sideステラ
あの花祭りから2週間が経った。
私は未だにここフランドル公爵邸から出られそうにない。
ユリウスと過ごす時間も何故か増え、もちろん使用人や護衛騎士たちの監視の目もあり、今の状況では自分の力だけで逃げ出すことはほぼ不可能だった。
そんな私は今、フランドル公爵邸の花畑にいる。
本邸から少し離れたこの場所は本当にフランドル公爵邸内なのかと疑いたくなるほど自然豊かで美しい場所だ。
「ねぇ、メアリー」
「はい、何でしょう」
花畑で花冠を作りながら、私のそばに控えていたメアリーに声をかける。
「さっきここに来るまでに他のメイドたちが話していたのって…」
「ああ!その話でございますね!」
ここに来るまでにたまたま私が耳にしたある話。
その話の詳しい内容をメアリーから聞こうと私はメアリーに質問してみた。
メアリーがそんな私にっこりと笑う。
相変わらず愛らしいメアリーには背後に広がる花畑が本当によく似合っている。
「リタ様とロイ様のことでございますよね」
「うん」
そこから表情豊かなメアリーによってリタとロイの話が始まった。
約3ヶ月前、このミラディア帝国の皇太子ロイがルードヴィング伯爵家のリタと正式に婚約をした。
…代役である私の力によってだが。
ここ数ヶ月の帝国の話題の中心は婚約したての2人だ。
そしてここからが肝心なのだが、2人ともどうもここ数ヶ月様子がおかしいらしい。
「リタ様は性格の悪い悪女だと有名ですが、それと同時に文武両道、才色兼備、非の打ち所のない聡明なご令嬢でもあると有名でございました。
それがここ最近全くそのような姿をお見せにならないのだとか。まだ学院生であるにもかかわらず、学院の授業には一切出す、宮殿に篭って皇后教育に励んでいらっしゃるらしいんですが、忙しいと仰っている割にはパーティーや舞踏会、お茶会には必ず参加し、演劇鑑賞、ショッピングなど遊んでいらっしゃる姿も多く見られているのです。
この間の花祭りの時も使用人といつまでも遊んでいらしたとか」
止まることなく、怪訝そうに話を進めるメアリーの話を聞いて私は「やっぱり」と納得する。
結局、今まで世間が評価してきた〝リタ〟は私なのだ。
そんな私が消えてしまえばやはり本物のリタの評価はそうなってしまうだろう。
もう少しボロが出ないように伯爵辺りがいろいろと手を回すだろうと思っていたが、持ってまさかの数ヶ月とは。
リタの奔放さも呆れを通り越して尊敬してしまう。
どの道、あのわがままお嬢様を優秀なご令嬢として仕立てることは無理な話だったのだ。
私のような代役がいない限り。
今のリタの現状に呆れて笑っていると、メアリーは今度はロイの話を始めた。
「そしてロイ殿下なのですが、ロイ殿下は相変わらずお優しく天使のように…いや、もう神様のように素晴らしい方で、リタ様のような変化はないと言われております。ですが、そんなロイ殿下にもある噂があるのです。先ほどもメイドたちが言っておりましたが、ロイ殿下はどうやら誰かを探しているようなのです」
「その誰かって?」
「それが誰もわからないのです」
私がメアリーから聞きたかったことはこれだ。
先ほどメイドたちが話していた話の中には〝ロイが誰かを探している〟というものがあった。
皇太子自らが探す重要人物とは一体誰なのだろうか、とメアリーに聞いてみたが、メアリーもどうやら誰を探しているかまでは知らない様子だった。
犯罪者なら指名手配されているだろうが、その指名手配の情報はない。
ならばロイが探しているのは犯罪者ではなく、帝国にとって何か重要な人物ということになるだろう。
この帝国の情勢を知る為にもロイが誰を探しているのか知りたかったがそれは今は無理そうだった。
「その話って噂だよね?本当に皇太子殿下が誰かを探しているの?」
「それは間違いありません!街でロイ殿下が自身の騎士団を連れ、誰かを探している姿を見かけた者が多数います。私も何度かこの目で見ました」
「へぇ」
間違いない!と自信満々に私を見つめるメアリーに私はとりあえず頷く。
そこまで大々的に探しているのならきっといつかは誰を探しているのか知ることになりそうだ。
あまりにもこの公爵邸に囲われている私はもうすっかり世の中の流れを知らない箱入り娘になってしまった。
このままではここから出た時に違う意味で苦労しそうだ。やはりこうやってせめて周りの人たちから帝国で起きている出来事くらいは教えてもらわなければ。
そんなことを考えながらもずっと作り続けていた花冠がついに完成する。
私はそれを「はい、いつもありがとう、メアリー」と言ってメアリーの頭に乗せた。
「まぁ!まぁー!な、何ということでしょう!まさか私の為に作られていたなんて!か、感動で今にも倒れてしまいそうです!ありがとうございます!ステラ様!」
喜びで小さく震えているメアリーに私はふふと笑う。本当にメアリーは可愛らしいメイドさんだ。
別に最初からメアリーにあげようと思って作っていた訳ではないが、メアリーの喜ぶ姿を見て、本当のことは言わないでおこうと思った。
それから私は花畑でいろいろな遊びをした。
花冠をまた作ったり、花束を作ったり。
寝転がってみたり、走り回ってみたり。
とにかく思いつくことをたくさんした。
8歳からリタの代役だった私は時には伯爵家の令嬢として、時には世間に絶対にバレてはならない存在として生きてきた。
こんなにも自由に走り回った記憶はもうずっと彼方にあったものだ。
…公爵邸にいることも悪くないな。
命の危険さえなければずっと甘えたいくらいなのに。
そんなことを思いながらも私は自身の両腕いっぱいに花びらや花を集めていた。
「よーし。えいっ!」
それを空へ向かって目一杯投げる。
青空に色とりどりの花びらや花が舞っている。
その景色は鮮やかで可愛らしくいつまでも記憶に焼きつけたいと思えるものだった。
そんな素敵な花びらたちのシャワーを浴びながら私はその場でくるくると舞ってみる。
リタの代役の時に散々見た舞姫たちの真似だ。
「メアリー!歌って!」
「えぇ!?」
ここに足りないのは音楽だ、とメアリーに歌うことを頼むとメアリーはまさかそんなことを頼まれるとは思っていなかったようで心底驚いた表情を浮かべていた。
「きゅ、急にそんなこと言われましても!ど、どうすれば!」
「何でもいいよ!好きに歌って!」
全て落ち切ってしまった花びらたちを私は再び集める。
そしてメアリーが「わ、わかりました。では僭越ながら!歌います!」と恥ずかしそうに言ったところでもう一度思いっきり花びらたちを空へと投げた。
可愛らしいメアリーの歌に合わせて私はステップを踏む。
踊りなど社交ダンスくらいしかしたことはない。
なので決して上手いものではないだろうが私は別にそれでよかった。
「リタ」
突然聞き覚えのある柔らかい声に呼ばれた気がして思わず声の方へ振り向いてしまう。
するとそこにはこちらを驚いた表情で見ているロイがいた。
「…っ」
驚きたいのはこちらである。
何で公爵邸から離れたこんな場所に皇太子であるロイがいるのだ。
客人が迷い込むような場所ではないはずだ、ここは。
「ロロロロロロイ殿下!」
メアリーはロイの突然の登場に焦ったようにそう言ってその場で深々と頭を下げた。
「君の名前はリタなのかい?」
そんなメアリーを一瞥してロイが私の元へやって来る。
先ほど私がつい癖で〝リタ〟に反応してしまったからそう言っているのだろう。
「…リタ?」
私は咄嗟に〝リタ〟など知らない、と困ったような表情を浮かべた。
「ああ、違うんだね。ごめんね、よく似ていたから間違えてしまったよ」
そんな私にロイが甘く笑う。
天使のような見た目のロイとその後ろに広がる花畑は相性抜群で、まるで私の目の前に本当に天使が現れたのではないかと錯覚してしまうほどその光景は美しく、現実離れしていた。
私がリタの時に知ったロイの本性を知らなければ今頃彼に骨抜きにされていたことだろう。
「僕の名前はロイ・ミラディア。君の名前を聞かせてくれるかな?」
私と目線を合わせるように少し屈んでロイがその特徴的なルビーの瞳で私を見つめる。
まさかこの瞳にまた見つめられる日が来るとは。
あの夜が最後だと思っていたのに。
「…ステラです」
「ステラか。素敵な名前だね」
控えめに笑い、自分の名前を口にするとロイは私にふわりと笑った。
一体、何を企んでいるのだろうか。
この腹黒皇太子が何の理由もなく、こんな公爵邸から離れた場所に来るとは思えないし、よくもわからない子どもと関わろうともしないはずだ。
「君は踊りが上手だね。フランドル公爵家の踊り子かな?どうだろう、僕と友だちになってくれないかな?」
「え」
驚く私なんてよそにロイが私の目の前に跪く。
そしてまるで絵本に出て来る王子様のように私の右手を手に取った。
王子様じゃん…。
すごい。女の子の憧れの化身じゃん。
「あ、は、はい」
予想外のロイの提案を断る訳にもいかず、私は戸惑いながらもロイの提案を受け入れる。
まあ、どうせもう関わることのない雲の上の人物なのだから適当に合わせておくことが無難だろう。
「よかった。それじゃあ友だちとしてお願いしたいんだけど我が宮殿に来て先ほどの舞を披露してくれないかな?」
「お断りします」
ついさっき適当に合わせようと思った私自身に心の中で往復ビンタをする。
ロイに合わせているととんでもないことになる。
ロイの提案を笑顔でバッサリと断った私にロイは一瞬だけ驚きで目を大きく見開いたが、すぐにいつもの優しげな笑顔に戻った。
「どうしても駄目かな?僕はステラの舞に惚れ込んでお願いしているんだけど…」
こちらを伺うように笑っているロイに私はただただ拒絶の意味も込めて黙ったまま微笑む。
宮殿に何て行くものか!
あそこにはロイの婚約者のリタがいる。それに帝国中から貴族が集まる場所なので当然ルードヴィング伯爵だっているだろう。
そんな危険しかない場所行くわけないではないか。
「お断りします」
なかなか諦めないロイにもう一度そう言って笑うとロイは「はは、これはなかなか手強いな」とどこか楽しそうに笑っていた。
…あの笑顔は自分の思い通りにならない展開を楽しむ笑顔だ。
私はもしかしたら厄介な相手に気に入られてしまったのかもしれない。