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第56話 牛丼も喉を通らないのは何のせい?

 グランマルシェはアクアラインに比べて、賑やかさの質が違う。


 ヴィーゼ領のアクアラインは異国文化が次々と輸入され、文化が混ざり合ったようだった。


 本土の港町グランマルシェは、他種族や多文化を大きな器に受け入れ、それらが争うことなく溶け合って共存する、まるで奇跡のような街にリリーベルには思えた。


(それでもエルフを見ることは稀……旅をする珍しいエルフは私とヴァルくらいなのかも)


 エルフは土地に根付き、古からの文化を大切にする習わしから、外に出ることを禁忌としている。


 一度外に出てしまえば、二度と里に受け入れられることはないだろう。


(それでも私が外に出たのは、広い世界が見たいから。

 それに、どうして私だけが、広い世界を見たいと思うかを、――知りたいから)


 きっと破天荒な母親マリアベルと、変わり者の小説家である父親セリウスの血が、好奇心旺盛な性格を作り出したのだろう。


(なら私はこれからもずっと旅を続けるのかも、母のように。

 彼女が何を見て、どう感じたのか、それを知って私の中で何が変わるのか――それが知りたい)


 リリーベルは椅子に座ったまま、数分ほど黙っている。


 村上とミルフィーユが旅立った後も、買い物には行かず、四人掛けのテーブルにずっと残っていたのだ。


「リリー、何かあったにゃ?」


「ごめんなさい、ロロ。

 少し心配、かけましたよね」


 苦笑いしながら顔をあげる。


「実はその――ムラカミさんとの雇用契約がこの港町。

 グランマルシェまでなんです」


「え――」


 ロロは驚いて息を飲む。


「当時は長く拘束するのは迷惑をおかけすると思ったので、つい口にしてしまいましたが――今となっては」


 リリーベルが言葉を探す。


 この気持ちを何と言葉にしていいのか分からなかった。


 寂しいような――子供の頃に感じた、夕方の家で誰もいない中、留守番をしているような気持ち。


 村上は本当はやりたい夢を持っているように見えるときがあった。


 旅をしながら、色々な露店や飲食店に興味を持ち、お店を持ちたいのかなと、見てて感じていた。


(私はムラカミさんの想いの足枷になっていないでしょうか……)


 だからといって、簡単に雇用契約を割り切れるほど、リリーベルは思い切りの良い性格じゃないのは自分でも理解していた。


(……何故こんなに悩むのでしょう)


 今までどんなパーティーと旅をしても、胸が締め付けられるような思いを感じたことはなかった。


 理由は分からない。


 けれど、彼と話すと――いや、話さなくても、その距離と空気だけで心地良く感じられるのだ。


(これは私の我がままという思いなのでしょうか)


 だが、この本土グランディアを旅する者にとって、再会は期待できない。


 広大な世界を渡り鳥のように飛ぶなら、二度と会うこともないのかもしれない。


 悩むリリーベルを見て、ロロは代弁するように口を動かす。


「名残惜しい、にゃ?」


「そうだと思います……けど、他にも何かが含まれているような気がして、なんだか苦しいような――食べ過ぎでしょうか?」


 食べ過ぎたなんて思うあたりが、いかにもリリーベルらしい――そう思いながら、ロロはふっと口元を緩めた。


 しかし、その気持ちを口にすべきかどうか、少し迷った。


 こればかりは他人に言われるべきではないのだから。


「食べ過ぎではないと思うにゃ。

 でも、その気持ちのまま、師匠に伝えればいいんじゃないかにゃ?」


「こ、この言葉にならない気持ちをですか?!

 ええっと、それは、なんというか、口にしにくいというか――――――――不思議です!」


 頬を染めながら、村上から貰ったワスレナグサを模った青色の髪留めにそっと触れる。


「花言葉、知ってるでしょう、リリー?」


 子供に言い聞かせるようにロロは珍しく優しい声音を発する。


「ワスレナグサは、私を忘れないで。

 そしてもう一つの意味は――真実の」


「だ、だいじょうぶです。

 けど、けどですよ、そのもし、こんな話をするだけで、嫌がられるんじゃないかなって……」


 リリーベルの悩みは、まるで学び舎に通う幼児とおなじくらいの悩みのようだ。


 経験値が足りな過ぎて自分でもどうして良いのか分からないらしい。


「リリー、言葉は想いを乗せるためにあるよ」


「ロロ……」


 リリーベルが、両手をぎゅっと握る。


 想いは、まだ形になっていない。


 何をどう伝えるか分からない。


 けれどロロの顔を見て話していたら、雇用契約のことでクヨクヨするのが小さなことに思えてきた。


(そうだ、伝えればいい。

 これからどうしたいか、ただそれだけなんだ)


 今まで参加したパーティーではエルフらしい姿を期待され、リリーベルもそれに応えてきた。


 品性方正、人品骨柄、品性高潔、他人に寄り添いすぎた結果、自分を押し殺し過ぎていた。


 けれど、彼の前では取り繕う必要もなかったはずだ。


 「ありがとうございます、ロロ。

  ロロが友達で本当に良かった」


「えへへにゃ」


 ロロは照れて、わざとらしくフードを被る。


 鼻の頭まで赤い気もする。


「ではすぐに向かいましょう。

 北門はこっちの坂道から行くとすぐです――」


 ため込んだ気持ちが何処かに行ってしまう前に、想いを伝えたい。


 爆発的な力が足元から沸き上がってくる。


 今ならどんなことが起きても、驚かない。


(そういえば母さんの手紙にも書いてありました。

 父さんと結婚したときは、彼が引くほど熱弁しすぎたけど――いい思い出だったって。

 奇遇ですが、これまでの旅のように、私も母さんと同じをするのかもしれません)


 一歩踏み出した、その時。


 坂道を上る一つの影を見つけた。


 影はひょろ長く、遠くから見たら枯木のようだ。


 学者のような落ち着いたローブに身を包み、髪は白く、ぼさぼさだ。


 左目にはモノクルを装着していて、魔法使いのようにも見えるが、あまりに頼りないので職業は判別つかない。


 髪の間から揺れる長い耳はエルフ族を証明している。


 顔色の悪さと猫背のせいで、今にも倒れそうに見えるその人物は、小高い丘から見える風景を見下ろしながら登ってきたようだ。


「あああ、なんていい景色なんだ。

 これを知らずして、何が人生か」


 男は懐から手帳を取り出して、さらさらと何かを書いている。


「君にも見せたかったなぁ、またこうして旅をしたいよ。

 いや、もう無理なのは分かっているが――それでもそう思わざるを得ない。

 理論も金銭もすべて関係なく、感情のみが君を愛しくる」


 元々説明が長いのか、一人で淡々と話しながら、書き終える。


 彼がふと前を見たとき、歩き出していたリリーベルと目が合った。


 その時のリリーベルの表情を見たロロは、後にも先にも、あれほど驚いたリリーは見たことがないと語る。


「と、父さん!?」


 世界を巡っているはずの父親と、偶然出会ったのだから、仕方のないことだけども、と付け加えたという。

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