――ひどい悪夢を見た。
会社でこき使われ、ゴミのように捨てられる未来――あれはもう、俺の過去の話なのに。
「うあ……」
上と下の瞼が縫い付けられているような感覚を覚えながら、なんとか上瞼を持ち上げる。
粘着したセロテープが剥がれていくみたいに目を開くと、部屋の中はまだ暗闇だった。
「何時だ……?」
部屋に時計はないが、朝日も感じないので丑三つ時くらいだろう。
なぜか顎と頬骨が痛い。
さらに強い喉の渇きを覚え、村上は体を起こそうとする。
「うん……?」
腕が動かない。
正確には腕も足も動かない。
首だけは動く。
「し、縛られてる……!?」
なぜか両手両足がロープで縛られていた。
(なんだ何が起こったんだ?
確か俺はスピリタスを一気飲みして――そこから記憶がない)
自室のはずだが、自分が縛られている理由が分からない。
縛られたことで脳が覚醒し、今まで気が付かなかった感触が傍にいることに気が付いた。
「――すぅ……すぅ……」
漏れる息は規則正しく。
村上の方を向きながら、掛け布団の中で一緒に寝ているエルフが一人。
リリーベルである。
金髪の髪はシーツの上に流れ、触れてしまうと壊れてしまうような繊細さがある。
うっすら見えるドレス姿から、そのままベッドに倒れ込んだのかもしれない。
(何がどうなってるんだ。
俺は動けずリリーベルさんは横で寝てる……)
何らかの間違いを疑ったが両手両足を縛られているし、服装もタキシードのままなので、少しばかり安心した。
「ミルフィーユ、起きてるかい?」
囁くように問いかけると、蛍のようにぼんやりとした光が、顔の横に降り立った。
「マスター、お目覚めですか」
「えっと、多分色々ありがとう。
状況説明を頼む」
「はい、かしこまりました」
眼鏡があったら、くいっと持ち上げる仕草をしてミルフィーユは、抜け落ちた記憶のピースをはめてくれた。
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月明かりが差し込む部屋で、ぼんやりと光るメニュー画面をタップする。
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【本日の飲料】
・水
・0G
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手の中に生まれた紙コップを一気に煽ると、やっと酔いから解放してきた気がする。
「つまり、俺はフラフラになりつつも、リリーベルさんを抱きかかえロロの部屋へと運んだ。
意識を失いながら自室のベッドで倒れたが、ミルフィーユにお願いだけはしてたのか」
解放された両手両足をさすりながら、テーブルの上で姿勢良く直立しているミルフィーユに投げかけた。
「――誰かが入ってきたら、マスターの両手両足を縛っておけ、とうわごとの様に仰って深い眠りに落ちていきました」
「思い出してきた気がする。
酔ったリリーベルさんはお姫様抱っこをせがみ、どうしても一緒に寝ると俺の顎へアッパーを入れた挙句、プロボクサー顔負けのジャブと右ストレートのコンボを放ったことを」
顎が痛いのはそのせいだった。
リリーベルさんがボクシングでいうところのミニマム級くらいで助かった。
「普段しっかりしている姿からは想像もつかぬほどの、甘えん坊でございました」
「それを予測して、問題が起きる前に俺の手足を縛るお願いをしてたんだったな……ありがとうミルフィーユ」
「リリーベル様はお花を摘みに行った後、戻る部屋を間違えたようですが、マスターの予想通り、両手足を拘束して正解でございました」
ただのオッサンがこんなにも純粋無垢なエルフに触るなんておこがましいし、誤解を生むのも彼女に申し訳ない。
「先に目を覚ましたのが俺で良かった」
「そうでございますね。
さて、必要なモノはございますか?」
「十分助かってるよ、夜遅くまでありがとう。
ミルフィーユも、もう休んで大丈夫だ」
深々とお辞儀をしたミルフィーユは、テーブルの鉢植えにふわりと舞い降りた。
花開いた花弁を寝台にして、静かに目を閉じた。
「ふう……」
飲み過ぎた後で、変に目が覚めてしまった。
もう一度、リリーベルの横で寝る訳にもいかないので、酒気を飛ばすために窓を開けた。
誰もが眠りに落ちている街並みには、かすかに波音がこだまする。
寄せては返すさざ波は、寝れない夜にうってつけのBGMだ。
頬を撫でる春風は心地よく、レースカーテンはわずかに揺れる。
ミルフィーユもすぐに寝付いたのか、優しい寝息が二つに増えた。
「明日は客船ヘルメスに乗船か……どんな船旅になるんだろうな」
長い一日だった。
アクアラインに到着してから嵐のように過ぎ去った気がする。
「そういえば俺、クラスチェンジしてたな」
今ならじっくりとスキル画面を見ることができそうだ。
職業が『脱サラして独立した軽食屋のおじさん』になった俺は、これまでのファストフードスキルとは違うスキル構成に感嘆の声を漏らしてしまった。
「屋台設置、店舗設置……自分の店を持てるのか。
げげ、目を覆いたくなるGだな!?」
購入の文字は"0"の桁が違う。
さすが所有物件である。
もしかして所有物件は不動産経営もできるんじゃ――なんて考えもよぎったが、今は元手がない。
「レンタルならいけそうだな……軽食の女神さん、ずいぶん手広いスキルを考えたじゃないか」
メニュー画面を閉じると、部屋には再び月明かりが舞い降りた。
「店は何らかの形で持ちたいしな。
次の目標は物件購入できるほど金を貯めるだ」
そしてリリーベルをはじめ、ロロやミルフィーユにも美味しい料理を食べてもらうのだ。
内装はミルフィーユに相談して、お洒落な店にしたい。
そんな期待が持てる未来の妄想をするだけで時間はすぐに過ぎて行く。
遠い地平線の彼方が明るみ始めても、その思考が途絶えることはなかった。