多くの商人が出入りする中、スーツ姿の村上はレンガ作りの二階建ての建物へと入る。
中には多くの商人が受付嬢とやり取りをしていて、市役所が脳裏をよぎる。
「村上と申します。
紹介状をお持ちしました」
空いているカウンターへと足を運び、手紙を渡すと、数分もしないうちに奥へと案内される。
階段を上り二階へ通される応接間のようだった。
「中へどうぞ」
受付嬢に言われるまま、ドアノブを捻り、中へ入ると、紳士のようなジャケット姿の髭を生やした男性が立っていた。
アリスと同じようにウサギの耳はついているが、ピンと真っすぐに立っている。
鋭い瞳はウサギというよりは、獲物を追う狼のようだ。
隣に立つアリスは、カジュアルだった白いドレスから、品のある装飾が施されている空色のワンピースを着用していた。
「村上と申します」
「君が、村上殿か。
まずはかけたまえ」
紳士の手に合わせて革張りのソファーへと座る。
ロロの父親の時もそうだが、どうにもこの打ち合わせのような空気は肌に合わない。
「詳細はアリスから聞いている」
重苦しい声が胃に響く。
何を言われるのかと思えば、突然紳士は立ち上がり、90度に腰を曲げた。
「え、ええ!?」
「本当にありがとう、村上殿」
予想だにしない行動に村上はついソファーから立ち上がる。
「あ、あの顔をあげてください」
「いや、どうかこのままにさせて欲しい。
アリスを救ってくれたのは君だ」
「そんな大げさな――」
「大げさではない!」
重低音が爆弾のように放たれる。
見た目も怖いが声も怖い。
(だけど、言ってることは怖くないんだから不思議だ……)
「アリスは災厄の噂から、家からなかなか出れなくてな。
私たちは見て見ぬふりしかできなかった。
仕事が忙しいと、日常に余裕がないと言ってな――だがしかぁし!!!」
舞台役者のような大声が窓ガラスを揺らす。
(なんでこんな迫力あるの、この人!?
勢いがないと商会をまとめられないのか?)
「勇気を振り絞り、未来を変えるために乗船したあの日、泣いて帰ってくるものだと私は思っていた。
だが、予想は大きく裏切られたよ。
ドアを開けた途端、十年ぶりに娘に抱きつかれたのだからなああ!」
(無駄に気合入ってるから、大事な話なのに頭に入ってこないぞ!)
「という理由で、私は頭をあげん。
何があっても、絶対にだ!
感謝を伝える術が他にないからな!!」
「いや、感謝なんて……僕はできることをやったのみで」
「なんと寛大な心の持ち主か!!!」
顔をあげない強情な父を見て、アリスは頭を抱える。
「お父さん、相変わらず声が大きい。
それにあるでしょ、
「だが、娘を呪縛から解き放ち、私に見返りも求めぬ商人がこの世にいるとは思えんのだ!
無欲ほど怖いものはない、何を考えているのかわからぬ!
感謝を誠心誠意伝えるしかあるまい!!」
「だから、声が大きすぎ。
それに商人ギルド加入証を渡せばいいんだよ。
船で困ってたよ、露店出せなくて」
「――そ、そんなことで、私の気持ちは伝わるのか?!
本当にそれで十分なのか、村上殿おおお!!」
頭をあげて、暑苦しく村上の手を握ってくる。
「は、はい、そうしていただけると助かります。
ですが――」
と、村上は紳士の手をそっとほどく。
「僕にも試験を受けさせてください。
お礼で手に入れても、意味がないと思うんです」
「この男、まさに豪気――!
こんな気持ちの良い商人がまだ世界に存在していたかあ!?」
「いたから逃したくないのよ……」
ぼそっとアリスが父親にぼやく。
「ならばだ!
試験会場は大陸中央にあるグランディア城下町、ホワイトラビット本部にて年に数回行われる。
それまで、私からの特別ギルド仮加入証を発行しよう!
細かい支援は受けれんが、何処でも店の出店が可能だあ!!」
ドドンッとSEで爆発音が響きそうなポーズを取って、紳士は俺へと顔を向ける。
「そ、それでしたら、助かります」
「そうか、では早急に手配しよう!
おい、秒で準備しろ!!
今すぐだ!!!」
距離感が掴めていない叫び声で、紳士はドアに立つ受付嬢へと指示を飛ばす。
彼女は慣れているのか、静かにお辞儀をしてその場を発った。
「ありがとうございます。
それにアリスさんも、ありがとう。
俺にとっては最高の贈り物だよ」
いまだポーズを取っている父親の隣でアリスは片目を瞑り、ウィンクをする。
「本当は足りないよ。
ムラカミオジサンにとっては些細な出来事だったかもしれない。
でも、私の人生が大きく変わった瞬間だったんだから」
船で出会った自信のないアリスはそこにはなかった。
これが本来の彼女なのだろう。
村上がホッと胸を撫で下ろしている間に、特別ギルド仮加入証が部屋へと運ばれ、本当に数秒で作られたようだった。
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村上がホワイトラビット商会を後にし、グランマルシェ北門へと向かうため、大通りを歩き出した。
この特別ギルド仮加入証さえあれば、店を持つことも可能だ。
(賑やかだな……ここで一度、店を出店するのも悪くないな)
クラスチェンジにより、独立したオッサンになると、スキル構成は軽食召喚のみでなく、店舗を召喚したり、露店を呼び出したりなど、商売方法の幅が広がっていた。
軽食の女神に作成費用のGは支払うものの、店は容易に作り出せるだろう。
チートスキルのテスターでもあるので、販売商品は現代の軽食を召喚して販売するには違いないが。
こればかりは素人の村上では料理を上手に作ることはできない。
だが慣れてきたら地元料理も勉強して、店を拡張してもいいだろう。
(けど、そうなると旅は続けられない――)
旅路の傍らにはいつもリリーベルが並んで歩いていた。
何故か笑顔が頭から離れない。
その横ではロロが頭の後ろで腕を組みながら、鼻歌でも歌いそうにご機嫌で歩く。
(自由に旅をする、か。
一人気ままに店舗を運営するか)
村上は頭を振る。
久しぶりに思い悩み、なんだかどれが正しいのか分からなくなってきた。
これは会社を転職しようか、毎日悩んでいた時と同じじゃないか。
「マスター」
まるで村上の気持ちを察したように、ミルフィーユが声をかける。
「私の道は何があろうとマスターと一緒です。
そしてマスターの選択なら、リリーベル様もロロウェルミナ様も、全て納得されると私は思います」
「ミルフィーユ……ありがとう」
(そうだな、今の俺は現代の時の俺じゃない。
色々な人と出会い、話、食事をして――具体的には変わってないけど、何かは違う、そう思えるんだ)
あの、夜に見つけた軽食の女神のお店の時とは違う。
「ん?」
大通りから繋がる裏路地への小道。
深い影を落とすところに不自然な光が漏れていた。
まるで店舗の明るい光が漏れている――。
村上が足を止めて目を凝らすと、その光の中には一つの人影があった。
彼女はこちらが気が付いたのを見て、右手を軽く上げて、営業スマイルを浮かべる。
「いらっしゃいませ、軽食の女神のお店へ。
お久しぶりです――村上さん」