旅船ヘルメスは本土グランディアの港町グランマルシェを目指して大海原を進む。
潮風と波は今日も穏やかで、上甲板は緩い雰囲気が漂っていた。
鼻歌を歌いながら掃除するリザードマンの船員が居れば、中央に位置する露店区画で商品を物色する旅客の姿も目立つ。
港町グランマルシェまでは二泊三日で到着するので、ちょっとしたバカンス気分で今日も船は進んでいた。
太陽光に反射する宝石を数多く取り揃えた露店が、ひときわ目を引いていた。
店主は寝ているのかと思うほど目が細い、フォックス族の青年ミナトである。
ゆったりとした革の洋服に身を包み、椅子に座りながら妙齢のご婦人の相手をしていた。
「こちらはアメジストの指輪です。
お姉さんえらいベッピンさんやから、このくらい引かせていただきますよ」
ミナトの出身地の訛りは、村上がもし聞いたら、関西弁を真似しているエセ関西弁と感じるだろう。
「まあ、お上手ね」
ミナトの流れるような身振り手振りは、妙齢のご婦人を宝石へと巧みに誘う。
「でも少し高くないかしら」
「いえいえ、僕は本音しか言えない呪いをかけられてますねん。
それに、高価な指輪を持てば、宝石のようなお姉さんの毎日に輝きを添えるんとちゃいますか?」
アメジストの指輪を手に取りご婦人の指にはめると、夫人の瞳がキラキラと輝きだす。
「そうね、装飾も悪くないし――では、いただくわ」
胡散臭さが逆にツボに入ったのか、夫人はまんざらでもなさそうだった。
ついには財布の紐を緩めて、アメジストを購入した。
「またお待ちしとります。
お、そちらのお嬢さんは女優さんです?
品性が全身からあふれでて、隠しきれてませんよ。
そんな方にはこっちのトパーズのネックレスなんてお似合いです」
ミナトの露店には貴族の夫人が入れ代わり立ち代わり訪れ、他の商人たちが見ても、かなり繁盛しているように見えた。
商人ギルドの中でもミナトの話術は群を抜いており、相手を褒めることで購入へと誘導していくテクニックは、すでにスキルの一つといっても過言ではない。
ときには小粋な雑談を挟み、信頼を経て、さらに懐に入り込むように探って、購入意欲を高める。
商売人魂を発揮するミナト露店の影には、相変わらず薄汚れたマントに身を包んだナミカゼが、ミナトの背中を冷めた目で見つめていた。
(よくあんなに胡散臭い言葉を吐き、作った笑顔を維持できるもんだ――)
ナミカゼは幼い頃から高い戦闘訓練を村で受けてきた。
村自体が傭兵育成に力を注いでいたので、戦い以外の事はとんと疎い。
厳しい教官と常に行動してきたときは感情の全てでぶつかってきた。
だからミナトのようにその場限りで、相手の機嫌を高める言葉や表情を理解できない。
(必要なら買う。
不要なら買わない。
それだけだろ)
長い関わりがある相手ならともかく、 一期一会で機嫌を取るのは馬鹿らしく思える。
(まあいい、俺の役割は護衛だ。
危険があれば剣を振る。
そこに愛想は不要だ)
マントの中で愛剣である片手剣の柄に触れる。
(噂ではヘルメスにあの
古代遺跡の都を一瞬にして葬った力――使えるものなら使うがいい)
どんな見た目かしらないが、街を消し去るほどの力なら、魔法使いか魔法剣士の恰好をした不気味な類だろう。
魔法ではない、ただの技で街を消滅させることは不可能だからだ。
(だが、冒険者ギルドでは彼女が放つ技は光よりも早く、空間や時間さえも断ち切ると言われている――もしや伝説に聞く、東洋の"気"を習得した人物かもしれない)
もしそうなら見た目は筋肉の塊のような少女なのだろう。
災厄の少女というくらいなのだから、少女ということだけは確かだ。
冒険者としての血が疼くの感じて、ナミカゼは身震いした。
(いや違う、これは――オオカミとしての本能。
どちらが最強かを知りたい習性そのもの)
退屈な船だがトラブルの一つでも起きないものかと不謹慎に想像して、ナミカゼは自然と口元を歪ませる。
「悪い顔が出とりまっせ、ナミカゼ」
「ミナトさんにだけは言われたくないです」
宝石販売に一区切りがついたのか、水を飲みにミナトは裏へと一瞬顔を出しに戻ってきた。
「ナミカゼも一緒に販売やらへん?
可愛い顔しとるから、きっとご婦人方に気に入られると思うで」
「何度、誘われても遠慮します」
「はは、せやな。
ほな、倉庫番はしっかり頼むで」
「言われずとも――ん?」
ナミカゼはふと顔を上げる。
彼の耳が普段とは違うざわめきを感じ取った。
「どないしたん?」
「やたら騒がしくないですか?」
上甲板では船が進む音と、ミナトと夫人たちのやり取りが響いていただけのはずだ。
だが今は、老若男女問わず、賑やかな声が聞こえる気がする。
ミナトも今だけはキツネ耳をぴんと立てて、音の方向を探る。
「せやな、丁度、ここの反対側。
壁の裏くらいで何かやってるみたいやな。
もし店なら、僕のとこよりも繁盛するのは、そうそうありえへんけど」
シシシと笑ってミナトは再びカウンターへと戻ろうとする。
「――モンスターなら危険です。
少し様子を探ってきます」
「お、おいナミカゼ!」
止めるミナトの声も聞かずにナミカゼは走り出した。
(ちょうど退屈していたところだ。
はぐれたドラゴンか、シーサーペントか、はたまた
片手剣を強く握りしめながら、腰を低くして壁の陰から飛び出す。
「きゃっ――!」
突然飛び出してきたナミカゼに驚いて、真白な髪を持つバニィ族の少女が尻もちをついた。
手にはトレイを持っているようで、バランスを崩しても地面におとすことはなかった。
「す、すまない」
ナミカゼ人知を超えた反射神経で彼女を避け、態勢を整える。
(どこにいる、姿を見せろ。
災厄の
しかし少年の想いはどんなふうに神に届いたのか。
「な、なんだこれは――!?」
目を見開くその視線の先には、エプロンドレスに身を包んだ少女たちが、トレイ片手に華麗に食事を運ぶ姿が、上甲板を彩っていた。