リリーベルは背中まである流れるような金髪を、一つに束ねて、カフェで読書に耽っていた。
通りに面しているカフェの軒下には、丸型のテーブルが並び、リリーベルの机の上には辞典のように厚い本が10冊ほど積まれていた。
「神眼のマリアベル……ここ最近の話なのに数多くの冒険譚を残す英雄」
以前、ロロがリリーベルの母の名を口にしたとき、二つ名を口にしていた。
100年前に勇者と魔王が和解し、その後にマリアベルは旅に出た。
途中、同じエルフのヴァルとパーティーを組み、魔族たちが残した爪痕などを綺麗さっぱり処理したのが、冒険譚には尾びれ背びれが付いて派手な演出が増えている。
「エルフの森に母さんの本は一冊も無かった」
それはきっと、里を出たエルフのことなど、記録に残しておきたくなかったのだろう。
英雄として世界で活躍した本があったら、旅に出たがるエルフが増えてしまう。
「外の世界は凄いです。
母の手記にない話も多く残っています」
真偽のほどは定かではないが、どれも勧善懲悪の空想小説として作られている辺り、何らかの意図が見え隠れしていた。
「神眼のマリアベルを題材にした小説はすべて同じ著者――旅に憧れを持つエルフの後押しをしやすい内容として――計りましたね、
リリーベルは重ねた本を見つめて、苦笑いを浮かべる。
「――まったく困ったものです」
全ての本の著者は『セリウス』と書かれている。
ちなみにまだ存命だ。
父親自身もまた、世界を巡りながら小説を執筆している。
エルフの中では危険な冒険を繰り返したマリアベルに並び、異端の一人である。
(古い文化に捕らわれず、エルフも他種族のように自由意思で旅をしても良い――今も広めているのですね)
「手記以外にもこれほど多くの話が残っていると、次は何処にしましょう」
リリーベルの目的は母親の旅路を追い、追体験することで、母が感じたことを実感し、そのうえで母を理解したい――できれば超えたいことだ。
「本土グランディアからが、母さんの旅の本格的な始まり……」
冒険者ギルドに参加し、数多くのトラブルを解決し、旅先で仲間も増やした。
世界は当時と変わったし、リリーベル自身の物語だから、全く同じようになぞるつもりはない。
「グランディア……」
ぼそっとリリーベルは呟いて、ふむっと無意識に頬を膨らませていた。
(ムラカミさんとの護衛契約の終了地点はグランディア――)
依頼したときは村上にも村上の物語があると思い、彼の自由意思を尊重して、期限を設けた。
設けたのだが――。
(胸に何かがつっかえてるような……考えるとモヤモヤするような)
これは治癒魔法でも何ともならない。
(きっと一人で自由にやりたいこともありますよね?
ずっと私が束縛するのも……でも)
彼女はまだこのもやもやの名前を知らない。
カフェで頼んだ果物を絞ったジュースを一気に飲み干したが、その胸のつかえは一緒に流されはしなかった。
+++++++++++++++++
――ゴーン、ゴーン。
天候が変わらない広場に、今日の仕事終わりを告げる塔の鐘が鳴り響く。
「やべ、読み過ぎた」
広場で本を広げていたら、いつの間にか夕方だった。
図書館街インデックスは洞窟内にあるせいで、時間の管理はすべて塔に設置された鐘の音だ。
村上は借りた本を抱きかかえ、急いで本棚へと押し戻す。
一度、商人の本を読み漁ってから、リリーベルとロロへの"感謝の気持ち"を準備し、残った時間でまた本を読んでいたのが仇になった。
(リリーベルさんはお腹を空かせているかもしれない。
超腹ペコエルフさんだからな)
宿泊している宿屋は、ファンタジーの宿屋というよりは、ホテルに近い豪華な内装だった。
世界から知識人が訪れるので、品格を高めているのだろう。
借りている部屋へと戻り、自分のリュックを置いて、リリーベルとロロの部屋へと向かう。
今日は二人の部屋でご飯を召喚する予定だった。
――だったのだが。
「あれ、リリーベルさん?」
部屋の入り口でリリーベルが手持無沙汰で立っていた。
壁に背を預けながら、時間を持て余しているようだ。
「部屋の鍵を無くしたのかい?」
「ムラカミさん」
パッと顔をあげて体を壁から離す。
「ロロが部屋の中にいるんですが、まだ入ってはいけないそうです」
「入ってはいけない?」
「なんでも――『わたしが良いというまでは、この扉を開けてはいけないにゃん……』と、目を輝かせていました」
リリーベルはロロの声真似をしながら、猫背のポーズをとる。
全く似てないけど、可愛らしかったので、良しとする。
「昨日も今日も朝から晩まで、勉強に精を出してたもんな。
何か考えがあるんじゃないか」
「そうですね、あの目は企んでました」
「乗ってやろうじゃないの」
二人で扉の前で雑談していると、中でガタンッと小さな音が聞こえ、少しして、中から声が発せられた。
『師匠、リリーもいますわね』
村上とリリーベルは顔を見合わせる。
『こちらも準備が整いましたわ』
「準備だって?」
『ええ、ここから新たな歴史が刻まれますわ――!!』
ロロの自信満々な声と共に、ゆっくりと部屋の扉が開かれていく――。