【異世界旅行 - 五日目】
「ひぁああああああああ!」
リリーベルが頭に手を乗せながら、木陰へと滑り込んでいた。
「突然、降ってきましたね」
治癒師のローブは水を弾くのか、手で払うだけでびしょ濡れは免れたようだ。
「にゃあ……リリーのローブは濡れにくい素材で羨ましいにゃあ」
村上が育てている鉢植えの蕾をつつきながら、ロロはボヤいた。
彼女はパーカーを目深にかぶって急いで走ってきたが、ゲリラ豪雨で頭の先から足の先までずぶ濡れである。
現代日本のように肌触りの良いタオルはないが、村上は代わりにゴワゴワの布を頭の上にかけてあげた。
「ありがとにゃ、師匠」
「今、火を起こすから、少し待っててな」
村上、リリーベル、ロロが駆け込んだ木は、枝葉が末広がりで雨宿りにはちょうど良かった。
(この木なんの木の歌を思い出すな……)
枯木を背中の無限リュックサックから取り出す。
木の屑を中央に置いて、上に細い枝を置く。
火打石で何度かこすると赤い火花が、薄暗い世界に光を生む。
木屑に炎が燃え移ったのを確認して、燃えやすそうな薪を少しずつ置く。
村上が火を起こす姿を、横でリリーベルがじっと見つめていた。
「……な、なんでしょうか、リリーベルさん?」
あまりに真横で見られているので、つい敬語になってしまう。
「ムラカミさん、薪割りの時も思いましたが、火起こしも手際が良くて、旅慣れてますね」
「そうか?」
異世界の旅人や商人の方がキャンプは多いので手慣れてそうだが。
「アウラレイクの橋の前で初めてムラカミさんを見つけたときは、とても――戸惑っているように見受けられました」
「到着したばかりで、右も左も分からなかったからな」
「服装も旅人向けには見えなかったので……ですから、手際が良いのは意外でした」
「やったことはなくても、田舎育ちだったから、なんとなくは分かるよ」
「師匠が田舎とは意外だにゃあ」
タオルを頭に乗せたまま、銀色の髪から雫を滴らせたロロが胡坐をかきながら、興味深く村上を覗いた。
「美味しい料理を沢山知ってるにゃから、都会生まれだと思ってにゃ」
「18歳までは山奥の山奥。
携帯の電波も無くて……って分からないか。
鶏と牛を飼育して、井戸水を汲んでくるような生活さ」
村上の話を聞いてリリーベルが嬉しそうに隣に座って膝を抱えた。
「エルフの森みたいですね」
(現代日本の田舎はエルフの森みたいなものかもなあ)
「似たようなものかもな。
あの時はずっと、そのまま生きるんだと思ってたんだけど……何があるか分からんもんだな」
社会に出て夢半ばで諦め、社会人として就職したが、奴隷のように使いすれの日々。
会社の仲間も次々と辞め、生き残った者も次々と倒れる日々。
(だから軽食の女神さんが、異世界に飛ばしてくれたようだけど)
だがリリーベルは、村上が田舎から旅に出てきたことが決意と受け取ったようだ。
「……ムラカミさんも今を変えようと踏み出した人なんですね」
「変えてる最中さ。
まずはリリーベルさんの護衛として。
ロロさんの料理の雇われ先生として仕事はしないとね」
雨音は強く、止む気配はない。
傘も持っていないのでこのまま足止めを食いそうだった。
手持無沙汰になったので、空を見上げているロロに村上は気になっていたことを聞いた。
「ロロさんは何で料理が好きになったんだ。
世界を巡るくらいだから、きっかけはあるんだろ?」
「そうだにゃあ……」
照れくさいのか鼻の頭をかく。
「わたしはヴィーゼ家にやっと生まれた子供だったにゃ。
だからパパもママも欲しいものは買ってくれたし、行きたいところは連れてってくれたし、食べたいものは何でも食べさせてくれた」
(そこまで裕福で旅に出たい想いがあるのは尊敬に値するな……)
自分だったら家にこもってダラダラと過ごしてしまいそうだと、内心思った。
「二人ともいつも優しかったし嬉しそうだったけど、いつしかそれが当たり前になってたにゃ。
そんな時、気まぐれでメイドが作ってた料理を真似たのがはじまり」
「ご両親は、とっても喜んだんですね」
リリーベルが両手を合わせて思いついたように合いの手を打つ。
しかしロロは頭を振った。
「子供でも分かるにゃ。
難しい顔を隠した笑顔だったって」
「こ、個性的だったのか」
こくりとロロは頷く。
「でも悲しくなかったんにゃ。
自分で食べてもしょっぱ過ぎたから。
だから、心の底から本当に笑顔になるような……わたしが料理で引き出してやる――って決めたの」
猫のような瞳が鋭く水たまりを見つめる。
雨水がはっぱをリズミカルに打つ音で我に返ったのか、ロロは頬を染めて、
「……悔しかっただけ――ですわ」
とお嬢様言葉でうつむいた。
「ロロなら美味しい料理を作れます。
毎日、ムラカミさんの料理を味わってますから」
励ますようにリリーベルが胸の前で両手を握る。
お嬢様ではあるが、ロロは自分に厳しく、どんな料理もしっかりと分析して手帳にメモする勤勉家だ。
村上にもその姿勢はしっかりと映っている。
「少し早いが、お昼ご飯にするか」
ならばその思いに応えられる食事がいいだろう。
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【本日の昼食】
・マルゲリータ(M/ドンミーノ・ピッツァ)
・1,290G
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雨で草原の草木の香りが漂っていたが、それ以上に昼食は食欲をそそる。
窯で焼き上げた小麦の香りにリリーベルは、吸い寄せられるように村上の手元へと近づいていく。
「その箱の中のお料理はなんというのですか……!」
「ピザです!」
「ピザ!!」
器が置けなかったので、チェアをテーブル代わりに箱を乗せた。
大量のチーズの上にバジルとトマトが乗せられ、口に運ばれるのを今か今かと待っている。
「わ、私好みのお料理ですね――!」
(リリーベルさんも自分の好みが分かってきたな)
見た目は清楚だが炭水化物もりもりか、お肉が主食のわんぱくエルフなのだ。
「では、いただきますっ!
……み、みてください、チーズが伸びすぎます!!」
器から一切れ手に取ったが、チーズが糸のように伸びすぎて、うまく取れないようだ。
チーズをうまく切ろうと、小躍りするリリーベルを横目に、ロロは上手に一切れ手に取って口へ運んだ。
「香料が鼻を抜けて、トマトがみずみずしくてとっても美味しいにゃ……!
チーズもしつこくなく、口の中でシンフォニーを奏でる……!」
リリーベルさんの手が止まらないので、結果的にMサイズを4枚注文した。
「ごちそうさまでした!
お腹7文目で、程よいです」
「それは良かった」
満腹のリリーべルさんの姿は、周りを癒す効果もあるのかもしれない。
ヒマワリのような笑みによってか、雨雲からは陽光が差して地上を照らす。
「とっても美味しかったけど、どうして今日はビザだったにゃ?
いつもはもう少し、軽食っぽいのに……」
不思議そうにロロは首を傾げる。
これまでは外で食べやすく、手で持ちやすいものを選んできた。
だが、ロロの決意を聞いたのだ、ピザも選びたくなるもんだ。
「このピザって料理は、大人数に振舞う料理だからだよ」
ロロは一瞬考えたようだったが、頭頂部の黒い猫耳がぴんっと跳ねたのだった。