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第58話

 港町グランマルシェはいつも通り、人々の営みが繰り返されている。


 漁師は朝早く起きて港に向かい、レストランは朝食から夕食まで店員が忙しそうに駆けまわり、商人たちは買い付けに追われる。


 街のどこかで子どもが生まれ、老人は地に還る。


 誕生日の者もいれば、重要な人生の決断を下した者もいるだろう。


 学び舎に出かける子供や仕事に追われた大人も、夕方になれば安心して家へと帰る。


 しかし残酷なことに、世界は誰か一人が欠けても、何事もなく巡る。


 それは死だけではなく、普段とは違う人生の歯車へと変化しても、誰も気には留めない。


 それが生命。


 営みの欠損を補う完璧なシステムだが――グランマルシェで選択に迫られている二人は、奇遇にも同じことを思っていた。



『――それでも、もし僕(私)が選択を受け入れたら、悲しんでくれる人はいますか?』



 答えてくれる相手はその場にはいない。


 一目でも姿を見たいけど、その願いは叶わない。


 生きる道が枝分かれするとき、答えを導き出せるのは自分だけなのだから。


++++++++++++++++++++++


「日本に帰れる――?」


 裏路地にこだまするはずの喧騒が、まるで聞こえない。


 心臓の鼓動が鼓膜を揺らし、脳はまるでハンマーに叩かれたかのように躍動する。


「異世界への転送はそれなりのエネルギーを必要としますからね。

 調子が良くなった転移者の方には、バイタルチェック時に確認しているんです」


「これを逃すと――どうなるんですか?」


「私から帰る手段は提示できません」


(それはつまり、二度と日本に帰れないということか?)


「私の鑑定スキルで見たところ、村上さんは体力精神ともに健康的になりました。

 メンタルからくる味覚障害、睡眠障害も回復し、現代でも問題なく働いて生きていけるでしょう」


「ちなみに帰ると時間はどうなってるんです?」


「数時間経過した程度です。

 時間という川に流されるのは3次元の概念ですから、神からすれば時間なんてただの本屋みたいなものです」


 女神の説明はよく分からないが、とにかく帰っても時間は経過していないようだ。


「あの環境に戻れば、また――苦しい気がします」


 思い出すだけでも、胃酸が喉元に戻ってくるようだ。


「ご心配なく。

 村上さんはチートテスターを、ほぼ全うしました。

 ここにお礼として、現代チートスキルが選択可能となりました!」


 ババンッと、マクドゥ・ナルトン風のメニューを取り出して、村上の前に差し出す。


 メニュー項目はジャンルに分かれていた。


--------------

【現代チートスキル】

・即死系

・製造系

・洗脳系

・金銭系

・脳筋系

・ハーレム系

 ……etc

---------------


「いやいや、物騒な物ばかりじゃないですか!?」


「これで上司も黙りますよ」


「黙っても困りますよ。

 まっとうに生きていけないじゃないですか」


「ですが過酷な日本社会を生き抜くには、多少の武装も必要です」


「修羅の国か何かですか!?」


「神から見れば今の人類は修羅の国そのものですよ。

 もちろん神の国アースガルドも毎日ラグナロクですがね★」


(ラグナロクってそんな簡単に起きるもんなの……?)


「では、どのメニューにしますか?」


 軽食の女神は営業スマイルだが、何故か瞳だけは熱がこもっている。


 彼女の瞳の強さが、重大な選択なのだと物語っているのだ。


(日本に帰れる、けど帰る気はない)


 選択肢は決まっていたが、この問いにより、大切なことに気が付いた。


 軽食の女神に『日本に帰還できる』と提案されて、すぐに思い浮かんだことは、たった一つ。


 沸き上がる想いは、あんなに思い悩んだ店舗出店の悩みすら、いとも簡単に解決できた。


「俺の答えは――!」



++++++++++++++++++++


「父さんと母さんと旅をする……?」


 大通りの雑踏はリリーベルに、まるで聞こえない。


 心臓の鼓動が鼓膜を揺らし、脳はまるでハンマーに叩かれたかのように躍動する。


「エルフは旅に出るべきだと何度も作品で語ってきたが、世間の目は寂しいものだ。

 未だにエルフとはかくあるべき――と押し付ける輩が世界には大多数さ。

 僕はね、会えた時に提案しようと、心の片隅でいつも思ってたんだよ」


 寂しげな眼でリリーベルを見つめる。


(けど父さんはいつも私を通して遠くを見ている。

 その先にあるのは、間違いなく母さん――)


 父親はいつも優しく、マリアベルが亡くなった後も変わらずリリィを気にかけてくれていた。


「どうだい、生まれたての頃のように3人で旅をしないか?

 見える世界はきっと違うだろう。

 母さんが歩いた道を、僕と一緒に体験していくんだ」


 セリウスは、それはとても素晴らしいことだと言わんばかりに両手を広げる。


「僕は母さんと何度も世界を巡った。

 そこで生まれた想いも、景色も全て詳細に伝えることができる。

 リリィも、そうだろう。

 母さんの旅路を追ってるんだろう?」


「ええ、そうですが――」


 アウラレイクでのヴァルとの水路ボートレース。


 鉱山ダンジョン探索。


 港町アクアラインでの酒場やカジノ。


 偶然だけど海上での翼竜との接触。


 どれも母さんが体験したことだ。


(私はまだ母さんを超えてない。

 まだ母さんがどんな思いで世界を巡ったのか知らない――でもそれよりも)


 リリーベルは自分の想いを確かめるように、ワスレナグサの髪飾りに手を添えた。


「父さん」


「なんだい?」


「母さんは手紙で言ってた、あなた自身の物語を紡いでって」


「そうか、なら――そうなんだろうな」


 その一言で、全てを理解したようにセリウスは深く椅子に座り直す。


「言葉は想いを伝えるためのものだ。

 口にすれば真実になる事だってあり得る」


 両手の指を合わせ、覚悟したように顔の前で組む。


「リリィの口から聞かせて欲しい、結論をね」


 父の提案を聞いたとき、浮かんだ映像がある。


 この問いにより、大切なことに気が付けた。


 今一度言おう。


 セリオスに『家族で旅をしないか』と提案されて、すぐに思い浮かんだことは、たった一つ。


 沸き上がる想いは、あんなに思い悩んだ些細な感情すら、いとも簡単に解決できた。


「私の答えは――!」


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