目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第32話 たまの一人の時間はサンドウィッチとコーヒーで。

【異世界旅行 - 七日目】 


「じゃ、行ってくるね!」


 翌日の朝、ライブラ学園の校門前には魔獣学科を受験する学生で溢れかえっていた。


 その中で眼鏡で三つ編み姿のノベルが敬礼するように背筋を伸ばす。


「慌てるなよ」「落ち着いて」


 村上とリリーベルが同じ意味を告げたので、ノベルはくすっと笑い、門の中へと消えていった。


 その背中は落ち着いている。


 途中すれ違う学生たちが、村上に気付いては声をかけてくれた。


『おじさん、昨日のカツドン、うまかったっす!』


『おっちゃん、自信出たよ、行ってくる!』


『終わったら報告に行くね、カツドンのおじさん、お姉さん!』


 すっかりカツドン屋のおやじとして、受験生に定着してしまった。


(若者にこんなに話しかけられるのも、悪いもんじゃないか)


「あ、村上さん、嬉しそうですね」


「そ、そうか?」


 リリーベルが口元に手を当てながら、穏やかに微笑む。


「受験終わった彼らの為に、何か準備しとくか」


 ノベルの話では朝から晩まで試験があるようだ。


 夜に頭を使い切った彼らの為に、露店を開くのもいいだろう。


「その時はまたお手伝いさせていただきますね」


 リリーベルも店員として手伝ってくれたので、学生たちから看板娘のように慕われていた。


「……どこかで店を持つのも悪くないか」


「どうかしましたか?」


 受験生の喧騒により、リリーベルには聞こえていなかったようだ。


 思い付きで呟いてしまった。


 聞かれたら恥ずかしい気もするので、聞かれずに良かったかもしれない。


(まずはリリーベルさんの護衛として、本土グランディアまでしっかりしないとな)


 改めて旅の目標を思い出して、心を引き締める。


「あと一泊、インデックスに滞在しようか。

 予定通り、今日は自由行動ってことで良いかな?」 


「こんなに本があると私も、調べものしていたいので、助かります」


「俺もこの世界のことをもっと知っておきたいしな」


 ちなみにロロは既に"料理の勉強"で、朝早くから単独行動をとっている。


 ミャウ族としての知識好奇心が最大限に発揮されているのだろう。


 校門前でリリーベルと別れると、異世界に到着して以来の一人の時間が訪れた。


「うーん、自由だ!」


 一人旅で毎日自由なのも良いだろうが、いずれ飽きそうだし、寂しくなるだろうなと村上は思っていた。


 なのでリリーベルとロロがいる旅は、騒がしくもお互いに過剰に干渉せず、程よい距離感で心地よい。


 それに普段3人だからこそ、1人になったときの自由は格別だ。


 ずっと一人では、ありがたさに気が付けなかったかもしれない。


「どこに行こうかな」


 スケジュールを立てずに、気の向くまま行動できることに喜びを感じつつ、歩き出す。


 大通りから枝分かれした小道に入り、レンガ作りの細い階段を上る。


 壁に設置された本は、埃もなく綺麗に管理されていた。


 街中を流れる小川の水は澄んでいて、耳にするだけで癒される。


 分岐点に設置されている看板を見ながら辿り着いたのは、商業関連の知識が並べられた区域だ。


 この区域も他の区域と同じで、建物や路上の壁はすべて本棚の役割を担っている。


(今更だけど、異世界の文字が読めるのは便利だな)


 軽食の女神にお礼を唱えて、本を手に取る。


 タイトルは『商人への入門書』だ。


 街が図書館なので至る所に一人用のベンチと机が設置されている。


 村上は本を片手に、近くの広場で一人掛け用のテーブルへと座る。


 空気を吸わせてやろうと、鉢植えも机に並べる。


 蕾は喜んでいるように、小さく光を振りまいた。


「みんな、のんびり本を読んでるなあ」


 メニュー画面を呼び出して、商品をタップする。


-----------------

【本日の軽食】

・ベジタブルライト サンドイッチ(レギュラー/メインウェイ)

・430G


・アイスコーヒー(M)

・360G

-----------------


 野菜がたっぷり挟まったサンドイッチとアイスコーヒーを召喚する。


 勉強しながら食べるにはちょうどいいだろう。


 包み紙を破ると、ゴマがかかったパンが顔を出し、「みずみずしいトマトとレタスが、食欲をそそる彩りを添えていた。


「いただきます」


 一口かじると香ばしい香りが口から鼻に抜け、すぐにフレッシュな触感が広がった。


 借りてきた書籍へと持ち替えて、じっくりとページをめくる。


 この異世界における商人としての身の振り方がまとまれていて、店の持ち方から、各町での露店販売の注意が書かれていた。


 たまにコーヒーをストローからすする。


「本土グランディアに到着したら、王都で店を開くのも楽しそうだ。

 または本土を旅しながら、たまに軽食販売するのも良いし……自由ってのは素晴らしいぜ」


 夢は広がるばかりだ。


 思いのほか軽食販売は異世界人に評判が良いので、拠点を構えて優雅に生活することもできるだろう。


 だが村上はその選択をしなかった。


(東京でも、8畳一間のアパートで独り暮らしだった。

 仕事が忙しすぎて、生まれ育った地域と東京しかしらない)


「異世界では何のしがらみもない。

 だったら好きに旅して、家を作りたければ作って……計画なんかなくて、思い付きで好きに生きるのが良いよな」


 社会人になってからずっと未来の計画ばかりだった。


 将来はどうしたらいいか悩むだけだった。


 将来を悩まない生活は何と気持ちが良いか。


 今だって、こうやって自由に本を読み、好きな料理を口にしている。


(安心して過ごせるのも、リリーベルさんが、初めに話しかけてくれたから、この世界が安全だって知ることもできたしな)


 ロロだってそうだ。


 師匠と慕ってくれて、料理や知らない単語は教えてくれる。


「二人になんか、お礼でもしたいな」


 本を閉じて村上は空を見上げた。


 図書館街インデックスは本を守るために、空はない。


 けれど、描かれた空は、絵画なのになぜか突き抜けるほど気持ちの良い青空だ。


 村上の考えを読んだように、蕾が風に揺れて頷いたように見えた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?