sideユリウス
午前の騎士団勤務を終え、午後からの学院での授業を受ける為に宮殿内廊下を1人移動する。
ステラは今、何をしているのだろうか。
ふと宮殿の窓から見える美しい中庭の景色を見て、俺はあそこで保護したステラのことを思い浮かべた。
ステラを保護したのはリタ伯爵令嬢とロイ皇太子殿下の婚約式が行われた夜、つまり約2週間前だ。
初めて俺が目にしたステラは中庭内の木の下で身を隠すようにぐったりと倒れていた。
三日月の月明かりさえも彼女には当たらず、最初は何かがそこにいることだけしかわからなかったが、近づいてみると12歳くらいの少女が血を流して倒れていたので驚いたものだ。
着ているものからして平民ではないと思ったが、同時に何か訳があるのかもしれないとも思った。何故なら彼女が身にまとっていた上等な絹のワンピースは彼女にはあまりにも大きく、とても不自然だったからだ。
隠れるように倒れていたこと、サイズの合っていない上等なワンピースを着ていたこと、この二つから俺は彼女を内密に保護し、とりあえず様子を見ることにした。
彼女を保護してもう2週間が経つが、順調に彼女は回復している。
最初はただの保護だったはずが、彼女のことを俺はどこか放っておけず、今も時間さえあれば彼女との時間を作るようにしている。
自分にもし歳の離れた妹がいたらこんな感じだったのだろう。
歳の離れた妹は愛らしいし、可愛がりたくもなる。
そんな彼女がつい先週、フランドルから出ていくと言った。
それを俺は何故か許せなかった。
訳ありの子どもに関わるなどどんなことに巻き込まれるかわからない。積極的に関わってもいいことなどない。
だから彼女の願い通り、さっさと彼女が言う〝家〟へと帰すべきなのに。
「やぁユリウス」
ステラのことを考えているとこの帝国の皇太子、ロイ殿下が後ろから俺に挨拶をしてきた。
「ロイ殿下。こんにちは」
足を止め、後ろを振り向き挨拶をする。
ロイ殿下の横には約2週間前ロイ殿下の正式な婚約者となったリタ嬢もいた。
リタ嬢と俺は同じ学院の良き競争相手だ。
リタ嬢はわがままで傲慢であると同時に聡明さも持つ不思議な令嬢で、時には理解できない厄介な女、時には素晴らしいと感心してしまう女として俺は彼女に2つの印象を持っていた。
また彼女は文武両道であると有名だが、そうである為に誰よりも努力をしていたことを俺は知っていた。
だからどんなに彼女に嫌味を言われても俺は彼女のことをどうしても嫌いにはなれなかった。
「あら?私には挨拶がないのかしら」
「…失礼いたしました。リタ嬢。ロイ殿下しかいらっしゃらないと思っていたので」
「リタ嬢?違うでしょう?私はもう皇太子妃なのよ?皇太子妃と呼びなさいな?」
「…お前のような皇太子妃に礼儀なんて必要ないだろう」
「まぁ!」
こらちを印象的な猫目で睨みつけるリタ嬢に俺は小さく悪態をつく。
そんな俺を信じられないものでも見るような目でリタ嬢は見ているが、俺はあえて知らないフリをした。
今日のリタ嬢も俺が理解できない厄介なリタ嬢の方なのだろう。
彼女は嫌な部分も多いが素晴らしい姿も見せてくれるのだ。
だからこそ良き競争相手だと思っていたのにここ2週間の彼女にはそれがまるでない。
「気分が悪いわ。騎士として活躍しているらしいけどどうせ不正でも働いているに決まっていますわ。勉学も公爵家の力でどうにかしているのでしょう?実力では私に勝てませんものねぇ」
ロイ殿下の腕に捕まってクスクスと笑い、リタ嬢がこちらをおかしそうに見つめる。
何を言い出すのかと思えば不正だと?
共に切磋琢磨してきた仲だというのにそれを知らないとでも言うのか。
「お前の目は節穴か?人を見る目がない。お前のような人が皇太子妃だと?笑える。我が帝国の未来が危ぶまれるな」
「何ですって!?」
買い言葉に売り言葉。
俺もリタ嬢と同じように鼻でリタ嬢を笑っておかしそうにリタ嬢を見つめるとリタ嬢は顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけた。
つまらない。いつものリタ嬢ならもう少しこちらが困ることを言ってくるのに。
これではただ俺が皇太子妃をいじめているだけではないか。
「ユ、ユリウス様だって不正ばかりして!こんな方が次期フランドル公爵とは…」
「不正などしていない。帝国が運営する学院でそんなことできる訳ないだろう。お前はそれしか言えないのか」
「…くっ」
淡々とリタ嬢の言葉を否定すればリタ嬢はいよいよその形の良い口を悔しそうに閉じた。
美しい見た目のくせに怒りで歪んだその表情のせいで全て台無しだ。
俺に何も言えなくなったリタ嬢は「ロイ様ぁ…」と泣きそうな顔でロイ殿下を見上げた。
自分から仕掛けておいてロイ殿下に助けを求めるとは何と情けない。
「ふふ、2人は本当に仲がいいね。リタのこんな姿、ユリウスの前でしか見られないね。さすが学院一のライバル同士だ」
険悪な俺たちの間ににこやかなロイ殿下が入る。
ロイ殿下はいつも通り穏やかな笑顔なのだが、その心が本当に穏やかなのかはわからない。
うまく本心を隠すタイプだ。
「しかしユリウス。リタとの口論は楽しいかもしれないが、あまり私の愛しの婚約者をいじめないでくれ。せめて手加減を頼むよ」
「はいロイ殿下」
表面上はにこやかなロイ殿下に俺は軽く頭を下げる。
あの女に手加減などいらないと思うが、ロイ殿下のことを無視することはできない。とりあえずこちらも表向きだけは従うフリをしておこう。
「ロイ様ぁ、私、傷つきましたぁ」
「…謝罪もいいかな?ユリウス」
うるうるとその紫色の瞳を潤ませてリタ嬢がロイ殿下に俺の非を訴える。
するとロイ殿下は困ったように笑って、こちらを申し訳なさそうに見てきた。
「…申し訳ございませんでした、リタ皇太子妃様」
ロイ殿下に言われてしまっては仕方ない。
俺は不本意だが、リタ嬢に深々と礼儀正しく頭を下げる。
すぐに顔をあげるとそんな俺をリタ嬢は満足げに見ていた。
自分の力では何もできないくせに。
いや、本来なら何でも自分でできる女だったのに、何故こうもできないのだろう。
「ユリウス、今少し時間はあるかな」
「はい」
ロイ殿下にそう言われて俺はすぐに返事をする。
午後からは学院へ行かねばならないが、まだ宮殿にいても大丈夫だろう。
「よかった。じゃあユリウスあそこの部屋で少し話そう」
ロイ殿下は俺の返事を聞くなり近くの部屋を指差す。
するとその行動にリタ嬢が不満げに声を上げた。
「え?ロイ様?これから私と昼食のはずでは…」
「ごめんね、リタ。ユリウスと話したいことがあるんだ」
「ですが、私…」
そこまでリタ嬢が言ったところでロイ殿下はリタ嬢の耳元へ自身の唇を近づけた。
リタ嬢に何かを言っているようだが、こちらからは何を言っているのかわからない。
側から見れば愛を囁かれている恋人にしか見えないが、囁かれている張本人であるリタ嬢の表情がどんどん暗くなっていくのを見て、そうではない可能性も十分にあると俺は思った。
「わかりましたわ。殿方は殿方同士で有意義な時間をお過ごしくださいませ。私は学院へ向かいますわ」
先ほどの姿が嘘かのようにロイ殿下に礼儀正しく挨拶をしてリタ嬢がこの場から離れる。
「それじゃあ行こうか」
「…はい」
リタ嬢の背中を見送った後、俺とロイ殿下は先ほどロイ殿下が指名した部屋に入っていった。
*****
「単刀直入に聞こう。ここ数週間の…いや、僕と婚約してからのリタをどう思う?」
ロイ殿下が俺の目の前の椅子に深く腰掛け、真剣な瞳でこちらを見つめる。
ロイ殿下が指名した部屋は来賓等をもてなしたり、仕事上の話をしたりする応接室だった。
そこで俺とロイ殿下は互いに向き合う形で机を挟んで椅子に座っていた。
ロイ殿下と婚約してからのリタ嬢か。
ロイ殿下の問いに俺はここ数週間のリタ嬢への印象をすぐに口にする。
「…聡明さがなくなりましたね。先ほどもありましたが、リタ嬢は口論で俺に負かされるような方ではありません。いつも俺たちは互角でした」
「なるほど…。ユリウスもそう思うか」
俺の言葉にロイ殿下が深く頷く。
この様子だど、ロイ殿下も俺と同じ印象をリタ嬢に持っていたらしい。
「君はリタと学院で1番ある意味深い関係だろう?だからリタについて君に聞いたんだ。君が言うんだから間違いないね」
納得した様子で笑うロイ殿下に俺はただ頷いた。
「しかしロイ殿下。何故このようなことを俺に確認したのですか?何かお考えが…」
「いや。婚約者として婚約者を心配することは当然だろう。リタは元々気分屋でわがままな時もあれば聡明な時もあったからね。今はその聡明さがなくなったから少し心配していただけさ」
「…そうですか」
穏やかに笑うロイ殿下は本当にリタ嬢を心配しているだけなのだろうか。
どうしても他に何か考えているのではないかとロイ殿下の思惑について考えてしまう。
そんな俺を見てロイ殿下は「本当に心配しているだけだよ。そんな目で見ないでくれ」と苦笑いを浮かべていた。