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第7話 第6章 四天王戦2――屍姫カーミラ戦

6-1 闇に沈む交易都市ミラドール




 春を告げる風がルンバリア王国を吹き抜ける季節――


 しかし、王宮には穏やかさとはほど遠い緊迫した空気が流れていた。




「北西部ミラドールの件、状況が悪化しています」




 静香は、玉座の間で王国宰相グラハムから報告を受けていた。




 ミラドール――ルンバリア王国の北西に位置する、大きな交易都市。


 豊かな資源と交易路に恵まれ、王国屈指の繁栄を誇っていた町だった。




 しかし今、その街が、闇に沈んでいる。




「……屍姫カーミラ」




 静香は低く呟いた。




 四天王のひとり、吸血姫にして血の呪いを操る者。


 先の戦いで討たれた屍の将軍ヴォルグの仇を討つべく、カーミラはこの町に暗黒をもたらしていた。




「現在、ミラドールは『血の呪い』によって、町ごと死の領域と化しています」


「血の呪い……?」


「はい。屍姫カーミラの魔力によるもの。感染した者は生きながらにしてアンデッド化し、夜な夜な徘徊を続けているとか」




 グラハムの表情は重い。


 呪いの拡大は留まるところを知らず、すでに住民の八割が被害に遭っているという。




「軍を投入するにも、近づいただけで感染する危険がある。打つ手なし……というのが現状です」




 王の顔にも深い疲労が刻まれていた。


 魔王軍による侵略の手は、止まるどころか日に日に強まっている。




 静香は静かに村雨の柄に手をかけた。


 自分に与えられた力――この『村雨』なら、きっと。




「私が行きましょう」




 静かだが、断固たる声。


 その場にいたすべての人が、一瞬息を呑んだ。




「しかし、勇者殿!」




 グラハムが慌てて制止する。




「これは、あまりにも危険すぎます! 何より、屍姫カーミラは、ただの四天王ではありません。魔王軍の中でも、特に狡猾で、残忍な……!」


「分かっています」




 静香は微笑んだ。


 その瞳は、決して曇ることがなかった。




「けれど、私は、助けたい。まだ救える命があるのなら」


「勇者殿……」




 グラハムは、ただうつむくしかなかった。




 玉座の上から見下ろす王も、深く息をつき、そしてゆっくりと静香に頷いた。




「……頼む。勇者よ」




 その一言が、すべてだった。




 静香は膝をつき、丁寧に一礼する。




「必ず、ミラドールを取り戻してみせます」






 ◇ ◇ ◇






 支度を整えた静香が、馬車に乗り込もうとしたそのときだった。




「勇者様っ!」




 声を上げて走り寄ってきたのは、ハイネルだった。


 金色の髪を風に揺らし、必死の形相で彼は静香に近づく。




「ハイネル王子……?」




 静香は思わず微笑んだ。


 まだあどけない顔には、しかし抑えがたい不安が滲んでいる。




「本当に行ってしまうのですか? ミラドールへ……」


「ええ」


「危ないんですよ!? 屍姫カーミラは、これまでの敵とは違う。勇者様だって……!」




 必死に静香を引き留めようとする。


 だが、静香はそっとハイネルの肩に手を置いた。




「ありがとう。心配してくれて」


「……」


「でも、私は大丈夫。あなたがいるこの世界を、守りたいから」




 静香の声は、春の陽だまりのように温かかった。




「それに……」


「それに?」


「――あなたがここで待っていてくれるから、私はきっと戻って来られる」




 ハイネルの顔が、ぱっと赤く染まる。




「ぼ、僕は……」




 何か言いかけたが、言葉にならない。


 静香は小さく微笑むと、優しく彼の頭を撫でた。




「信じて待っていてくださいね」


「……はい」




 小さな声だったが、ハイネルはしっかりと頷いた。






 ◇ ◇ ◇






 ルンバリア城を出発した静香の一行は、数日かけて北西へと進軍した。




 ミラドールへと続く道は、途中から異様な気配に包まれていた。




 草木は枯れ、空気はよどみ、地面には無数の獣の骨が転がっている。




 まるで、そこだけ別世界のようだった。




「これは……」




 静香は立ち止まり、空を見上げた。


 空もまた、薄く血の色に染まっている。




 血の呪い――




 町を覆い、すべてを蝕んでいく暗黒の力。




 静香は静かに村雨を抜いた。




 鞘から現れた刀身は、清らかな光を帯び、周囲の瘴気をはじき飛ばしていく。




「いきましょう」




 誰に告げるでもなく、静香は前へ歩を進めた。




 その背には、重い使命と、守るべき人への想いが、確かに宿っていた。






6-2 血の呪いと対峙する




 ミラドールの街へ近づくにつれ、静香は肌を刺すような悪寒を感じていた。




 街を包む血の瘴気は、見えない毒のように周囲に染み渡り、踏み込む者の生命力をじわじわと削り取っていく。




「……ここから先は、普通の人間では耐えられないでしょうね」




 静香は小さく呟くと、同行していた騎士たちを振り返った。




「ここからは私一人で行きます」




 騎士たちは驚いた表情を見せたが、すぐに敬意を込めて頭を下げた。




「ご武運を、勇者殿……!」




 静香は頷き、たった一人で街へと足を踏み入れた。






 ◇ ◇ ◇






 ミラドールの街並みは、かつての繁栄の面影を完全に失っていた。




 石畳の道はひび割れ、家々は崩れ、赤黒い瘴気が町中を漂っている。




 時折、かすれた呻き声が響き、かつての住人たちが屍と化して彷徨っているのが見えた。




(……これが、屍姫カーミラの血の呪い)




 静香は村雨を構え、慎重に歩を進めた。




 瘴気に包まれたアンデッドたちは、彼女の気配に気づくと、ぞろりと振り向いた。




 そして、狂ったような叫び声を上げながら、いっせいに襲いかかってきた。




「来るなら、まとめて来なさい」




 静香は静かに息を吸い、村雨を一閃する。




 その刹那、清冽な光が放たれ、接触したアンデッドたちは触れた瞬間に浄化され、黒い煙となって消滅していった。




「やはり……この村雨は、呪われし者たちに対して絶対的な力を持つ」




 静香は確信を深めた。




 屍の将軍ヴォルグを討ったときもそうだった。


 村雨に込められた「清浄の力」は、邪悪な存在にとって天敵そのものだった。




「でも、これで油断してはいけない」




 静香は自らに言い聞かせる。




 カーミラは、ただアンデッドを操るだけの存在ではない。


 彼女自身が恐るべき魔力を持ち、血の呪いを自在に操る――四天王の中でも最も狡猾な相手だ。






 ◇ ◇ ◇






 広場へと続く道を抜けると、そこは完全に異様な光景に変わっていた。




 地面は血の海と化し、中央には巨大な血の魔法陣が刻まれている。




 その中央に、妖艶な美しさをまとった一人の女性が立っていた。




 真紅のドレスを纏い、血のように赤い瞳を持つ美しき吸血姫――屍姫カーミラ。




「ふふ……ようこそ、勇者様」




 カーミラは妖しく微笑んだ。




「待ちくたびれたわ。あなたが来るのを……ずっと……」




「貴女が屍姫カーミラですね」




 静香は村雨を構えながら、一歩前に進み出る。




「どうしてこんなことを? この街の人々に、何の罪があったというのですか」




「罪? そんなもの、ないわ」




 カーミラはくすりと笑った。




「私が欲しかったのは、ただ……楽園。死者だけがさまよう、永遠に静かで美しい世界」


「そんなもののために、人々を巻き込んだのですか……!」




 静香の瞳に怒りが宿った。




 だが、カーミラは楽しげに続ける。




「生きているからこそ、苦しむのよ。ならいっそ、死んでしまったほうが楽でしょう?」




「……貴女は、ただ自分の孤独を埋めたかっただけ」




 静香は冷静に、鋭く見抜いた。




「死者の楽園なんて、貴女自身の空虚を満たすだけの偽りだ」




 カーミラの顔から微笑みが消えた。




「……黙りなさい」




 その声は冷たく、怒りを含んでいた。




「あなたには、何も分からない!」




 カーミラが手を振ると、魔法陣から無数のアンデッドが這い出てきた。




 街中から集められた元住人たち。


 老いた者も、若い者も、子供すらも、その魂を失い、無機質な動きで静香に襲いかかる。




「……」




 静香は村雨を握る手に力を込めた。




「貴女の悲しみは理解します。けれど、それを他者に押し付けるのは――」




 村雨が再び清冽な光を放つ。




「決して、許されることではない!」






 ◇ ◇ ◇






 静香の剣が、血の呪いを帯びたアンデッドたちを一刀のもとに浄化していく。




 しかし、アンデッドたちは際限なく湧き出してくる。




(このままでは……)




 静香は村雨を鞘に納め、一度、深く息を吸った。




 そして、次の瞬間。




「――神通力、解放!」




 静香の体から清らかな光があふれ出した。


 その光は一瞬で広場全体を包み、血の瘴気を押しのけ、アンデッドたちを消滅させた。




 カーミラの顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。




「なっ……!」




 静香は村雨を抜き直し、まっすぐにカーミラを指した。




「さあ、貴女と直接対峙する番です」




「おもしろい……来なさい、勇者!」




 二人の視線が交錯する。




 静かに、しかし確かに、決戦の幕が開いた――!



6-3 カーミラ戦後の街、ハイネルとの再会と決意の深まり




 夜明けの光が、ミラドールの街を優しく照らしていた。




 血に染まっていた空は浄化され、透き通った朝の青へと戻っている。




 静香は村雨を鞘に収め、深く息をついた。




 これまで感じていた重く湿った空気は、もうどこにもなかった。




 人々の住む場所が、ようやく「生きた街」として息を吹き返したのだ。






 ◇ ◇ ◇






「勇者様っ!!」




 街の門の方から、声が聞こえた。




 静香が顔を上げると、見慣れた金色の髪がこちらへと駆け寄ってきていた。




「ハイネル王子……」




 驚く静香に構わず、ハイネルは全力で駆け寄り、彼女の前でぴたりと立ち止まった。




「ご無事で……本当に、よかった……!」




 彼は小さく息を切らしながら、それでも真っ直ぐな眼差しを向けてくる。




 その瞳には、心からの安堵と、尊敬と、そして――。






 ◇ ◇ ◇






「ハイネル王子、なぜここへ?」




 静香は問いかけながら、微笑を浮かべた。




 ハイネルはきゅっと拳を握りしめ、答える。




「勇者様が戦っているのに、僕だけ王宮で待っているなんてできなかったんです! ……怖かったけど、でも、来なきゃいけない気がして……!」




「……そうですか」




 静香はそっと目を細めた。




 幼い彼が、それでも自分の弱さに抗いながら、ここへ走ってきたこと。




 それは何よりも尊い勇気だと、静香は思った。






 ◇ ◇ ◇






「……ミラドールの人たち、助かったんですね」




 ハイネルが街の方を振り返り、呟く。




 まだ完全には元には戻らないが、それでも壊れた家々の間から、少しずつ人々が顔を出し始めていた。




 恐怖の呪縛から解き放たれた彼らは、互いに無事を喜び合い、涙を流していた。




 母と子が抱き合い、老人たちが肩を支え合う。




 そんな光景が広がっていく様子を、静香とハイネルは無言で見つめた。






 ◇ ◇ ◇






「これが……勇者様が守ったものなんですね」




 ハイネルがぽつりと呟く。




 静香は首を振った。




「違います。私はただ、皆さんが自分で取り戻すための手助けをしただけです」




「……でも、勇者様がいなかったら、きっとこんな光景、見られなかった……!」




 ハイネルは小さな拳をぎゅっと握った。




 悔しさと、憧れと、尊敬と。




 その全てを混ぜたような、幼いながらも真剣な表情だった。






 ◇ ◇ ◇






 静香はそっと膝を折り、ハイネルと目線を合わせる。




「ハイネル王子」




「……はい?」




「あなたも、立派にこの街を守ったのですよ」




「え……?」




「怖くても、震えても、それでも私の無事を信じて駆けつけてくれた。誰かを信じて祈り、支えることも、大切な『戦い』のひとつです」




 静香の静かな声に、ハイネルは目を丸くした。




 そして、顔を真っ赤にして、少し照れたように視線を逸らす。






 ◇ ◇ ◇






「……僕、もっと強くなりたいです」




 小さく、それでも確かな意志を込めた言葉。




 静香は、まるであの日の少年の姿が重なったような気がして、胸が熱くなった。




(この子は、きっと――)




 迷いなく、静香は笑った。




「ええ、なりましょう。私も、もっと強くなりたいと思っていますから」




「えっ、勇者様でも?」




「もちろんです。人に守られるばかりでは、強さとは言えませんから」




 静香はハイネルの頭を優しく撫でた。




 その金色の髪が、朝日に照らされて輝いている。






 ◇ ◇ ◇






 ――そのとき。




 ミラドールの鐘楼から、澄んだ鐘の音が響き渡った。




 人々の歓声が広がる。




「勇者様、ばんざーい!」




「街が……街が戻った!」




 歓喜の声が、まるで波のように押し寄せる。




 静香は振り返り、その光景を見渡した。




 この街の笑顔を。




 この世界の、守りたいと思ったすべてを。






 ◇ ◇ ◇






「ハイネル王子」




「はい!」




「あなたも、この世界を守りたいと思いますか?」




「……思います!」




 力強い返答に、静香は微笑む。




「では、一緒に強くなりましょう。そして、もっともっとたくさんの笑顔を守りましょう」




「はいっ!」




 ハイネルの顔が、ぱっと明るくなった。






 ◇ ◇ ◇






 遠い未来のことは、まだ誰にもわからない。




 けれど、静香は確信していた。




 この小さな手が、いつか自分の背中を支えてくれる日が来ることを。




 いや、それだけではない。




 きっと――。




 この世界の未来を、彼が支える日が来るのだと。






 ◇ ◇ ◇






 朝日を背に、ふたりは並んで歩き出した。




 勇者と、未来の王子。




 小さな、しかし確かな希望を胸に。




 ミラドールの人々の笑顔を背に受けながら、二人は新たな一歩を踏み出したのだった。




6-4 民衆の歓迎と静香とハイネルの誓い




 ミラドールの街に戻ると、静香たちを待ち構えていたのは、予想を超える光景だった。






 ◇ ◇ ◇






「勇者様だ! 勇者様が戻られたぞ!」




「万歳! 勇者様、万歳!」






 門の前に集まった大勢の人々が、口々に歓声を上げた。




 静香が歩みを進めるたびに、道の両脇に集まった市民たちが膝をつき、頭を下げる。




 年老いた者も、幼い子どもも、皆、感謝と敬意のこもった眼差しを向けてきた。






「勇者様……!」




「ありがとう……本当に……!」




「この街を、救ってくださって……!」






 言葉のひとつひとつが、重く静香の胸に染み込んでいく。




 これが、人を守るということ。




 これが、誰かのために剣を振るった結果なのだと。






 ◇ ◇ ◇






「静香、すごいですね……」




 隣で歩くハイネルが、ぽつりと呟いた。




 彼の顔にも、自然と笑みが浮かんでいる。




 静香は柔らかく微笑み返し、そっと答えた。




「いいえ。これは、私一人の力ではありません。ここにいる皆さんが、諦めずに生きようとしたからこそ」




「……それでも、勇者様がいなかったら、この街は……」




「それでも、です」




 静香はきっぱりと、優しく断言した。






 ◇ ◇ ◇






 やがて、街の中心部、広場へと辿り着く。




 そこには、臨時に設けられた壇上があり、ミラドールの町長や騎士団長が待っていた。




「勇者殿!」




 町長が感極まった様子で駆け寄ってきた。




「この街を救ってくださり、誠にありがとうございました! 町民一同、心より感謝を――!」




 深々と頭を下げる町長に続き、周囲の人々も一斉に頭を垂れる。






 静香は、しばしその光景を眺めた後、ゆっくりと口を開いた。






「顔を上げてください」






 その凛とした声に、人々は驚きながらも顔を上げた。




 静香は穏やかに微笑みながら言った。






「私は、皆さんが立ち上がる力を信じています。どうか、この街を、皆さん自身の手で取り戻してください」






 短く、しかし力強い言葉だった。




 民衆たちの瞳が潤み、広場全体が感動に包まれる。




 拍手が自然と沸き起こり、それはやがて、街全体を包み込むような大きな歓声へと変わった。






「勇者様、万歳!」




「勇者様! 勇者様!」






 静香はその中で、静かにハイネルの手を取った。




 そして、そっとささやいた。






「ハイネル王子、これが――『守る』ということです」




「……!」






 ◇ ◇ ◇






 やがて式典が終わり、町の人々はそれぞれ家族や仲間と喜びを分かち合いながら帰っていった。




 広場の隅、すっかり静かになった場所で、静香とハイネルは並んで座っていた。




 夜空には、無数の星々がきらめいていた。






「……静香」




 ハイネルが小さく呟く。






「僕、いつか……勇者様のように、誰かを守れる人間になれますか?」






 その問いは、とても真剣だった。




 だからこそ、静香も真剣に答えた。






「ええ、なれます」




「本当に?」




「本当です。あなたには、それだけの強さがある。私は信じています」






 ハイネルは顔を赤らめながら、それでも嬉しそうに微笑んだ。




 静香もまた、そっと微笑みを返す。






「……僕、静香を守れるくらい強くなります」




「え?」




「大きくなって、もっと強くなったら……今度は僕が、静香を守る番です!」






 その言葉に、静香の胸がぎゅっと締め付けられた。




 あの日――十年前。




 自分を守るために、無茶をして怪我を負った、あの少年。




 彼の面影を、目の前の少年に重ねながら、静香はそっと胸に誓った。






(私は……この子を、絶対に、未来へと導く)






 それは静香にとって、ただの守護ではない。




 彼女自身の、たった一つの願いだった。






 ◇ ◇ ◇






「約束ですよ、ハイネル」




「はいっ!」




 夜空に響く、ふたりの笑い声。




 それはミラドールの新しい夜に、確かに希望の光を灯していた。




 誰もが、これからの日々に少しずつ歩み始める。




 静香も、ハイネルも。




 新しい未来へと、手を取り合って。







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