メアリーとの言い争いの結果、私は何とかジャンから降ろしてもらえた。
メアリーは本当に過保護で油断も隙もない。
ジャンもジャンでメアリーの言うことを何の疑問もなしに聞きすぎだ。
街をいろいろと見て回ったところでさすがに何か買い物をしなければ不審がられると思い、私は適当に目に入った文房具屋に入った。
そしてそこで自分用のペンとノートとユリウス用の万年筆を買った。
ユリウスの万年筆はユリウスへのお土産だ。
今後も外出をする予定なのでユリウスの機嫌を取っておく為にも必要なものだろう。
…自分のお金ではなく、ユリウスからもらったお小遣いで買ったものだが。
いい物が買えた、とほくほくしながら私は文房具屋を出た。
「あっ。見てくださいっ。ステラ様っ」
私の隣で興奮気味にだが、小声でメアリーがそう言ってある場所に視線を向ける。
私はメアリーの視線を追って、メアリーと同じ場所に視線を向けた。
「あそこ。ロイ殿下ですよ。ロイ殿下直属の騎士団までいらっしゃいますよね?あれです、あれ。あれがこの前お話しした〝誰かを探す〟ロイ殿下です」
街の一角に似つかわしくない集団の中心にはメアリーが言った通り、ロイがいる。
ロイは騎士たちに囲まれて数人の18歳くらいの女性と何やら話をしているようだった。
確かに遠目から見ても誰かを探している雰囲気だ。
「…」
もう2度とロイとは関わりたくない。
そう思った私はロイに見つからないように気配を消してこっそりその場から立ち去ろうとした。
したのだが。
「ステラ!」
何故か遠くの方からロイに声をかけられてしまいそれは叶わなかった。
結構距離があったはずなのに何でバレたのだろうか。
「…こ、こんにちは」
この帝国の皇太子様を無視することはできず、その場に止まって気まずそうにロイに私は頭を下げる。
「こんにちは。こんなところで会うなんて奇遇だね」
するとロイは何故かそれはそれは上機嫌に笑顔で私の方へ歩み寄ってきた。
こ、こっちに来てしまった。
これでは挨拶だけして逃げることも叶わないではないか。
「ここには何をしに来たのかな?買い物かい?」
「…はい。そんなところです」
「そう。文房具屋から出てきたね。何を買ったのかな?」
「…えっと」
最初からわかっていたんですか。
まさかの最初からロイに気づかれていたことに心の中で頭を抱える。
この皇太子、本当に視野が広すぎる。
もし皇太子じゃなかったら、暗殺者とかスパイとかその辺の職業で天下を取れる気がする。
そもそも何で私の買った物に興味なんてあるのか。
「ペンとノートとあとユリウスに万年筆を買いました」
「ユリウスに?」
「はい」
気まずそうに笑いながらもロイに答えた私にロイが何故か一瞬だけ、冷たい笑顔を向ける。
だが、それはほんの一瞬ですぐにいつもの胡散臭い天使の笑顔に戻っていた。
一瞬だったのであの冷たさは見間違いだった可能性もある。
「ステラ、今時間はあるかな?よかったらそこのカフェでお茶でもどう?」
「…」
お断りしたい。
にこやかに何故かお茶のお誘いをするこの皇太子様からのお誘いをお断りしたい。
少しでも関わりを持ちたくない。
「…ごめんなさい。私、これから授業があるんです。だからもう帰らないと」
私は本当に言いにくそうにそう言って眉を下げた。とにかく残念そうに見せるために。
もちろん授業なんてない。これも穏便にお誘いをお断りする為の嘘だ。
このくらいいいだろう。
「へぇ」
申し訳なさそうにロイを見つめ続けていると、ロイは意味深に笑ってその視線を私ではなく、メアリーに向けた。
何故、メアリーを見るのか疑問に思ったが、その答えはすぐにわかった。
「…きょ、今日の授業は先ほどなくなりました!ステラ様に今後のご予定はございません!」
ビシッと背筋を伸ばしてメアリーがロイにとんでもないことを言ってしまう。
ロイはメアリーに圧をかけてメアリーを自白させたのだ。
幸い、メアリーは優秀なので私が嘘をついているとは言わず、〝予定がなくなった〟と言ってくれた。
私では取り付く島もないからとメアリーに圧をかけるとは。この腹黒皇太子は私が嘘をついていると最初からわかってメアリーに圧をかけたのだ。
何と性格の悪い。
「…ステラの予定はなくなったんだって。だから僕とお茶くらいできるよね?」
「…はい」
にっこりとこの予定調和な展開に満足げに笑うロイに私は力なく返事をした。
ああ、なるべくステラとしてロイに関わりたくないのに!
*****
そもそもこの人は今こんなことをしていていいのだろうか。
私の目の前で優雅にお茶を飲んでいるこの男は先ほどまで〝例の誰か〟を探していた。
仕事中のはずなのだ。
「…ロイ様はお仕事中だったんですよね。こんなことしていて大丈夫なのですか」
お忙しい中ならさっさとそのお茶を飲み干してこの意味のわからないお茶会もやめてしまいましょうね。
と、思いながら心配そうにロイを見ると、ロイは私に余裕のある美しい笑みを向けていた。
「仕事中だったよ。でも君に会えたんだ。であるならば君が優先されるべきだろう?」
「…」
いや、違うでしょ。
ロイの言動に呆れてしまい、言葉が出ない。
この男はいつもそうだった。相手が困るとわかっていながらおかしなことを口にする。
困っている相手を見るのが面白いのだ。
私のことも何故か気に入っているのでそうやって楽しんでいるのだろう。
「僕たちは友だちじゃないか?ねぇ?」
「そうですね」
同意を求めるロイに私はにっこりと笑った。
あまり嫌がるとかえってロイを喜ばせてしまう。
ここはあえて当たり障りのない対応をして、ロイを飽きさせてさっさと解散の流れにしてしまおう。
「君はいつからフランドル公爵邸の踊り子をしているんだい?」
「え。あ、ちょっと前からですかね」
「へぇ。じゃあ給料はいくらもらっているのかな?」
「…それは言えないです」
「そう。ならこんな話はどうかな?公爵邸より宮殿の方が倍の給料を支払おう。だから宮殿専属の踊り子にならないかい?」
「…難しいですね」
訂正するのも面倒くさいと思い、適当にロイの話に答えていると、話がとんでもない方向に流れてしまい、私は心の中で1人焦ってしまう。
いつの間にかフランドル公爵邸の踊り子になっているし、宮殿に引き抜かれそうになっているし、どうすればいいんだ。
「んー。そうか…。じゃあ気が向いたらぜひ我が宮殿に来て欲しいな。それで次何だけど君の好きな食べ物は何かな?」
「…苺、ですかね」
「うんうん。可愛らしいね。苺は甘酸っぱくて美味しいよね。宮殿には宮殿お抱えのシェフがいるんだけどそのシェフの料理はどれも絶品でね。宮殿の為に作らせた最高級の苺で作られるシェフの苺タルトはもうそれはそれは素晴らしく、他では食べられない美味しさがあるんだよ」
「…へぇ、凄いですねぇ」
「そうだろう。どうかな?うちに食べに来ない?」
「…お断りします」
にこやかなロイに何とか笑顔で私は答え続ける。
何でこの皇太子様は私をどうしても宮殿に呼びたいのだろうか。
この後、こんな感じの会話を約1時間も続けることになるとはこの時の私は思いもしなかった。
*****
「それじゃあステラまた。気をつけて帰るんだよ」
「はい。ロイ様もお仕事頑張ってください」
ロイが美しく私に微笑みながら手を振る。
私はそんなロイに同じく表面上だけ何とか笑顔を作って手を振った。
もう疲労困憊だ。疲れた。
事あるごとに宮殿へ来るように誘われ、皇太子の誘いを無碍にできる訳もなく、それを毎度毎度ご丁寧に断り続け、この1時間で精神的疲労が溜まりに溜まってしまった。
「…はぁ」
ロイと別れた後、私は小さく息を吐いて疲れた瞳でぼんやりと空を見上げる。
カフェに入る前に広がっていた青い空がもうオレンジ色に変わっている。夕方だ。
帰ろう。
公爵邸周辺の街の構造や治安は何となくわかった。
あとは一度帰ってこの情報を地図に落とせば今日のミッションはコンプリートだ。
いろいろと考えながらも公爵邸の馬車へ向かって歩いているとそれは突然私の耳に入ってきた。
「見つかりましたか」
聞き覚えのある落ち着いた声。
声の方へ視線を向ければそこにはリタの専属執事、セス・レイエス(19)とセスを囲むようにルードヴィングの私兵たちが立っていた。
私は慌ててセスたちからは見えない死角を探してジャンの後ろに隠れる。
「ここには例の者の情報はありませんでした」
「そうですか。わかりました。例の者が逃げて数ヶ月経ちましたが、国境記録によると帝国を出た者の中に例の者と同じ特徴の者はおりませんでした。近場で潜伏していると考えられます。徹底的に探しましょう」
夕日に照らされてキラキラと輝く色素の薄い白い後ろに一本にまとめられた長髪が風に吹かれてゆらゆらと揺れている。
男にしては美しすぎるセスの顔には疲れと憂いの色をがあった。
その特徴的な透き通った水色の瞳が街をじっと見つめている。
話の内容からして間違いなく私を探しているのだ。
セスたちは。
「あら。あちらはセス様ですね」
私の視線の先に気がついたのかメアリーが呑気にそんなことを言った。
そして私の気など知るはずもないので「セス様たちも誰かをお探しのようですね」と笑っていた。
その誰かとは私である。
「あ、あちらの方はリタ様の専属執事のセス様です。とても優秀な方で昨年の学院卒業生の中でも常に成績トップをキープしていたそうですよ。その優秀さとあの美貌でかなり人気な方なんです」
私がセスを気にしていると思ったのか、メアリーが私にセスの説明をしてくれる。
だが、私はメアリーに説明なんてされなくともセスのことはよく知っていた。
リタの代役を務めていたからだ。
セスは私、ステラにとって幼馴染のような存在だ。
8年前、リタの代役を務め始めた私と同時にセスはリタの専属執事として任命された。私とセスはほぼ同時期にリタの為に用意された子どもだった。
リタの代役は大変なこともたくさんあったし、時には悔しいことや不自由なこともあった。
それでも私が飄々としていられたのは同志であったセスがいたからだ。
セスは私の正体を知っており、唯一リタの代役ではなく、ステラとして私と接してくれた。2人でずっと頑張ってきた。
もう一度言うが、セスは私の幼馴染のような存在で私の正体を知っている。
きっとセスなら今の私を見て一発で私だと気がつくはずだ。
「例の者の動きなら大体把握しています。急に襲われたので慎重になっているはずです。同じ場所をもう一度です。思いもよらない方法で潜伏している可能性があります。それこそ魔法薬を使うなどして」
セスの的を得すぎている言葉に私は息をのむ。
潜伏していることも魔法薬を使っていることも予想されているとは。
これはますますセスに見つかるわけにはいかない。見つかればすぐに私だとバレて即殺されてしまう。
私は何とかセスたちの視界に入らないようにジャンやメアリー、周りの護衛騎士たちを上手く使ってその場から離れた。