先頭を歩くリリーベルは、背筋をピンと伸ばしている。
指先まできれいな所作で、溢れる気品が目を惹く。
(リリーベルさんも、名のある血筋に見えるなあ)
そよ風に森林が、さあああ――と音を立て、リリーベルは揺れる髪を押さえる。
「もうすぐ西の村ランバージャックです」
春の陽気かホットアップルパイの力か、彼女の足取りは花のように軽い。
「ランバージャック……木こりって意味か」
彼女はポンと手を打って、振り向いた。
「ムラカミさんは博識ですね。
木こりの方々が多くお住いの村です」
得意げに指を振りながら教えてくれる。
「ヴィーゼ領は自然豊かな地域で、住みやすいことから、色々な街が発展しています」
肌を撫でる風や、近くを流れるせせらぎの音は、リリーベルの言葉通りだ。
「これは街を巡るのが楽しみだな」
「ぜひお楽しみください」
森を眺めて歩いていると、村上はこれまでずっと気になっていたことを思い出した。
「リリーベルさん、この辺ってモンスターは出るのかい?」
「モンスターですか?
本当にムラカミさんは色々な言葉を知っていますね」
「そんなに珍しいの?」
「モンスターが世界にあふれていたのは、今から100年くらい前です。
要約すると勇者と魔王が争いましたが、お互いに和解し、世界は平和になったと言い伝えられています」
「勇者とか魔王がいたんだ」
物凄いファンタジーな世界だ。
異世界にいながらそんなことを思った。
(勇者ってどんな人間なんだろうか。
俺みたいな現代人なのか、それとも現地の人なのかな)
「和解したことによって、モンスターが人里に降りることは滅多になくなりました」
「平和な世界なんだ」
のんきな返答にリリーベルはクスッと笑う。
「そうでもありませんよ。
森にはこわーい熊さんや狼さんもいます。
ドラゴンさんや精霊さんの類も、地域によってはいるので、油断はできません」
いたずらする子供のような顔で、彼女は誇張して村上に話した。
「弱肉強食は健在か。
だからリリーベルさんのような治癒師とかいるんだね」
「自然の驚異はいつもそばにありますから。
旅人さんは、冒険者ギルドで護衛を雇うのが普通です――そういえば、ムラカミさんの護衛さんは見当たらないですね」
「なんせまだ着いたばかりで、この辺りの事はよく分かっていなくてね」
「賊にも気をつけないといけません。
あ、見えてきましたよ、ランバージャックです!」
すっかり話に夢中になっていたが、リリーベルが指さした先には、
夕暮れに照らされているのんびりした村の情景に、ビル群しか目にしてこなかった村上の心は揺れた。
木造平屋建ての民家が数十件。
煙突からは白い煙が出ている家もあった。
真ん中にあるのは集会場と井戸だろうか。
「実は私は数日前から村に宿を取っていたんです。
アウラレイクには入れても宿を取るのは難しそうだったので」
「あの混雑じゃなあ」
揺れる小麦畑を横目に村上とリリーベルはランバージャックへと入る。
入り口は簡素な作りだ。
柵がある程度で門などは見当たらない。
「ここまでありがとう、リリーベルさん。
すごい助かったよ」
「あんなにも美味しいお礼をいただいたら、誰だって居ても立ってもいられませんよ」
くすくすと微笑む姿は気品もあるが庶民的な雰囲気もあり、とても話しやすい同行者だった。
ここで別れるのも少し惜しい気もするが、一期一会とはそういうものだ。
「じゃあ、俺も宿をとってみるよ。
機会があれば、また今度!」
村上は初めて会えた異世界人がリリーベルだったことに、最大の感謝を込めて強く手を振った。
「旅の無事を祈ります。
ムラカミさんにとって良い旅になりますように」
取り残されたリリーベルは、胸に手を置いてから、寂しげに小さく息を吐いた。
「私も、いかないと」
尾を引かれるように彼女も歩き出すのだった。
★☆★
木造二階建ての村唯一の宿屋は一階が飲み屋兼食堂、二階が寝室となっていた。
村の木こりたちが日頃の疲れを癒すかのように、すでに酒を飲み始めている。
(俺は下戸だから飲めないけど、夕方から飲めたら旨いのかもしれない)
木材の優しい香りを感じながら、カウンターへと歩みを進める。
「部屋を一つお願いしたいんですが」
恰幅のいい女将さんは、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに困惑した。
「ごめんなさいね。
ヴィーゼ伯爵家のロロウェルミナ様のお誕生日祭でね。
すべて埋まってるのさ」
「やはりそうですか」
「この辺りの村は全部そうだろうねえ。
よその国からわざわざ観光に来たのかい?」
「ええ、ですがここまで混雑するとは思っていませんでした」
「そうかい、うーん……」
叔母さんは腕を組み、こめかみをトントンと叩く。
「遠路はるばるお越しいただいたお客様を叩き出すなんて、女将の名が廃るってもんだ」
よしっ! と意を決したように、女将さんは手を叩いた。
「うちの薪割り場で良いなら、キャンプ地に貸したげるよ!
ちょうど薪割り係も欲しかったからね」
「ほ、ほんとですか!
いくらでも叩き割りますよ!」
「うははは、冗談だよ!
お客様にやらせられますか!」
なんて気前の良い女将さんだろう。
話を聞いていた常連客も、
『さすが女将さん!』
『面倒見の良さは世界一だね!』
『これでエールをもう一杯、サービスしてくれたら最高なんだが!』
と茶々を入れる。
「バカ言うんじゃないよ、あんたらは早く家に帰って、奥さんと仲良く飲みな!
さあ、ルル、案内を頼むよ!」
はーい、と調理場から15歳くらいの少女が出てくる。
ブロンドヘアーをポニーテールにした、エプロンドレスの活発そうな子だ。
「おじさん、こちらでーす!」
「恩に切ります、女将さん!
ありがとうございます!」
豪快に笑う女将さんに深々と頭を下げて、ルルの後に付いて行く。
宿屋の裏手にある薪割り場に付いたとき、ルルは振り返って不思議そうな声を上げた。
「あれ、おじさんなんで泣いてるの?」
「……泣いてる?」
「うん」
そっと指で目元を拭うと、水滴を感じた。
社会人になって20年以上。
こんなに人に優しくされたことなんて無かった。
「あはは、花粉症かなぁ」
空を見上げると、そろそろ夕飯を告げる星空が輝きだしていた。