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第4話 故郷(2)


 黒い木材で造られた松原家の門はまるで僕を拒絶するようにそこに存在していた。


 恐る恐る足を踏み入れると、綺麗に刈り込まれた松の木と今はまだ花の咲いていないつつじが広がっていた。

 そんな整然とした庭の中に佇む一つだけ異質なものが目に入り、思わず身を固くした。

 小屋というにはしっかりとした造りだが人が住むには粗末すぎるような建物が庭の片隅に見える。


 僕が確か五歳くらいの時に亡くなってしまった、松原洸一郎の先妻だった松原風香が暮らしていた場所だ。


 最低限の設備はあったようだが空調などはなく、彼女はいつも体調を崩していたように思う。

そんな環境のせいで風邪をこじらせたか何かである日起き上がってこなくなり、二度と僕と目を合わせることもなかった。


 彼女の事は好きだった、と思う。

でも、彼女は僕のことなんて憎むべき松原家の一員だとしか思っていなかった。それが、ついに証明されてしまった事実。


 それにしてもどうして未だにこんなものを残しているんだろう。

さっさと取り壊せばいいのに。


 なるべくその粗末な建物を視界に入れないように目を逸らしながら歩みを進める。

律もどこか落ち着かない様子できょろきょろと視線を動かしていた。



 黒光りする玄関の向こうには、よそよそしい空間が広がっていた。

出迎えるために現れたお手伝いさんらしい40代くらいの女性がこちらを見て目を丸くする。


「あの、そちらの方は?」


「友達の柏木颯斗。……急に連れてきてごめん」

「わたくしは構わないのですが……。奥様や郁哉さまが何とおっしゃるか」


 彼女は困ったように立ち尽くしてしまった。


「あらあら。お久しぶりねお兄様。お父様の葬儀の時以来かしら?」


 背中を丸めた彼女の背後から、嘲るような声が降ってきて眉を顰める。


 現れたのは僕の血のつながった妹に当たる一歳年下の松原家長女、松原実里だった。

実里の斜め後ろからは母の松原鞠子も冷たい視線を送っている。


 大きな目とふっくらとした唇を持ち、どちらかと言えば愛らしい雰囲気の彼女は、背中の真ん中まで伸ばした真っ黒な髪以外はさほど僕には似ていない。

母方の祖母によく似ていると、母の松原鞠子が話していたような気はする。


「その方は大学のお友達?ずいぶん仲がよさそうね」


「そういうわけじゃないけど」


 実里が面白がるような顔で僕と律を見比べる一方、鞠子はこちらを睨みつけると怒声を上げた。


「全く!今日は大切な儀式なのよ⁉どうして部外者を連れてくるの!そこのあなたね、啓一郎がなんて言ったのか知らないけど早く出て行きなさい!」



「はあ?別にいいだろ。儀式がそんなに重要なわけ?」


 律が両手をポケットに突っ込んで首を傾げた。瀬尾さんに注意された時の恭介に似ているな、とそんな場合ではないのにどうでもいい事を考えてしまった。


「あなたねえ!いい加減にしてちょうだい」


 鞠子が律を殴るように手を振りあげる。

止めた方がいいだろうかと思っているとお手伝いさんの女性がおずおずと口を開いた。


「あのぅ、奥様。すでに結界は張り終えてありますし、今からどなたかが島から出てしまうとそれが壊れてしまいます……。その後で再度結界を張るとなると今夜の満月には間に合いませんので儀式を来月に延期しなければならなくなってしまいますが……」


「龍の儀式」は、満月の夜に行わなければならないということは僕も覚えている。

確かに来月まで当主が決まらないのは困るかもしれない。


 やはり部外者がいるのは良くなかったな、と心の中でため息をついた。

律が何と言っても断ればよかったのかもしれない。


「全くこんなことになるなんて!啓一郎、あなた松原家を何だと思っているの⁉」


「お兄様は自分が当主になれないから投げやりなんでしょうよ。もう少しこの島の事も考えていただきたいわ」


 そういえば。当主になるのは実里か郁哉のはずだが結局どちらになったんだろう。


 そう思っているとどこか荒々しい足音が聞こえ、僕は思わず身をすくめた。

僕とよく似た、内面の冷酷さを映し出しているような目がこちらを見る。


「ああ、さすがに今回は来たんだな、啓一郎サマ」


 金髪に染めている僕とは違って真っ黒なままの髪を耳に少しかかるくらいの長さに切りそろえた男―郁哉は吐き捨てるようにそう言うと、腕組みをして壁にもたれた。


 郁哉は僕の父の弟と、その従姉妹の間に生まれた人物で僕にとっては同い年の従兄弟に当たる。だから外見も僕とよく似ているのは当然だが、本人はそれに気づいていないだろう。


「お前、父さんと母さんの葬式にも来なかっただろ。どうせ馬鹿にしてるんだろうが次期当主の俺の方がお前より立場は上なんだからな。くれぐれもわきまえるようにな」


 同い年だとは思えないほど古臭い事を言う郁哉に、会ったばかりなのに辟易してしまう。

でも、確かに葬式にも行かないのは良くない事ではあるな、とは思った。


そして次期当主は郁哉ということになったようだ。

「……うるさいな」


 不意に律が郁哉を睨みつけると吐き捨てた。


「こんな家の当主の何が偉いんだか。俺に言わせればごみだね」


「……は?」


 郁哉の顔色が変わり、律につかみかかりそうになる。

僕は一旦二人の間に割り込もうとした。


「いい加減にして、郁哉」


実里の冷たい声が三人の動きを止めた。


「お兄様もお兄様よ。普段からしっかりしていないから郁哉がつけあがるの。そうよねお母さま」


「本当にそうね。髪を染めている暇があったら長男としての自覚を持ってちょうだい。……全く、私はあなたを当主にしたかったのに、きっと普段の心掛けが悪いから郁哉になってしまったのよ。反省しなさい」


 それはあまりにも残酷な言葉だと僕はぼんやり思った。


「とにかくこうなった以上は仕方ないわ。あなたもこの屋敷に足を踏み入れてしまったからには一緒に「龍の祠」へ行っていただきます。いいわね」


 屋敷に足を踏み入れるだけでだめなのか。

何か理由―おそらく龍の気か何かが体内に入り込んでしまうから、みたいな馬鹿馬鹿しいもの―があるのだろう。儀式に興味がなかった僕は全く覚えてないけれど。


 と、いうことはお手伝いさん(と呼んでいるが龍の使いの助手みたいな位置づけなのかもしれない)も祠へは行かなければならないのか。


「くれぐれも儀式に使う水瓶には触らないでちょうだい。あれは特に一族の人間しか触ってはいけないのよ。どうせ啓一郎からは何も聞いていないでしょうけど」

鞠子は小さい子供に言い聞かせるように腰に手を当ててそう言った。


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