エメラルド山脈はヴィーゼ領を二つに分けるように横長に伸びる山脈である。
標高500メートルほどで低山に分類される。
大陸を分断していることもあり、護衛を付けた商人と馬車が、なだらかな斜面を行き来するのが日常だった。
緑と小川が景色を彩り、自然動物も多いが、熊や狼などの危険生物も生息しているため時期によって護衛は必須である。
「中腹にはミドリノ村があり、旅人をいつも歓迎していた――と書いてあります。
あと餅が美味しいと――美味しいと」
リリーベルにとっては重要なことなので二度読んだ。
村の入り口には、確かに旅人を歓迎する看板が掲げられていた跡がある。
「本当にリリーママが立ち寄った村なのかにゃあ。
人の気配がないよお?」
頭の後ろで腕を組みながらロロは周囲をうかがう。
(ますますお嬢様のような振る舞いがなくなったな。
というか、本来はこっちが素なのか)
「さっきの商人さんたちは、新しくできた分かれ道を通っていったようだね」
ということはミドリノ村は旧道に当たる。
「寂れて廃村になったのか……とりあえず入ってみようか」
「なんだか生活感はないですね」
木造平屋建ての家々はさほど多くない。
どこもかしこも、敷地内に雑草と花が領土を広げていた。
「家の中も空っぽにゃ」
勝手に家の中に入り、窓枠から顔を出したロロは、埃にむせる。
「餅が食べられるのかと思ったけど、残念だったね」
「ええ――胸が痛いです」
(そんなに楽しみだったんだな……)
今日のおやつに似たようなものを出してあげようと心に誓う。
「リリーベルさん。
この地でお餅の他にお母さんは何かしたのかい?」
「もう一つは現実的ではないので、餅がないのであれば先に進むしか――」
歩みだそうとしたとき、背後で砂利を踏みしめる音が聞こえた。
「おや、誰も戻ってないんやな?」
村上が振り返ると、そこには先ほど道を開けるのに協力してくれた商人と護衛役の少年がいた。
「お、さっきのべらぼーに旨い『かれー』商人のオッサンやないか」
エセ関西弁のような怪しい喋りで、糸のように細い目の男が、村上に気が付いて手を上げる。
「先ほどはお世話になりました」
「そうかしこまらんでもええで。
僕はアクセサリーを取り扱ってるミナトってもんや。
こっちのちっさいのは冒険者ギルドのナミカゼや」
まだ短髪赤毛で背の小さい少年は寡黙なのか、ただ頭をぺこりと下げる。
「軽食販売をしてる村上と申します」
スーツのポケットから名刺を取り出して、綺麗な姿勢でミナトに手渡す。
「ちっさい紙切れやな。しかも東方の文字に似てるやん。
随分遠いとこから来たんやな」
「広い世界を見たいと思いまして。
仲間のリリーベルさんとロロさんです」
「よろしゅうな、お二人さん。
ほんでムラカミちゃん、この辺り誰かおらんかった?」
手を目の上に置きながら村を見渡すが、糸目のせいで動きが全てわざとらしく見える。
「もう誰もいなさそうですね。
廃村なんでしょうか」
「ちやうと思うで。
一週間前に仕入れに来たときは、普通にみんなおったで」
「それは不思議ですね。
ちなみに仕入れというのはアクセサリーの?」
「せや、このエメラルド山脈にはぎょうさん鉱山があるんや。
ここの村人はそれで生計を立ててたんや」
糸目のミナトは頭をかいて、顎に手を当てる。
「あの噂はホントやったんやなぁ」
「噂ですか?」
ミナトは村上に手招きするので、耳を近づけると、
「――"宝石の呼び声"ってやつや」
と、いわくありげに呟く
「詳しくは、ナミカゼ、頼むで」
「はい、ミナトさん」
礼儀正しく一歩前に出て、ナミカゼは俺たちを見上げた。
「俺はヴィーゼ領冒険者ギルド所属。
階級スリーカラー。
片手剣士のナミカゼと申します」
不思議そうな顔をした村上を察したのか、こそっとロロが耳打ちする。
「冒険者ギルドの階級は色の数で決まるにゃ。
トップはセブンカラー。ワンカラーは駆け出しって感じ」
「ありがと、ロロさん」
(じゃあ、少年ナミカゼさんは中堅になりそうな段階なのか)
「冒険者ギルドで最近噂になっている話です。
エメラルド山脈のとある鉱山に眠る悲しみの宝石が見つかったと」
「見つかったのなら、明るい話題に感じるが……?」
「それがそうでもないんです。
悲しみの宝石は、生き物に魅了の魔術をかけるんです。
宝石を掘る村人が、宝石の為に宝石を集める傀儡と化す――」
「どこの村にも一つはある"あるある怪談話"やな」
ナミカゼの言葉を切るようにミナトが話に割って入る。
「おっちゃんたちも気を付けるんやで。
さて、僕らも次の街に行こか」
「貴重な情報をありがとうございました」
口に出してから、商人にとって情報とは"重要な商品"なんじゃないかと村上は気が付いた。
(旅人たるもの、商人とのネットワークも大切にするべきだ)
現代にいた頃は他社との付き合いは接待ばかりで苦痛だった。
お互いに駆け引きや偽善ばかりの会話が堅苦しく、信じられる情報なんてどこにもなかった。
しかし不思議なことに、異世界に来てからというもの、他人と接点を持つことに、楽しさすら感じていた。
(小さな接点だけど、これがいつか旅を豊かにするはずだ)
「お待ちください。
情報のお礼に、もし良ければこれを」
手早くメニュー画面を二人で食べやすそうな商品をタップする。
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【本日の軽食】
・ドーナツポップ16個入り(ミセス・ドウナツ)
・607G
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「なんやこれ……?」
ミナトは不思議そうに紙の器を手に取る。
中には色とりどりの小柄な球体型ドーナツが、宝石箱のように並んでいる。
「気にせんでもええのに。
でも僕甘いの苦手やからなぁ」
手を伸ばして、一つのドーナツを口に放り込む。
「な、なんやこれ!!!!
めっちゃうまいやんか!
よくあるスカスカな甘さちゃう、後味まで甘さがぎょうさん詰まっとる!」
ミナトはナミカゼへと促すと、彼も口に一つ放り込む。
「――!?」
寡黙な少年は戦士の顔だったが、ドーナツを口に入れただけで、年相応の小学生のように瞳が輝く。
「おっちゃん、いったい何者なんや。
あの『カレー』といい、この『甘くて丸い菓子』といい、うますぎやねん」
驚いて早口だが、手が止まることはない。
「ああ、こんな旨いもん貰ったら、それ以上返すのが
隠れていたのかミナトの頭の上で、ぴょこんと狐耳が立ち上がった。
「ほんとは、隠しておこうと思ったんやが、ムラカミちゃん、ええヤツ過ぎんねん」
あまりに細い目がわずかに開く。
「悲しみの宝石は、他の宝石を吸収するために、石を掘らせんねん。
ということは、奴がいるダンジョンは宝石がぎょうさんあるわけや」
ミナトは村の裏側を指す。
「今回は譲ったる。
ムラカミちゃんにも護衛が二人もおるから、行けるやろ!」
と言って、ミナトはドーナツを延々と食べ続けるナミカゼと取り合いながらこの場を立ち去るのだった。