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第三十八話 一ノ谷の戦①

 僕はこの日夢を見た。

 深く、長い夢である。



 ……時は西暦一一八四年二月七日、平安時代末期 …… 場所は、一ノ谷。


 治承・寿永の乱……後に源平合戦と呼ばれる戦の緒戦ともされるこの戦いで、献上鉄壁、難攻不落とも言われた一ノ谷に構える平家の陣は、一人の武将の奇策によって落とされたのだ。


 その武将の名は ― 源義経みなもとのよしつねである。






 北には屏風を立てたように切り立つ崖が聳えたち、南には広い瀬戸の内海が広がるここ……一ノ谷は、そう簡単に落とされるはずがなかった。

 南北を自然の盾とするこの要塞の、その東西を守り固めるが如く、一ノ谷の西側には敦盛と忠度ただのりが、山の手には教経のりつね通盛みちもりが守る。

 そして東側、大手軍を迎え撃つ生田森には、私(知盛)と弟の重衡しげひらの軍勢が構えており、絶対堅固の要塞は更に攻め落とすのが困難を極めるだろうと、皆がそのように思っていた。




 ……だが、戦とは、時に無慈悲である。





「新中納言殿!……西の方をご覧下さい。……一ノ谷は、もう落ちてございます」

「……っ!」



 生田森で源範頼みなもとののりより率いる大手軍と対峙している我が軍は、苛烈な戦を繰り広げた。だが、その言葉に西の方を振りむくと、本陣は火炎で赤く燃え、煙が黒々と空へと昇りゆくところであった。

 ……本陣は、落とされたのである。



「一ノ谷は……西側から……落とされたとでもいうのか………」



 それが、一ノ谷を見た時の、率直な私の感想であった。生田森は、まだ、負けてはいない。だが、別の使いの者によくよく話を聞くと、落とされたのは西側からではなく、であるという。つまり……あの断崖絶壁から奇襲されたということ。



 信じられない思いで一ノ谷が燃えゆく様子を見るも、その事実を未だにそれを受け入れられない自分がいる。

 ……だが。



 ― まだ、戦は終わってはいない。



 しかし私が下知を飛ばすよりも早く、一ノ谷の様子を見た郎党たちは、慌てふためき始める。



「一ノ谷は落ちたそうだぞ!」

「源氏が……やりよったのか」

「平家は源氏に敗れた! もう逃げよう……!」



 平家の郎党共は、我先にと敗走を始める。その様に、私は刹那立ち竦んでいた。……が



「戦え! まだここは……っ、ここはまだ終わってはおらぬ!!」



 だが私のその声虚しく、敗走する者共には私の声は響かない。



「退くな、戦えーっ!!!」

「新中納言殿……!」

「最後まで……っ、敵に背を向けてはならぬっっ!!!」

「新中納言知盛殿っ!!」



 家臣が私を呼ぶ声は、近いようで、遠く感じられる。わかっている……わかっては、いるのだ。だが私は目にする現実を受け止められぬまま、ここ……一ノ谷での戦を、あきらめきれなかったのだ。


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