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沈みかけた夕陽が黒っぽい海を照らし、「儀式」のために灯されたかがり火が木々や家々の長い影を形作る。
電車とバス、更に連絡船を乗り継いでようやくたどり着いた「龍の島」は、記憶の中にあったような陰鬱でおどろおどろしいものではなくただの寂しげな空気を湛えた田舎の集落に見えた。
それでも行きかう人々の視線が時折突き刺さるのを感じる。
久しぶりに島を訪れた本家の長男をどう思っているのか僕には分からないが、その視線はあまり好意的な物には見えなかった。
最もどちらかと言えばその同行者に不審な目を向けているのかもしれないが。
「本当に何もないところだよな」
隣を歩く律がわざとらしくため息をつく。
なぜか律がどうしても僕と一緒にこの島に行きたいと言い出したせいで、今二人でここにいるのだが、今日は「龍の儀式」が行われる日だ。
松原家の新しい当主に龍の力を宿すとされる重要な儀式だったはずだが、部外者がいていいものなんだろうか。
「俺、嫌いなんだよね。こういう田舎」
「別に僕も好きではないよ」
恭介もこの環境には馴染めなかったみたいだし、やっぱり親子だから考え方は似ているのかもしれない。
もちろんこの島が心から好きだと言える人物なんて死んだ父と祖父くらいのものだろうけど。
律とたわいもない話を続けながら塗装もされていない道を歩いていると、黒っぽい日本家屋が見えてきた。
僕が育った松原家の屋敷だ。
松原本家は丘の上にあり、屋敷の裏からは海を見渡せる崖の上に出る山道が続いている。
その崖の上にあるのが「龍の祠」で、今日儀式が行われるのもその場所だ。
屋敷に近づくにつれ、忘れたはずの記憶が断片的によみがえる。
血の臭い、雨の音、腕に食い込む縄の感触、そして。
「ノア?」
ぼんやりしていた僕を不審に思ったのか、律が軽く袖を引っ張る。
「ああ、ごめん。行こう」
答えた僕に、律はどこか心配そうに眉根を寄せた。
恭介にはない繊細で不安げな表情が形作られる。
よく似ているとは思っていたけどやっぱり律は律だ。
あたりまえだけど。
☆
どこか遠くを見るようなノアの横顔がまたしても消えてしまいそうで、なんだか怖くて自分の手の中にあるペンダントを握りしめた。
『これ、覚えてる?』
そう尋ねたくて決心がつかなかった。
「彼」とお揃いだったこのペンダントの存在は正直最近まで忘れていた。
それなのに一旦思い出し始めると回想は止まらなくて、苦しくなるくらいに様々なことが呼び起こされてしまう。
一か月前にノアのアパートに遊びに行った日。
つまずいてひっくり返してしまった段ボール箱の中から見覚えのあるペンダントが転がり出てきて、アパートから帰った後、俺はいても経ってもいられなくて自室を探してみた。
案の定引き出しの奥にそれは眠っていた。
遠い記憶の中にあるよりも幾分か古びていたけれど、その鈍い銀色の光は当時の少し冷たい風のにおいをよみがえらせて、俺はその時思わず唇を噛んでいた。
ノアはもうあの日のことなんて忘れているだろうか。
俺が一方的に引きずっているだけなのかな。
目の前に立ちふさがる松原家の重々しい門を眺めながら晴れない気持ちを抱えて、ただノアの影に視線を落とした。