【異世界旅行 - 五日目】
本土グランディアへ渡るには、ヴィーゼ領最大の港町アクアラインを目指す必要がある。
ヴィーゼ領の最北端にあるので、おのずと旅路は長くなる。
だが村上一行は急ぐわけでもなく、気の向くままのんびりと北を目指していた。
「3人で二部屋お願いします」
頷いた女将さんにGを渡して、チェックインを済ませる。
「夜遅くでしたが、宿が取れて良かったですね」
「森の中で野宿せずに歩いて良かったよ」
あのまま野宿してたら、今日も固い地面で寝るところだった。
「隠れ家みたいな宿があったんにゃねえ」
宿屋の中は木造作りだが温泉宿ということもあり、リラックスできる広いロビーや中庭、長い廊下などがあり、これまでの素泊まりの宿とは違った趣がある。
(日本の旅館みたいだな)
リリーベルもロロも宿屋の中を見渡しては、うずうずしている。
かくいう村上も実は居ても立っても居られない気分だった。
「まさか温泉に入れるとは……!」
リュックを背負い直しながら、自室へと向かう。
「水浴びもできなかったから、助かるにゃあ」
「雨にも濡れましたし、ありがたいですね」
ロロとリリーベルの隣の部屋へと入ると、思ったより広く、久々の清潔なベッドが村上を迎えてくれた。
「ふあああああ」
ベッドに倒れ込むと陽の匂いが部屋に充満するようだ。
(40代でテント生活は"腰"に来るんだよな、悲しいことに)
今はリリーベルとロロも一緒に旅をしている。
軽食の女神のテストメールの景品でもらったテントは二人用なので、自然と村上は外で布にくるまりながら寝ることになる。
(二人とも俺をテントで寝せようとするが、さすがにそれは大人のやる事じゃねえ)
若い者をゆっくりと寝せることこそ、大人としての役割だろう。
ベッドに横たわると、40代の疲れがどっと押し寄せるが、そうもいかない。
(数日風呂に入ってないし、温泉だからこそ入りたい)
現代日本でも温泉に行ったのは中学の家族旅行くらいだ。
湧き出る温泉をイメージして身体を奮い立たせ、村上はタオルを持って、肩で風を切りながら温泉へと向かうのだった。
+++++++++++
――カポーン。
風呂桶を地面に置くと耳を通り抜ける、小気味良い音が男風呂に響いた。
男風呂は半分まで屋根があり、岩を組んで作られた露天風呂には屋根がなく夜空で星が瞬いている。
「ぬああ」
オッサンくさい声が漏れるが仕方ない。
オッサンなのだ。
遅くに宿を見つけたので、他の客は誰もいない。
貸し切りなので足を延ばせるし、静かな木々のこすれる音を聞きながら肩まで浸かった。
「……生きてる」
人生の全てをやりがいのない仕事に使っていたのがウソみたいに、身体の奥底から生命力の息吹を感じる。
「異世界でも月は一つ、大きさも変わらん」
現代風だが、それが逆に良い。
メニュー画面を呼び出して、ある飲み物をタップする。
----------------
【本日の飲料】
・コーラ
・270G
----------------
「下戸だから酒は飲めんが、このくらいは良いだろう」
軽食の女神の計らいか、瓶で召喚されたコーラが手元に生まれる。
「ん……ふはあ!」
喉を駆け抜ける感覚が風呂中で際立つ。
「瓶だと旨いんだよな」
ガラスの滑らかな口当たりや、伝わる冷たさにより、美味しさが何倍にも膨れ上がっていた。
「月見酒ができる人は、さぞ気持ちが良いんだろうか」
満月は答えず、星と共に地上を照らす。
一息ついたとき、隣が騒がしいことに気が付いた。
(隣は女風呂か)
木製の壁により露天風呂は分けられているが、お湯の流れを共有するために、湯の中では繋がっている。
「さて、あがって二人を待つか」
あの二人もゆっくり浸かっていたいだろう。
岩場に手をかけ体重をかけたとき――、
「師匠ー!
いるのは分かってるにゃあ!
飲み物を持ってたりするー?」
騒がしい声に呼び止められた。
(ネコだから耳が良いのか、瓶の音を聞きつけたんだな)
「あんま振るんじゃないぞ……っと!」
瓶コーラを二つ召喚して、宙で瓶が回らないように、垂直気味に女風呂へと投げ入れる。
「うあにゃにゃにゃ!」
「ロロ、そこでキャッチできるんですか……!?」
「へへ、危なく落とすとこだにゃ。
師匠ー、ありがとうー!」
「慌てて開けると、吹き出すから気を付けろよ」
お約束になるんだろうなぁ、と思いながらも村上は先に風呂を後にするのだった。
++++++++++++++++++++
「にゃああああああああああ!!」
ロロは女風呂にまで隠し持ってきた小刀で瓶を開ける。
すると溜まった炭酸により、コーラが小さな口から噴き出した。
「飲み物が噴き出すなんて聞いてにゃい……」
洗ったばかりの銀髪は既にべとべとだ。
「も、もう一本ありますから。
以前、ムラカミさんに聞きましたが、少し置いておくと
「ふにゃあ」
ロロは悲しそうな声を上げる。
旅によって色白だった手足は少しばかり褐色に焼けている。
「私が洗ってあげますね」
長い金髪を頭の後ろで、一つにまとめたリリーベルがロロの背中側に回る。
見る者が見れば白すぎる肌だが、旅慣れているエルフということもあり、健康的な肌の色だ。
桶にお湯を汲み、ロロの頭の上から少しずつかける。
石鹸を泡立てて、絹のように滑らかな髪を優しく洗っていく。
「あにゃあ」
どういう表現なんだろう、と思うが気持ち良さそうなのできっと良いことなのだろうとリリーベルは微笑んだ。
「少し熱いですよ」
「熱いのはいやにゃ」
「――我慢ください」
――ざばぁ!
容赦ないお湯を頭から浴びせて石鹸を流す。
それを何回か繰り返して、二人は再びお風呂へと身体を沈めた。
ロロが一口コーラを飲んでから、リリーベルへ手渡す。
リリーベルはお礼を言って、コーラを一口。
生ぬるくなっていたが、強い刺激を感じながら月を見るのも悪くないと彼女は思った。
「ねえ、リリー」
「ん?」
ボブカットの銀髪から水を滴らせたままのロロが呟く。
拭かれるのが嫌なのか、そのままなのだ。
「リリーみたいなお姉ちゃんが欲しかったんにゃよね」
「ロロは一人っ子でしたもんね」
わずかに頷く。
「パパもママもいたし、屋敷には同い年のメイドもいたわ。
けれど、親は親だったし、メイドは友達というには、特別扱いされて――」
お湯の中で手を動かすと、湯に映った満月が波紋に揺れる。
「容赦なくお湯をかけてくれて、楽しかったし」
頬が赤いのはお湯のせいか、それとも別の要因か。
「師匠は見守る先生みたい。
リリーは優しいお姉さんみたい。
二人とずっと一緒に旅ができたらいいなって――思いますわ」
「そうですね、私もそう思います」
リリーベルとロロは笑い合うと、自然と肩を預け合った。
幾億の星だけが、彼女たちを眺めていた。
+++++++++++
村上の部屋。
丑三つ時も過ぎた頃。
動く者は誰もいない。
村上が大切に育てている鉢植えは、月明かりが机の上に置かれている。
月光を浴びてわずかに揺れる蕾は、粉のような光を何回か振りまいた。
――だが、この姿すら見る者は誰もいない。