「6月まで別の部活をやってました、そこで仲が良かった同期とちょっといろいろ……僕もどうしたらよかったのか今もわからんくて、ずっと引っかかってて……」
旭陽から恋心を打ち明けられたこと、友達としてこれからもつき合って行きたいと答えたこと。そして、その翌日から、旭陽がよそよそしくなったことを、順を追って話す。
旭陽は練習が終わってから、泰生が楽器を片づけるのを待たなくなった。さっさと練習場を後にする。バイバイのひと言も無く帰ってしまい、メッセージも全く寄越さなくなったので、避けられていると気づいた。
ある時、昼休みに食堂で出会ったのに旭陽は気づかないふりをして、連れ立っていた友人と遠くの席に行ってしまった。さすがにこれには腹が立った。
「そんな態度取っといて、俺がクラブ辞める言うたら、掌返したみたいに俺がおらんくなったら寂しいとか何とか言うてきて、何やねんって感じ……マジ胸糞」
言葉が止まらなくなった泰生は、言葉が汚くなってきたことに気づき、はっとして口を噤んだ。呆れられたと思い石田の顔を窺うと、彼は温かい微笑を浮かべた。
「それをずっと誰かに言いたかったんやね」
泰生の視界が自然と下がる。ぎゅっと握られた両のこぶしは、白くなっていた。石田は静かに続けた。
「その井上くんにしてみたら、たぶんそれこそ
泰生は顔を上げる。拒絶などしなかった。鼻の奥がつんとしてきたのを自覚しながら、訴える。
「俺……僕は、井上とずっと友達でいたかったんです」
「でも井上くんが望んだのはそうやなかった……だからちょっとこれまで通りに長谷川くんと接されへんかったのかもしれへんねぇ、長谷川くんは今までに好きな子から、友達でいましょって言われたこと無いかな?」
石田の言葉に、あっ、と思わず言いそうになる。高校3年生の春、同じクラスの女子に、そう言われて振られたことがあった。泰生はその子をそれ以降無視するようなことはしなかったが、受験体制に入って彼女と自然と距離ができたのでなければ、卒業まで辛かったかもしれなかった。
石田もそんな経験があるのか、微苦笑した。
「友達でいようって言われたら、嫌われたんと違うしいいかと思う反面、割としんどくない?」
「……しんどいです……」
別のことに気づいて、泰生はまたはっとする。クラブを辞めるなとあの日引き留めてきた旭陽は、泰生と「友達」でいることを一旦受け入れようとしてくれていたのではないのか。
「……僕もしかして、自分から井上の手ぇ振り払ってしもたんですかね……」
泰生の胸に、ゆっくりと絶望感が広がっていった。視界がぼんやり滲み、蚊取り線香の匂いがやたらと鼻の奥を刺激する。
俺、あほやわ。楽器続けること迷うくらいあいつとの関係にこだわってるのは、俺のほうやった。
涙を堪える泰生に、石田はあくまでも優しく話した。
「そんなに自分を責めんでええと思うで、お互いが冷静になるタイミングがずれるのはようあることやから」
石田は言ってくれるが、あまり慰めにならなかった。泰生は軽く鼻を啜る。
「大学で一番にできた友達やったのに……」
「そう井上くんに言うてあげられたらいいね、もしほんまに長谷川くんが井上くんと縁があるんやったら、関係を修復するチャンスは絶対来るから、焦らんと待ち」
「もし来んかったら?」
子どもみたいに泰生が尋ねると、石田は慈悲深い微笑を浮かべながら、ばっさり答えた。
「諦め」
正論なのだが、身も蓋もない。泰生は肩を落とした。石田がふっ、と笑う。
「あのな長谷川くん、人の関係って可笑しなもんでな、誰かを諦めたらそれを倍の密度で埋めてくれる誰かと出会うようになってんねん……それはその人自身がステップアップしてる証拠でもあって、人間関係が変わる時っていうんは、絶対に自分が良いように変わる時や」
そう言われると、そうだったらいいなと思えた。泰生は視線を落とし気味ではあったが、頷く。
「はい……いきなり来てこんな話して、すみませんでした」
「いえいえ、こういうことも私の仕事やし気にしぃな……長谷川くん、井上くんがセクシャル・マイノリティやから、このこと岡本くんにも誰にも話さへんかったんか?」
泰生は再度頷く。おかげで、かなりすっきりした。石田も力強く頷いた。
「長谷川くんのその気遣いにいつか井上くんも気づくし、そういうことができる長谷川くんには、これからもっとたくさんのいい出会いが待ってると思うで」
長椅子の台に置かれたグラスは、少し汗をかいていた。泰生は残りの茶を飲む。礼拝堂に漂う蚊取り線香の匂いが、優しくなったような気がした。