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第8話 第7章 四天王戦3――虚影のネロ戦

7-1 東方ラニア、幻影に沈む




 静香は馬上から遠くに広がる景色を見つめていた。


 ルンバリア王国東方、交易都市ラニア――本来ならば、賑やかな市場と笑い声で溢れているはずの大地。


 だが今、その町は不気味な沈黙に包まれていた。




「……あれが、ラニア……?」




 ハイネルが馬を寄せてきて、不安そうな表情で呟く。


 遠目にもわかる。町全体を、どす黒い靄のようなものが覆っていた。まるで生き物のように蠢くそれは、人を拒むような気配を放っている。




「はい、ハイネル王子。あれが今、四天王・虚影のネロによって支配されているラニアです」




 隣に控えていた宮廷魔術師グラハムが、険しい顔で答えた。




「ここ最近、ラニアの街では"幻影"による混乱が頻発しているそうです。街の住民たちが互いを疑い、時には命の奪い合いにまで発展していると……」




「……幻影、ですか」




 静香は軽く眉をひそめた。


 幻影。それは、目には見えるが、触れることのできない偽物。だが、見た者の精神を蝕み、錯乱させる力がある。




「ネロという四天王は、幻術に長けた存在……我々の軍も幾度となく彼の幻に惑わされ、作戦が破綻しました」




「なるほど……だから、ここまで誰もラニアを取り戻せなかったのですね」




 静香は静かに村雨の柄に手を置いた。


 鋭い冷気を宿した刀が、持ち主の意思に応えるように、淡く共鳴する。




(幻影……ならば、惑わされなければいいだけのこと)




 そう思いながら、静香は小さく息を吐いた。




「では、私たちも街に入りましょう。ただし――」




 静香はハイネルとグラハムに向き直り、真剣な声で言った。




「目にするもの、耳にするもの、すべてを鵜呑みにしないこと。たとえ親しい誰かに似ていても、幻だと疑ってかかってください」




「……はい!」




 ハイネルは緊張した面持ちで頷いた。まだ幼いながら、彼の中にも確かな覚悟が宿りつつあるのがわかる。




「私も十分に警戒いたします」




 グラハムも慎重に頷いた。




 こうして、三人はラニアの街へと足を踏み入れた。




***




 ラニアの街は、まるで"生きた迷宮"だった。




 一歩、また一歩と踏み込むたびに、周囲の景色が微妙に歪む。


 見覚えのある建物が、角を曲がるたびに違う形になっていたり、気づけば通ってきたはずの道が消えていたりする。




(これは、かなり厄介ですね……)




 静香は冷静に周囲を観察しながら歩を進める。




「……勇者様?」




 不意に、ハイネルが小さく声を上げた。




 静香が振り向くと、彼の視線の先に――


 そこには、見覚えのある、黒髪の女性が立っていた。




「母上……?」




 ハイネルの顔が一瞬で驚きに染まる。


 だが、静香は即座に彼の手を取った。




「ハイネル王子、それは幻影です!」




 鋭い声に、ハイネルがはっと顔を上げる。


 次の瞬間、女性の姿が黒い靄に変わり、ふっと消えた。




「す、すみません……!」




「いいえ。あれは、誰でも惑わされる幻です」




 静香は柔らかく微笑んだ。




「大事なのは、惑わされたとしても、立ち止まらず前に進むことです」




「……はい!」




 ハイネルは顔を引き締め、小さく拳を握った。




***




 それからしばらく、静香たちは慎重に街を進んだ。


 だが幻影の迷路は、容赦なく彼らを翻弄する。




 見知らぬ子供が助けを求める声。


 かつての戦友のような兵士たちが手を伸ばしてくる幻影。


 そのすべてを、静香は断ち切った。




(どれもこれも……過去に縛られた幻)




 だが、ふと。


 静香の足が止まった。




 目の前に現れたのは――




 七歳の、震える自分だった。




 砂場の隅。背を丸め、恐怖に凍り付いたあの日の少女。


 目の前には、牙を剥いた野良犬が、今にも襲いかからんとしていた。




(これは――)




 静香の心が、ぎゅっと締めつけられる。


 忘れようとしても、忘れられない。


 彼女が"強さ"を求めるようになった原点――あの春の日の恐怖。




 手が、わずかに震えた。




(違う……もう、私は……)




 小さく、静かに、自分自身に言い聞かせる。




(私は、あの日の私じゃない)




 過去の自分を、ただ恐れるだけの少女ではない。


 守られるだけの存在では、もうないのだ。




 静香はしっかりと足を踏みしめ、幻影に向き直った。


 村雨を抜き、澄んだ声で宣言する。




「私は……前に進む!」




 村雨の刃が一閃する。


 過去の幻影は、光の粒となって弾け、静かに消えた。




***




 その様子を、遠くから見ていた存在がいた。




 虚影のネロ。


 黒いマントを揺らしながら、興味深そうに静香を見下ろしている。




「……ほう。なかなか面白い」




 彼は冷たく笑った。




「勇者よ、君の心の強さ。試させてもらおう」




 虚影のネロの魔力が、さらにラニアの街を歪めていく。


 静香たちは、まだ見ぬ試練の中へと、歩を進めていくのだった――。





7-2 襲い来る過去――幻影の野良犬




 ラニアの街を進む静香たちの前に、また新たな幻影が現れた。




「わっ……!」




 ハイネルが小さく声を上げ、後ずさる。


 街の路地裏から飛び出してきたのは、唸り声を上げる複数の野良犬たちだった。


 牙を剥き、よだれを垂らし、狂ったように彼らに向かってくる。




「大丈夫です、ハイネル王子!」




 静香は即座に前へと出た。




(これは幻影……実体はない……でも――)




 それがわかっていても、胸がぎゅっと締め付けられる。


 野良犬の牙、唸り声、突き刺さるような恐怖――


 すべてが、幼い日の記憶を呼び覚ます。




 だが――




(もう、私はあの日の私じゃない)




 静香は村雨を握り締め、真正面から野良犬の群れに向かって駆け出した。




「はぁああっ!」




 一閃。




 村雨が生み出す清浄な波動が、襲い来る野良犬たちを切り裂き、幻影を霧散させる。


 吠え声も、唸り声も、一瞬にしてかき消えた。




 ハイネルが、信じられないものを見るような顔で静香を見つめる。




「すごい……!」




「……まだ終わりではありません」




 静香は低く告げた。




 次の瞬間、空間がねじれ、さらに巨大な幻影が現れた。




 それは――




 あの日、自分を襲った野良犬よりも、遥かに大きく、凶暴な姿をしていた。


 鋭い牙、真っ赤な目、泡を吹き、こちらを睨みつける。




(これは……私の"恐怖"そのもの……)




 幻影は静香を見つめると、吠え声を上げ、一直線に襲いかかってきた。




 ――ガウッ!




「静香っ!」




 ハイネルの叫びが響く。




 だが静香は、一歩も退かなかった。




(これが……私の中に眠る"弱さ")




(なら――)




「私は、あなたを乗り越える!」




 静香は村雨を高く掲げ、踏み込んだ。




 凄まじい勢いで迫る幻影。


 恐怖が、過去の記憶が、脳裏をよぎる。




 だが。




 静香の心は揺るがなかった。




(あの日、私は守られた)


(でも今は、私自身が――)


(誰かを守る者になりたい!)




「うおおおおおっ!」




 雄叫びとともに、渾身の一撃を振るった。




 村雨の刃が、清浄なる光を纏い、巨大な幻影を真っ二つに切り裂く。




 ――ドォン!




 幻影は断末魔を上げることもできず、光の粒となって四散した。




 静香は、深く息を吐き、村雨を鞘に収める。




 その背中に、ハイネルが駆け寄ってきた。




「静香……!」




 彼は目に涙を浮かべながら、力強く言った。




「僕、わかりました……!」




「……え?」




 静香が顔を向けると、ハイネルは真っ直ぐな瞳で彼女を見つめていた。




「怖くても、前に進まなきゃいけないんだって……勇者様が教えてくれました!」




 その言葉に、静香の胸が温かく満たされる。




 彼女はそっと微笑んだ。




「ハイネル王子。あなたは、もう"本物の強さ"を知っています」




 ハイネルは嬉しそうに頷いた。




 まだ幼い少年。


 けれど、彼の心には確かな成長があった。




(この子がいる世界を……必ず守る)




 静香は改めて、心に誓った。




***




 一方――




 幻影の奥、ラニアの中心に立つ虚影のネロは、街を覆う黒い靄の向こうで、静かに笑っていた。




「なるほど……やはりただ者ではないな、勇者よ」




 彼は手に持った杖を軽く振った。


 すると、街の中心に、さらに強大な幻影の渦が現れる。




「だが、君がどれほど心を強くしても……"真実"を突きつけられた時、果たして耐えられるかな?」




 虚影のネロは、ねじれた笑みを浮かべた。




「次は……君の一番深い恐怖を、呼び覚ましてやろう」




 闇は、さらに濃く、静香たちを包み込もうとしていた。




7-3 ネロとの邂逅――心を試すもの




 ラニアの中心、朽ちた市庁舎跡に静香たちはたどり着いた。




 静香は村雨の柄に手を添えたまま、油断なく周囲を見渡す。




 空気は澱み、空間そのものが不自然に揺れている。


 まるで、ここだけが現実から切り離されたような異様な感覚――。




「……来ます」




 静かに呟いた瞬間だった。




 霧のような闇が渦巻き、その中心から、一人の男が姿を現した。




 白銀の髪に、血のように赤い瞳。


 黒と銀の奇妙な衣を纏い、手には漆黒の杖を持っている。




 男は薄く微笑んだ。




「やあ、勇者。ようこそ僕の舞台へ」




「あなたが……四天王、虚影のネロですね」




 静香が問いかけると、男――ネロは愉快そうに肩をすくめた。




「そう。僕がこの街の主さ」




 彼は足音ひとつ立てずに近づき、まるで古い友人に語りかけるかのような口調で言った。




「君には興味があったよ。何度も僕の幻影を破り、なお心を折られない……ふふ、本当に、面白い」




 静香は村雨を握り直し、真っ直ぐネロを見据える。




「あなたの遊びに付き合うつもりはありません」




「遊び?」




 ネロは首を傾げ、楽しげに笑った。




「違うよ。これは"試練"だ」




「試練……?」




 静香が眉をひそめる。




 ネロはくるりと舞うように一回転し、ふわりと空中に浮かんだ。




「君が本当に"勇者"であるかどうか、見極める試練さ」




 そして、ネロは片手を掲げた。




 次の瞬間――




 静香の周囲に、無数の"彼女自身"の幻影が現れた。




 七歳の、泣きじゃくる静香。


 中学生の、悩み苦しむ静香。


 訓練中、何度も倒れては立ち上がった静香。




 そして――




 絶望にうなだれる、自分自身。




「――ッ!」




 静香の胸が苦しくなる。




(これは……私の、弱かったころの……)




 ネロの声が耳元に囁いた。




「君は、ずっと強がっているだけだ。怖いのだろう? 本当は、まだあの日のままだろう?」




 静香は唇を噛みしめた。




 幻影の中の小さな自分が、泣きながら叫ぶ。




『どうせ誰も助けてくれない』


『無理だよ、怖いよ』




 ……いや、違う。




(私は――)




 静香はぎゅっと拳を握った。




 ハイネルの顔が脳裏に浮かぶ。




 真っ直ぐな瞳。


 誰かを守ろうと、臆することなく前に立った、あの少年の姿。




(私は……あの時、守られた)


(でも、今は――)




「今は、私が守る番なんです!」




 静香は叫び、村雨を抜き払った。




 刹那、刀身が神通力の光に包まれる。






「消えなさい、私の弱さ!」




 村雨の閃光が、周囲を取り囲んでいた無数の幻影を一刀のもとに断ち切った。




 泣きじゃくる過去の自分も。


 絶望してうずくまる自分も。




 すべてが、清らかな光に飲み込まれ、静かに消えていく。




 静香は、静かに村雨を収めた。






 ネロは高みから、にやにやと笑いながら拍手を送った。




「ブラボー、ブラボー! 見事だよ、勇者様!」




 だが、その拍手には明らかに嘲弄の色が滲んでいた。




「さて……これで君が本当に"勇者"かどうか、試す最後の試練だ」




 ネロは指を鳴らした。




 すると、地面がひび割れ、その隙間から、巨大な"幻影の軍勢"が現れた。




 騎士、魔物、怪物。


 すべてが、ラニアの人々が恐れていた悪夢の具現だった。






「さあ、見せてもらおうか。君がどこまで"自分"を信じ抜けるのか」




 ネロの目が、血のように赤く光る。




 静香は、微笑んだ。




 それは、決して恐怖を偽った笑みではない。




 心から、戦う覚悟を決めた者の、揺るぎない微笑だった。




「わかりました。これがあなたの"最後の遊び"ですね」




 静香は村雨を再び抜き放ち、淡く光る刀身を掲げた。




「ならば、あなたの幻想もろとも、すべてを断ち切りましょう!」






 静香の銀の剣が、闇を払う光となって輝き始めた――!





7-4 幻影軍勢との激闘




 闇の中に響く、無数の蹄音。




 幻影の軍勢は、まるで濁流のように押し寄せてきた。




 黒き騎士、異形の獣、怪異たちが、静香一人を呑み込まんと殺到する。




「……来なさい」




 静香は静かに、村雨を構えた。




 すべての雑念を捨て、ただ、集中する。




 剣を握る手に、迷いはなかった。






「さあ、勇者様。僕の最高傑作、楽しんでくれたまえ!」




 ネロの嘲笑が上空から響く。






 ――一体、何百、何千の幻影がいるのか。




 だが静香の心に、恐怖はなかった。






(私は、負けない……)




(あの日の私とは、違う)






 迫り来る騎士の幻影に向かって、一閃。




 村雨が放つ銀の刃が、幻影を裂き、闇を断ち切った。






「……一体一体、丁寧に……」




 静香は深く呼吸を整えながら、着実に敵を倒していく。




 幻影たちは何度も姿を変え、圧倒的な数で襲いかかる。




 しかし静香の剣筋は一寸の狂いもなかった。






 村雨の刀身が、まるで空気を滑るように走る。




 一振り、また一振り――。






「おおっと、さすがだね。でも、どうかな?」




 ネロが指を鳴らした瞬間。




 今度は静香自身の幻影が、無数に生み出された。






 泣き叫ぶ自分。


 迷いに沈む自分。


 過去に囚われ、動けなくなった自分。






「君は、君自身と戦えるかい?」






 静香はその光景に、一瞬だけ、胸を締めつけられた。




 だが――






(これは、私じゃない)




(過去の、弱かった私)






「私は……」




 静香は村雨を構え直し、まっすぐに幻影たちを見据えた。






「私自身を、乗り越えた!」






 鋭い叫びとともに、銀の刃が走る。




 自分自身の幻影たちを、次々と断ち切っていく。






 幻影たちは、まるで花びらが散るように崩れ落ち、光となって消えていった。






「くっ……! まだだ!」






 焦るネロはさらに幻影を生み出す。




 今度は――




 ハイネルの幻影だった。






「静香……僕を助けて……」




「僕なんて、どうせ……!」




「勇者様には、僕なんか……」






 ハイネルの悲しげな声が、あちこちから降り注ぐ。






 静香の胸に、痛みが走った。






(これは……ずるい……)






 でも。






 静香はきゅっと唇を引き結び、強く拳を握った。






(私は――)




(本物のハイネル王子を信じている!)






「あなたたちは幻影!」






 村雨を振り抜き、すべてのハイネルの幻影を薙ぎ払った。






 切り裂かれた幻影たちは、哀しげに消えていく。






 静香の瞳は、もう曇りなき光を宿していた。






「……やれやれ。ほんとうに、しぶといね」






 上空でネロが苛立ちを隠さず、つぶやく。






「君は……強い」






「強いんじゃない」






 静香は静かに答えた。






「私は、信じているだけです」




「私を信じてくれた人たちを」




「そして、私自身を」






 ネロが、目を見開いた。




 そして、初めて、その顔にほんのわずかな焦りが浮かんだ。






「なら、見せてもらおうか!」






 ネロは両手を広げ、最後の幻影軍勢を呼び出した。






 これまで以上に巨大な影たち。




 まるで山のようにそびえる黒い巨人。


 翼を広げた漆黒の龍。




 絶望の具現、そのものだった。






 ――だが、静香は一歩も引かなかった。






(これは、最後の試練)




(乗り越えてみせる……!)






 静香は村雨に神通力を込め、輝く銀光を纏わせた。






「村雨――全開」






 次の瞬間、静香の身体からまばゆい光が弾けた。






 銀の閃光が、押し寄せる絶望の軍勢を貫く。




 巨人が、龍が、悲鳴と共に消え去っていく。






 そして――




 ただ一人、静香だけが、そこに立っていた。






 銀の剣を掲げ、静かに、揺るぎなく。






「……ふふ」






 ネロは虚ろな笑みを浮かべ、空中で膝をついた。






「参ったよ、勇者様」




「君は、本物だ」






 静香は村雨を収め、深く息を吐いた。






 ――そして、次はいよいよ、ネロとの直接対決。




 四天王・虚影のネロとの、最後の戦いが迫っていた――。





7-5 静香vsネロ――決着




 漆黒の空に、静寂が訪れる。




 幻影の軍勢を打ち破った静香は、村雨を静かに構え直した。




 対するネロは、空中に浮かびながらも、もはや余裕を装うこともなく、苦しげに息をついていた。






「……君は……僕の全てを超えたんだね」






 その声には、敗北を悟った者の寂しさが滲んでいた。






「ネロ……あなたも、かつては戦っていたのでしょう?」




 静香は問うた。






「誰かのために、何かを守るために」






 ネロは一瞬だけ、驚いたように瞳を揺らした。




 だがすぐに、虚ろな笑みを浮かべる。






「昔の話さ……そんなもの、とうに捨てた」




「だって……裏切られたんだ」




「信じた人に、裏切られたんだよ」






 寂しげに呟くネロ。






「だから僕は幻影に逃げた。自分自身さえ、だましたんだ」




「痛みも、悲しみも、なにもかも」




「……全部、幻にしてしまえば、怖くないって……!」






 その独白に、静香はそっと目を閉じた。




 ――どれほど、苦しかったのだろう。






 けれど、静香は目を開き、まっすぐにネロを見据えた。






「それでも、あなたは本当に、強くなりたかったのでしょう?」






 ネロは小さく、震えた。






「私は……」




「私は、あなたを哀れだとは思いません」




「ただ――」






 静香は、村雨に静かに神通力を纏わせた。




 そして、剣を下げたまま、静かに言葉を続けた。






「あなたが本当に欲しかったものは、こんな幻ではないはずです」




「誰かと共に笑い合い、共に泣くこと」




「本当の強さは、そこにしかない」






 ネロは唇を震わせた。






「僕には……そんなもの……もう……!」






 叫びと共に、最後の魔力が爆発した。




 黒い稲妻が走り、空間を裂く。






 だが、静香は怯まず、一歩踏み出した。






 村雨を、静かに――しかし確実に振るう。






 放たれた銀の閃光が、黒い稲妻を裂き、ネロのもとへまっすぐに届いた。






「っ……!」






 衝撃と共に、ネロの体が光に包まれる。




 幻影の魔力が霧散し、彼の周囲から闇が消えていった。






 空中で、ふわりと舞うように、ネロはゆっくりと地に降り立った。






「……負けた……」






 そう呟く声は、もう憎しみも絶望もなかった。




 ただ、どこか安らかだった。






 静香はそっと村雨を鞘に収め、歩み寄った。






「ネロ、これからは、幻影に逃げるのではなく」




「本当の自分を、生きてください」






 ネロは、目を見開き――そして、ふっと笑った。






「……できるかな……」




「……いや、できるかもな……君を見てたら、そう思えた」






 最後に、少年のような柔らかな笑みを浮かべる。






 ネロの体が光に包まれ、そのまま静かに消えていった。






 幻影の魔力も、街を覆っていた暗い靄も、すべて――跡形もなく。






 澄み切った空。




 青く広がる、大地。




 ラニアの町に、ようやく、静かな朝が訪れた。






***






 城へ戻った静香を、ハイネルは真っ先に出迎えた。






「静香!」






 小さな王子は、満面の笑みで駆け寄ってきた。




 彼の背後には、兵士たち、町の人々、みんなが静香を見つめている。






「本当に……お疲れ様でした!」






 ハイネルの真っ直ぐな瞳を見つめ、静香もまた、柔らかく微笑んだ。






「ありがとう、ハイネル王子」






「僕も……静香みたいに、どんな幻にも惑わされない強い心を持ちたいです!」






 ハイネルは小さな拳をぎゅっと握りしめた。






 その姿に、静香の胸は温かく満たされる。






(私は……一人じゃない)




(この世界には、私を支えてくれる人たちがいる)




(守るべき大切なものがある)






 静香はハイネルの頭にそっと手を置き、優しく囁いた。






「大丈夫。あなたなら、必ずなれます」






 ハイネルは顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうに頷いた。






 ――そして、静香は改めて心に誓った。






(この世界を、必ず守り抜く)




(この小さな手が、未来を掴めるように――)






 澄み切ったラニアの空の下、静香とハイネルは強く、強く、手を取り合った。






 次なる戦いへ向けて、彼女の心には、揺るぎない光が灯っていた。








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