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第41話 女王とガソリンを同時に摂取してはいけない

 陽も落ちても賑わいが衰えない場所がある。


 酒場『トライデント』だ。


 海岸沿いにある木造二階建ての酒場では、今日の一日を占めくくる住人と、遠方から船に乗って訪れた旅客、そしてこれからヴィーゼ領を旅立つ冒険者たちでごった返していた。


 酒場『トライデント』は風通しの良い作りで、広々とした店内にいくつもの6人掛けテーブルが配置されている。


 入り口の左右には松明が灯り、屋根のないバルコニーでも客席を照らしていた。


 ひときわ賑わっているのが、バルコニーの角にある一席だ。


 丸形のテーブルの上には、見たこともないほどの厚さのステーキが鉄板の上に乗っている。


 南国原産のパイナップルのような果物、酸っぱさが残るソースがかかったサラダなど、色とりどりの料理が並べられていた。


「がはは!

 オッサン強いな、マリアベル以外に負けたのは初めてだぜ!」


 麦から作り出したビールのような飲み物を一気に飲み干して、ヴァルは机にグラスを叩くように置いた。


「偶然、運が良かっただけですよ。

 この子のおかげで」


「恐縮です、マスター」


 浮遊しながら両手を前で組んで控えている妖精は、瞳を伏せたまま表情を変えることはない。


「良いかおっさん、そりゃ良くねえぜ」


 ヴァルは肉を食いちぎりながら、村上の肩に手を回す。


 洋服はまだ赤いドレス姿のままだ。


 豊満な胸囲を無理やり収めているようなドレスは、かなり苦しそうだが、どうにか弾けることなく耐えている。


「運も実力さ、それがたとえ自分のものじゃなくてもな。

 己が歩いてきた道が正しかったから、運が手にしたんだ」


 あんなに見事な負けっぷりをして、悔しんだにも関わらず、ヴァルは村上に負けたことは気にしていないようだった。


「マリアベルにこだわるのに、他の負けにこだわらないのが不思議に見える、そんな顔してんな」


「い、いえ、そういうわけじゃ」


 ヴァルは酔っぱらうと距離感が異様に近くなっているので、下手に関わり合いたくないなあと思っていたのが見抜かれた。


「私が負けたと思わなければ、本当の負けじゃねえ。

 オッサンにならいつか勝てる――お前さんとはいつでも戦えるからな」


 じゃあマリアベルさんには――と、村上は言葉を出そうとして、噤んだ。


 死者にはどうあがいても勝てない。


 ちなみにリリーベルは清楚なワンピース姿のまま、おしとやかなエルフ系の見た目にそぐわぬ、豪快な肉片を口に頬張っていた。


 食事中に口を挟まなかったのはそのためだ。


 肉が美味しすぎたのだ。


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【本日の夕飯】

・ヴィーゼ産バッファローの肉厚ステーキ

・港町アクアラインの潮風と柚子のサラダ

・グランディア産パインアップル

・各アルコール類

・オレンジジュース

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「わたしも早くお酒が飲めるようになりたいですわ」


 カジュアルドレス姿のまま、ちびちびとオレンジジュースを舐めているロロはボヤいた。


 いまだにお嬢様言葉がミャウ族に戻ってずお嬢様言葉なのは、まだカジノの余韻が抜けていないことと、ドレス姿だからだろう。


「母がこの港町で飲んだというマイタイ――いただきます」


 村上はお酒に詳しい方ではないが、お酒の名前は聞いたことがあった。


 ハワイで有名なフルーティーなカクテルで、トロピカルカクテルの女王と呼ばれている。


 ラム酒をベースにしたフルーツのリキュールやシロップを加えている。


「……あ、美味しいですね」


 口元を押さえながらリリーベルは、はふ、と息を吐いた。


「普段、アルコールは飲まない私でも飲みやすいです」


「どれどれ……」


 リリーベルと一緒にたしなむと約束していたので、村上もライムの皮やミントが添えられたマイタイを口に含む。


「お……いいね」


 アルコールが持つ独特の風味は少なく、ジュースに近い感覚で飲める。


 村上は下戸なのでアルコールは得意ではないが、それでも美味しく飲めるお酒を知ったの収穫だった。


「ヴァルさんは何を飲んでるんです?」


「これはスピリタスだ」


(スピリタス……どこかで聞いたことあるな)


 これらの品名は軽食の女神により、異世界語を村上に伝わるように翻訳されているのだろうが、この名前には聞き覚えがあった。


(クイズかなんかで聞いたんだ。

 アルコール度数96%の最高純度を誇る酒――!)


 度数96%といえば、ほとんどエタノールだ。


 火気厳禁レベルじゃなかろうか。


「オッサンも飲むか?」


「いえ、遠慮しときます」


 さっと断ったとき、すらりとした白い腕が代わりに伸びてきた。


「にへへへ、これはあ、どんなあじらんでしょう」


「リリーベルさん、お約束のように分かりやすく酔ったな!?」


 このまま口に含んだら、明日は自分の治癒魔法が必要になるだろう。


 最悪、清楚系エルフにあるまじき状況が訪れる可能性もある。


 村上は光よりも速いスピードで口に運ぼうとしたグラスを奪う。


「ああ、なああにするんれすかあ」


 リリーベルの目はとろんと溶けている割に、手の動きだけはやけに素早い。


(絶対にリリーベルさんに飲ませるわけにはいかない!)


「後のことは任せた、ロロさん、ミルフィーユ」


 二人が何かを言う前に、グラスをぐっと口元に充てる。


「南無三――!!」


 刺すような刺激と強烈な焦熱感が喉元を駆け抜けた途端。


(あ――だめなやつだ)


 すとんっと膝から力が抜けていくのが分かった。


 最後に見たのは、ゲラゲラと腹を押さえて大爆笑しつつ、瓶のままスピリタスを煽る世界一美しいエルフの顔だった。

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