岡本とよく話して、気持ち良く酔っ払って帰った泰生は、帰宅してからついリビングでうつらうつらしてしまった。
次男がもう夏休みに入っていると知る家族は、薄情にも彼を起こさず先に寝ていた。だから泰生が夜中の1時過ぎに目を覚ました時、リビングの明かりとエアコン以外は全て消されていて、泰生は自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。
冷たい家族に少しムカつきながら、泰生は一度部屋に行く。きっと兄もそう思っているのだろうが、1つの部屋をきょうだいで使うというのは、なかなか気を遣う。小さい頃、2段ベッドで寝ていた泰生と友樹は、現在カーテンをパーテーションにしていた。
泰生はなるべく音を立てないようにしながら、タンスから下着を出した。酔いは醒めているので、シャワーを浴びた。
騒音対策の弱い風のドライヤーは髪を乾かすのに時間がかかり、泰生がベッドに入ったのは2時近かった。目が覚めてしまった感じがあり、音楽でも聴こうかと思った時、枕元のコンセントに繋がれたスマートフォンがぱあっと光った。
時間が時間だけに、泰生はどきっとした。こんな夜中に連絡を寄越す友人知人は基本的にいないのだ。それで余計に気になったので、泰生はスマートフォンに手を伸ばす。
井上旭陽からのRHINEだった。泰生の心臓がどくん、と鳴る。
『ご無沙汰しています。試験お疲れです。これが終わったら、長谷川に嫌な思いをさせたことをどうしても謝りたいと思っていました』
旭陽のメッセージは、今すぐ泰生の目に触れる前提のものではなさそうだった。泰生がトークルームを開いたので既読通知がついたはずだが、旭陽は気づいていないのだろう、続けて吹き出しが現れた。
『もう長谷川と毎日顔を合わせることができないと今さら実感して、告ったことや、その後に距離を置こうとしたことを後悔しています。長谷川が俺をブロックする前に、それを伝えたかっただけです』
泰生は耳の中で鼓動が響くのを聞きながら、言葉を探した。もう気にしていないと打ちこもうとして、そんな適当ではいけないと思い直す。もっと、自分の気持ちにより近い返事をしたい。
石田牧師の言葉を思い出した。もし縁があるなら、絶対に関係を修復するチャンスが来る。
これはチャンスなのだろうか。ならば尚更、真摯に向き合うべきだった。そう考えるほどには、泰生にはまだ、旭陽という友人を失うことへの未練があった。
『こんばんは。試験お疲れさまでした。ちょっと寝そびれていたので、RHINE見ました』
『告られたことはともかく、その直後の井上の振る舞いが腹立たしかったのは事実です。でもよく考えてみると、俺だって同じ態度を取るかもしれないし仕方ないと思いました。だって、自分を振った人間に、にこにこしてやる義理なんか無いから』
泰生はどきどきしながら、2つのメッセージを続けて送った。するとすぐに既読がついたが、旭陽は沈黙する。泰生は2時を過ぎたスマートフォンの時計を見て、ふと友樹の寝ているほうに光が向いてはいけないと思い、ベッドの上で身体の向きを変えた。
何分か過ぎると、新しい吹き出しが、旭陽のメッセージを載せて次々と現れた。
『こんな時間にほんとにごめん。まさか起きてると思ってなくて、めちゃくちゃびっくりした(笑)』
『実はあの時、長谷川も俺と同じ気持ちでいてくれてると勝手に思い込んでて(ごめん)、その分ショックで、友達としてなら交際できるって何やねんって腹立ったし、もしかしたら言いふらされて周りにゲイバレするかもしれんと思って、怖くなった』
『長谷川が言いふらしたりするわけないのにな。そんで、長谷川の退部願を4回生が受け取ったって聞いて、もうどうしたらいいかわからんくなった』
『友達でいいからって言おうとしたけど、もう遅すぎた。こんなしょうもない俺を許してくれとは言わん。自己満足や。でも、ほんまにごめん』
堰を切ったような旭陽の告白は、泰生の胸を抉った。やっぱり俺が、井上の手を振り払ってしもた。俺がもう少し、冷静にあいつの話を聞いてたら。
泰生の視界が、軽い絶望でじわりと滲んだ。もう遅過ぎるのかもしれない。でもこうして、正直な思いと謝罪をぶつけてくる旭陽に、謝ることだけはしておきたかった。泰生は迷いながら、指を動かす。
『ありがとう。俺のほうこそごめん。引きとめられた日に、もっとちゃんと話をするべきでした。俺は今でも井上と友達でいたいと思ってる。でも、それは井上を苦しめることかとも思います。だから、どうしたら一番いいのかよくわかりません』
泰生はひとつ深呼吸してから、舞台の上で最初の音を出すとき以上の緊張感をもって、送信ボタンを押した。
泰生が送った大きな吹き出しの下に、既読の文字がすぐに現れた。3分ほど経って、ぴょこんと新しいメッセージがやってきた。
『ありがとう。何か嬉しくて涙止まらんし、言葉にならへんからまた明日でいいやろか』
泰生はすぐに、OKの文字を掲げるうさぎのスタンプを送った。すると今度はすぐに、吹き出しが現れる。
『長谷川いっつも気遣いのひとで優しいから好き。ごめん。おやすみ』
よく考えると、こんな時間にメッセージを送りつけてきて、自分からおやすみはないだろうという感じなのだが、今の泰生には許すことができた。おやすみ、と返すと、身体から力が抜けた。
スマートフォンをコンセントに繋ぎ直した泰生は、ベッドの上に大の字になり、ひと息ついて目を閉じた。右の目尻から温かい水がこぼれて、頬を伝った。
旭陽の取った冷たい態度が、吹奏楽部を辞める決心につながったことは、今後誰にも言わない。吹奏楽部に所属することと、旭陽と友達でいることとは、別の話だから。今やっと、そう言うことができる自分を見出した泰生だった。