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第2話 スイッチが入ったら歴史的記録を叩き出すラーメンババア


 料理を待ってる間に改めて店内を見渡す。


 他の客はカウンターに座っているヨボヨボのおばあさん一人だけ。


 こりゃ逃げるには絶好のシチュエーションだな。


「あのぉぉ、お姉さん? あたしはこの、エル……エルジ…………」


「はいはーい? あぁ、この『エルジス海の特製塩ラーメン』ですかいおばあさん?」


「うん、そうそう! ごめんねぇ、あたし目が悪い上に、こういうところ慣れてなくて……」


「いいってことです、お客様は神様ですから!」


 注文に困っているおばあさんの隣に移動し、優しく対応する店主さん。


 うんうん、微笑ましい光景だな。お年寄りに親切な人間に悪いヤツはいないよ。


 顔面蹴られた神様ここにいるけどな。


「大きさがスモール、ミディアム、ラージ、ジャンボから選べますよ!」


「あのぉ、いちばん小さいのを…………」


「スモールね! そんじゃ次は麺の固さ! ソフトとハードの二種類からどうぞ!」


「えっとねぇ、柔らかい方を…………」


「ソフトね! 次は麺の種類! ストレートかカーリー、どっちがいいですか?」


「じゃあ、グニャグニャ縮れてるのを…………」


「カーリーね! よし、最後にトッピングはどうしますか?」



「ネギだっくだく背脂グッチョグチョにんにくマッシマシ紅しょうが限界突破盛り煮卵バケモノ乗せで」



 !?



 なんだ!? ババアがいきなり覚醒したぞ!!


 今まで横文字が苦手どころか普通に喋ることすらままならなかったのに、トッピングの話題になった途端に流暢に喋りすぎだろ!


 そこだけ合宿終わりの野球部みたいなオーダーだったんだけど!


 つーか『紅しょうが限界突破盛り』だの『煮卵バケモノ乗せ』だの、ご老体の口から発せられたとは思えないフレーズがいっぱい聞こ



「ああ、あとスープの濃さは『塩分過多致死量らくらくオーバー』で」


「よしキタ!」



 俺まだ突っ込んでるんだけど!! 捌き切れてないのに追いボケするのやめろ!!


 その年齢で『致死量』とか軽々しく口にするなよ! いくらスモールでも死ぬだろ塩分過多は!!


 んで店長も止めろよ!! おバアが『塩分過多致死量らくらくオーバー』頼んでるのに『よしキタ!』じゃねえだろ!!


 何がキタの!? 死神!?


「でもねぇ、トッピングだけこんなに多いのもアンバランスじゃないです? 麺の量を一番多いジャンボにしてもらってスープも大幅増量…………それを十分以内に完食できたら代金タダにしますけど、やります?」


 後期高齢者に何か恨みでもあんのか?


 この年代の人に大食いチャレンジ勧めるの、異世界と現実世界を合わせてもアンタだけだぞ。


「ちなみに塩分過多致死量らくらくオーバーのスープも全部飲み干してくださいね。一滴でも残したら失敗と見なして、本来のジャンボラーメンの三倍の料金払ってもらいますから。クックック……」


 早く来てくれポリスメン、ここにソルティ愉快犯がいる。


「もし完食されたら店は大赤字…………そのリスクを背負って挑戦してるんです。もちろん逃げませんよね?」


 何がこの人をここまで突き動かすの? どこで老人虐待モード入ったの?


「……………ふん、小娘ごときがあたしに勝負を挑んでくるたぁ笑わせるじゃないか。空っぽになったドンブリを見て、あんたがどんな顔して泣くのか楽しみだねぇ!」


 おばあさんメッチャやる気。スモール食おうとしてたやつとホントに同一人物かこの人?


 この世界には変なヤツが多い。


 俺のパーティー『だった』三人の仲間たちも含めて。


 こういうしょうもないやり取りを見ていると、どうしてもアイツらのことを思い出してしまう。


 元気にやってりゃいいけど。



「はいよ、キノコバターライスにお刺身、カツサンドだ! 出来立てのうちに食べてちょうだいな!」


 数分後、お先に俺の料理が運ばれてくる。


 テーブルに並べられたのは、ドンブリ一つと大皿二枚。


 ドンブリからはバターの香りを帯びた湯気がホコホコと立ち込めており、出汁の染み込んだお米とバリエーション豊かなキノコが混ざり合い食欲をそそる色合いを作り出し、俺の視線を釘付けにする。


 高級魚ナザナザの刺身。見るからに肉厚で脂がタップリと乗っており、新鮮さのあまりガラス製のお皿の上で宝石のようにキラキラと光輝いている。


 ゴールデンチキンカツサンドは名前負けせずボリューミーで、黄金色にカラッと揚げられたシナレア鳥の分厚い胸肉が、ふわふわのパンのクッションに挟み込まれ、鮮やかな茶色のソースでキレイにお化粧された、美しくも豪快な一皿。


 食い気が荒波のように押し寄せてくる。胃袋が早く入れろと悲鳴をあげている。


 いずれも所持金ゼロの俺が食すには勿体ないくらいの、敷居が高い料理たちだ。



 でもそんなこと気にせずにかっ食らう。



 あまりの旨さに鳥肌が立ち、涙腺が緩む。


 称賛の言葉を考える時間も惜しい。手が止められない。


「おっ、いい食べっぷりだね! 見てるこっちもスッキリするよ! ふう、つかれたー!」


 皿の上の料理がどんどんと減っていくのを見て、満面の笑みを浮かべる店主さん。


 一仕事を終え、軽くストレッチを始める。魔王が見たら興奮しそうな仕草だな。


 ふふふ…………そうだ、今のうちにせいぜい準備運動でもしておくがいい。


 これらをすべて食べ終えた時、俺のきらびやかな逃走劇が幕を開けるんだからな。


「さてと、次はあの人の挑戦メニュー…………か」


 顔つきがガラリと変わる女店主とおばあさん。


 そうだ、あまりに旨すぎて忘れてた。


 今から熾烈な女の戦いが、目の前で繰り広げられるんだ。


 俺これから食い逃げする予定の人物にしては影薄すぎない?




*****




「そ…………そんなバカな……………」


 おばあさんはチョモランマみたいな塩ラーメンを五分でたいらげ、支払いというプロセスをすっ飛ばして悠々と去っていきましたとさ。


 めでたくなしめでたくなし。


 残された店主さんがペタンと座り込んで絶望の表情を浮かべる。


 一度に啜られていく麺の量エグかったな。逆流する滝みたいになってたもんな。


 でもあれを制限時間の半分残してクリアするのは人間業じゃねえわ。


 インド神話に出てくる聖仙アガスティヤは、世界を救うために海水を全て飲み干したという。


 本でその記述と絵を見たときは、そんなバカなと嘲笑したものだ。


 だが、婆さんがシワシワの両手でドンブリを持ち上げ、真っ黒な極濃スープを胃の中に流し込んでいく圧巻の飲みっぷりをこの目で見たとき、自然にアガっちと姿を重ねてしまった。


 実際あのスープ、塩分濃度的に海とそんな変わらんだろ。海以上かもしれない。


 いやとにかくすごかった。完全にアガスティってたわあの婆さん。


「は、はは、ははははは…………」


 笑うしかないと言わんばかりに乾いた声を出し続ける店長。大赤字が決定してご乱心のご様子。


 ヤベエ、このタイミングで食い逃げするのすっげえ心が痛む。


 いや心はもともと痛んでましたけどね?


 ちょっと気になるのは、俺もあの婆さんに触発されて、三品合わせてギリギリ十分直前で食べ切れちゃったんですよね。


 ほんの少しだけ、確認してみよっかな。


「店主さん……一応聞くんですけど、この豪華三品を十分以内に食べられたら料金タダ…………みたいな取り組み、やってないですよね?」



「は?」



「すみませんでした」



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