはよく分からない。でも歌はとても好きだと思った。ただ、それは歌声が恭介に似ていたからなのかもしれない。


「そうだ、よかったら音楽が好き同士で友達になりませんか⁉あ、ノアさんって何歳ですか?俺は19なんだけど一緒くらいかな?」


 急にそんなことを言い出す律に苦笑が漏れる。距離感が若干近すぎるタイプなのかもしれない。

そして律が僕と同い年なのは最初から分かっていた。

恭介の子供と僕はほぼ同時期に生まれている。


「僕も19なので同い年ですね」


「えー!偶然ですね!じゃあため口でいいよな」


人懐っこい笑顔。腹が立つほど恭介に似ている。


 律は元々しゃべるのが好きなようで色々な事を話してくれた。


 もっと音楽に打ち込みたいがなかなかそうもいかない事。

 生まれたのはものすごい田舎で迷信を信じている人がたくさんいる事。

星は綺麗だけど、それ以外は特に何もない事。


 僕の故郷でもあるから知ってはいるが、適当に相槌を打っておいた。


「なんとかプロデビューしたいんだけど今のままでは難しそうだな……」


眉を下げて本当に悲しそうな顔になる律に、


『瀬尾さんを紹介しようか?』


なんてつい言いかけて止めた。


 瀬尾さんの友達には音楽系の芸能事務所を経営している人もいたはずだからデビューの助けにはなってくれそうだけど、まだ今の時点では二人を結び付けない方がいい。


ちゃんと律が恭介と血がつながっていると確定してからでないとややこしい事になりそうだ。


そうだ、そのためには写真を撮っておかなければ。

SNSに投稿されていた写真は多少の加工はされているみたいだったから、もっと鮮明な写真が必要だ。


でもいきなり記念撮影をしましょうなんておかしい。

もっと律の大ファンになったふりをしておけば切り出しやすかったのに、と後悔した。


「あのさ、なんか言いづらいんだけど」


律が口ごもる。

何か僕に不審な点でもあっただろうか。


そんな不安をよそに、律は言った。


「実は来週の日曜日にライブがあって。来てくれると嬉しいんだけど」


「……ああ、いいよ」


少しでも律にたくさん接触する方が写真を撮るチャンスも生まれやすいだろう。


「本当⁉うわーありがとう!俺こっちにあんまり友達いなくて困ってたんだよね。チケット代は3000円だけどいい?」


急に元気になった律がなんだか面白くて、3000円が高いのか安いのかもあまり分からずに頷いていた。


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