陽も落ちても賑わいが衰えない場所がある。
酒場『トライデント』だ。
海岸沿いにある木造二階建ての酒場では、今日の一日を占めくくる住人と、遠方から船に乗って訪れた旅客、そしてこれからヴィーゼ領を旅立つ冒険者たちでごった返していた。
酒場『トライデント』は風通しの良い作りで、広々とした店内にいくつもの6人掛けテーブルが配置されている。
入り口の左右には松明が灯り、屋根のないバルコニーでも客席を照らしていた。
ひときわ賑わっているのが、バルコニーの角にある一席だ。
丸形のテーブルの上には、見たこともないほどの厚さのステーキが鉄板の上に乗っている。
南国原産のパイナップルのような果物、酸っぱさが残るソースがかかったサラダなど、色とりどりの料理が並べられていた。
「がはは!
オッサン強いな、マリアベル以外に負けたのは初めてだぜ!」
麦から作り出したビールのような飲み物を一気に飲み干して、ヴァルは机にグラスを叩くように置いた。
「偶然、運が良かっただけですよ。
この子のおかげで」
「恐縮です、マスター」
浮遊しながら両手を前で組んで控えている妖精は、瞳を伏せたまま表情を変えることはない。
「良いかおっさん、そりゃ良くねえぜ」
ヴァルは肉を食いちぎりながら、村上の肩に手を回す。
洋服はまだ赤いドレス姿のままだ。
豊満な胸囲を無理やり収めているようなドレスは、かなり苦しそうだが、どうにか弾けることなく耐えている。
「運も実力さ、それがたとえ自分のものじゃなくてもな。
己が歩いてきた道が正しかったから、運が手にしたんだ」
あんなに見事な負けっぷりをして、悔しんだにも関わらず、ヴァルは村上に負けたことは気にしていないようだった。
「マリアベルにこだわるのに、他の負けにこだわらないのが不思議に見える、そんな顔してんな」
「い、いえ、そういうわけじゃ」
ヴァルは酔っぱらうと距離感が異様に近くなっているので、下手に関わり合いたくないなあと思っていたのが見抜かれた。
「私が負けたと思わなければ、本当の負けじゃねえ。
オッサンにならいつか勝てる――お前さんとはいつでも戦えるからな」
じゃあマリアベルさんには――と、村上は言葉を出そうとして、噤んだ。
死者にはどうあがいても勝てない。
ちなみにリリーベルは清楚なワンピース姿のまま、おしとやかなエルフ系の見た目にそぐわぬ、豪快な肉片を口に頬張っていた。
食事中に口を挟まなかったのはそのためだ。
肉が美味しすぎたのだ。
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【本日の夕飯】
・ヴィーゼ産バッファローの肉厚ステーキ
・港町アクアラインの潮風と柚子のサラダ
・グランディア産パインアップル
・各アルコール類
・オレンジジュース
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「わたしも早くお酒が飲めるようになりたいですわ」
カジュアルドレス姿のまま、ちびちびとオレンジジュースを舐めているロロはボヤいた。
いまだにお嬢様言葉がミャウ族に戻ってずお嬢様言葉なのは、まだカジノの余韻が抜けていないことと、ドレス姿だからだろう。
「母がこの港町で飲んだというマイタイ――いただきます」
村上はお酒に詳しい方ではないが、お酒の名前は聞いたことがあった。
ハワイで有名なフルーティーなカクテルで、トロピカルカクテルの女王と呼ばれている。
ラム酒をベースにしたフルーツのリキュールやシロップを加えている。
「……あ、美味しいですね」
口元を押さえながらリリーベルは、はふ、と息を吐いた。
「普段、アルコールは飲まない私でも飲みやすいです」
「どれどれ……」
リリーベルと一緒にたしなむと約束していたので、村上もライムの皮やミントが添えられたマイタイを口に含む。
「お……いいね」
アルコールが持つ独特の風味は少なく、ジュースに近い感覚で飲める。
村上は下戸なのでアルコールは得意ではないが、それでも美味しく飲めるお酒を知ったの収穫だった。
「ヴァルさんは何を飲んでるんです?」
「これはスピリタスだ」
(スピリタス……どこかで聞いたことあるな)
これらの品名は軽食の女神により、異世界語を村上に伝わるように翻訳されているのだろうが、この名前には聞き覚えがあった。
(クイズかなんかで聞いたんだ。
アルコール度数96%の最高純度を誇る酒――!)
度数96%といえば、ほとんどエタノールだ。
火気厳禁レベルじゃなかろうか。
「オッサンも飲むか?」
「いえ、遠慮しときます」
さっと断ったとき、すらりとした白い腕が代わりに伸びてきた。
「にへへへ、これはあ、どんなあじらんでしょう」
「リリーベルさん、お約束のように分かりやすく酔ったな!?」
このまま口に含んだら、明日は自分の治癒魔法が必要になるだろう。
最悪、清楚系エルフにあるまじき状況が訪れる可能性もある。
村上は光よりも速いスピードで口に運ぼうとしたグラスを奪う。
「ああ、なああにするんれすかあ」
リリーベルの目はとろんと溶けている割に、手の動きだけはやけに素早い。
(絶対にリリーベルさんに飲ませるわけにはいかない!)
「後のことは任せた、ロロさん、ミルフィーユ」
二人が何かを言う前に、グラスをぐっと口元に充てる。
「南無三――!!」
刺すような刺激と強烈な焦熱感が喉元を駆け抜けた途端。
(あ――だめなやつだ)
すとんっと膝から力が抜けていくのが分かった。
最後に見たのは、ゲラゲラと腹を押さえて大爆笑しつつ、瓶のままスピリタスを煽る世界一美しいエルフの顔だった。