「ではムラカミ様、リリーベル様、ロロウェルミナ様の3名様ですね。
しかと承りました」
受付の紳士的な老人男性が綺麗な角度で会釈した。
「これで明日の乗船手続きは完了だな」
乗船予定のガレオン船『ヘルメス』は全長約70メートル、排水量約500トン。
大きめの
下から見上げると巨大なクジラのようだ。
港は相変わらず多くの種族で賑わい、貨物の詰め込みや船員の声が鳴りやむことはない。
「じゃ次は街を見に行こうか」
「あ、お待ちください。
もしやそちらの方は――」
村上一行がチケットカウンターを離れようとしたとき、受付の男性が呼び止めた。
「もしやロロウェルミナ=ヴィーゼ様……?」
「んにゃ?」
「申し遅れました。
私、5年前までお屋敷で水路周りの事業を任されていましたバウティスタです」
「バウティスタ……水路で遊んでるといつも注意しに出てきたお爺さん!」
ロロは先ほどまで被っていたローブを外して、太陽にきらめく銀髪のボブカットに黒猫の耳を晒す。
「あのおてんば娘が――実に大きくなられましたなぁ……!」
バウティスタは白い手袋のまま、緩くなった目元を拭った。
押し寄せる感情の波を抑えながら、潤んだ瞳でロロを見つめる。
「領主様も未だお元気そうで何よりです。
今年の水路レースの件は、私も届いておりますよ」
「は、恥ずかしいですわ。
バウティスタも元気そうで何よりよ」
染みついたお嬢様の仕草が瞬時に呼び出される。
ロロがお嬢様言葉で姿勢良く、自信満々に話している姿を見ると、有所正しきレディだったことを思い出す。
「とうとう旅に出るお年頃になられたのですな。
この歳になっても、ロロウェルミナ様にまたお会いできるとは嬉しい限りです」
「感動しすぎよ。
では良い部屋を頼むわよ――なんてね」
「ええ、このバウティスタ。
世話になった御恩決して忘れはしませぬ」
バウティスタは改めて深々とお辞儀して、村上一行を見送った。
今回は一般的な客室を二つほど取ったのだが、一抹の不安が過ったものの、村上は深くは考えなかった。
「次は宿屋を取るか」
「はい!」
港から宿屋通りは近い。
船乗りや旅人がすぐに活用しやすい形で発展したのだろう。
多くの商人が行きかうので、宿を取るのも一苦労かと思ったが、そこそこ良い宿で部屋を予約することができた。
(ありがとう、軽食の女神さん。
貴女の軽食で稼いだGにより、裕福な旅を送れています)
心の中でお礼を唱えながら、自室へと入る。
オッサン(村上)部屋と女子部屋の二つを借りた。
どちらも大きな窓から港が見える景観の良い宿だ。
海岸を見渡せるように窓際にはテーブルが設置されて、日当たりも良好だった。
「お前も陽を浴びるか、気持ちいいぞ」
無限リュックから鉢植えを取り出して、テーブルへと設置する。
温かい日差しが嬉しいようで、ゆらゆらと揺れて感謝を告げているようだ。
「さて、たまには女神さまにテスターとしてメールを送るか」
チートスキル「ファストフード」のメニュー画面を開くと、『メール』欄に●印が付いていた。
「ん?」
気になって開いてみると案の定、軽食の女神からのメールだった。
『あれから異世界の旅は順調でしょうか。
私は誰からもメールが来ない日々に、涙で枕を濡らしながら生きています』
(俺しか話し合いていないのか?)
『最近は新卒の"厨房の天使"に作業を教える日々ですが、最近の若い子たちは、何を考えているか分かりません。
家に帰れば、冷えたハンバーガーとパックの鬼殺しを飲んで、知らぬ間に寝ている毎日です』
(女神の生活が荒み過ぎている……!)
『ですので心機一転するために、村上さんにお勧めされた中央線に引っ越しました!
武蔵境駅、八畳一間で6万円、駅まで20分!
つきましては新しい家具を買いたいのですが、安くていいところ知りませんか?』
(女神に毎回、一人暮らしの情報を聞かれるのって切ないもんだな……)
「一人暮らしならヌトリでおおよそ揃いますよ、作るやつ多いけど……っと」
まだまだ続く近況を読み飛ばして、文末の本題へと辿り着く。
『――なので飲み屋最高です!
美味しいところ見つけたら、スキルに追加しときますね!!
最後に、そろそろクラスチェンジ試してください。では。』
「プライベートと仕事の話の熱量が違い過ぎないか」
村上は頬を引きつらせつつも、クラスチェンジ画面を開く。
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① 軽食屋の店長
② 脱サラして独立した軽食屋のおじさん
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「んじゃま、こっちで良いか」
今まで誰かの元で給料をもらって働いてきた。
言いなりになり、何を言われても耐えてきた。
でも、会社は社員を守ってくれない。
悩むまでもない。
というか、異世界ではすでに、軽食の女神と契約した個人事業主みたいなものだ。
――ぽちっ。
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② 脱サラして独立した軽食屋のおじさん → START!
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軽食屋の店長がグレーアウトして、独立オジサンが光り輝く。
どうやら村上の職業が、軽食屋の店員から脱サラして独立した軽食屋のおじさんにクラスチェンジしたようだ。
「バトルものだったら、もっと盛り上げるところでクラスチェンジするんだろうな」
宿でのんびりしていた勢いで、ついクラスチェンジしてしまった。
そんな自分が自分らしい気がして、笑ってしまった。
何ができるのか拡張されたスキル画面を見ると、見慣れぬスキルが増えている。
「おお……これは、もしかして軽食召喚以外に、召喚できるものが増えてる?」
薄暗い画面をよくよく見ようとしたとき、コンコンと控えめにノックが響いた。
「ムラカミさん、そろそろいかがですか?」
鈴のような高く澄んだ美しい声が、村上の意識を戻した。
スキルについては夜にでも見るかと画面を消す。
「行こうか、リリーベルさん」
職業欄が変化しただけなのに、何故か会社から解き放たれたような解放感を感じて、心は生き生きと踊っていた。