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第31話 〈番外編1〉 先走るライフセーバーの眩しい夏

☆長谷川家の加太旅行の物語です。この作品は、2024年11月に、ボーイズラブ短編として発表しています。泰生と文哉がどうこうという話ではなく、ラブシーンもありませんが、同性愛はちょっと……とおっしゃる方はご自衛ください。



 俺はさすらいのライフセーバーだ。トライアスロンの選手から転向し(大会には今もたまに出るが)、ちゃんと資格も持っている。

 俺は普段は某県で教員をしている。県が資格を持つ人間のボランティアを奨励しており、特別休暇をくれるので、そこに有給休暇をちょいと足して、7月末からお盆の半ばまで、プールや海水浴場で肌を焼いて過ごす。

 コロナのせいで夏の楽しみを奪われる数年が続いたが、昨年からこのボランティアを復活させた。今年は何と! 関西南部の知られざる海岸で働くことになり、俺ははり切っていた。

 知られざる、とは失礼な言い方かもしれない。しかし大阪のライフセーバー仲間は、やや穴場だと話した。その海水浴場は、大阪府と和歌山県の境に位置し、海岸線も砂浜も海の色も美しかった。あまり広くないので、目配りがしっかりできるのも良い。

 海の家は3軒しかなく、いつも忙しそうである。俺たちは毎朝、砂浜のゴミ拾いをしながら海の家のスタッフに挨拶するが、8月に入り、一番小さな店で、すらりとした青年が働き始めたことに気づいた。


「おはようございまーす」


 笑顔で関西らしい間延びした挨拶をしながら、レンタルのパラソルや浮き輪をてきぱきと表に出す様子が好ましい。俺は彼が大学生で、京都から帰省中であり、海の家は彼の親戚が経営していて、お盆まで手伝う……という情報を本人から得た。

 彼、岡本文哉は高校までバスケットボールをしていて、今は管弦楽団でチェロを弾いていると言った。元バスケ選手らしい、程よく筋肉のついた長い手足に、俺は密かに惚れ惚れしていた。Tシャツと短パンから覗いたその腕や脚は、まだ日焼けしていないが、3日もすれば海の子らしくなるだろう。


松永まつながさんお疲れさまでーす、アクエリ飲みます?」


 岡本くんは俺が見張り台から交代で下りて、海の家周辺を巡回すると、声をかけてくれる。海の家の人たちは、ライフセーバーが昼の弁当だけ出してもらっているボランティアだと知っているので、こうして飲み物を分けてくれるのだ。


「トライアスロンやってて体育大学卒って、松永さんもしかして、セーヌ川で泳いでたかもしれへんのですか?」


 岡本くんはもうすぐ始まるオリンピックを引き合いに出しながら、無邪気に訊いてくる。残念ながら俺は、日本代表になれるほどではなかった。


「バイクのタイムが上がらなかったんだよ、スイムは割と強かったんだけど」

「そうなんや……でもライフセーバーの競技会とかありますよね?」

「うん、ただなかなか日程合わないから、まず出るのが難しい」

「社会人って厳しいですねぇ」


 岡本くんは3回生なので、就職活動を目前に控えたその言葉と声には、しみじみとしたものがあった。




 ある日岡本くんが、同世代のひょろっとした男性客と、店先で親しげに語らうのを見かけた。2人は楽しそうで、俺は見張り台にいる時から気になって仕方なかった。

 岡本くんの「友達」らしき男性は、家族で泳ぎに来ている様子だった。海の家でパラソルと浮き輪を借りて、兄弟だろうか、やはり年齢の近い男性と海ではしゃいでいる。

 やがて兄弟が浜に上がり、男性は1人で浮き輪に掴まり泳いでいたが、その手が浮き輪から離れたのがわかった。彼は沖に流される浮き輪を追う。よくない動きだと感じて注視していると、彼の頭がどぷんと沈んだ。

 俺は見張り台から半分飛び降り、もう1台の見張り台の上にいる仲間に、救護に向かうと身振りで告げた。熱い砂浜を全力で駆けて海に飛び込む。海水の冷たさを確かめつつ、浮き輪目指して泳ぐと、男性の頭がぴょこんと浮き上がった。


「大丈夫ですか!」


 俺の声に、彼はびくりとなって言った。


「ひえっ! 大丈夫です、ちょっと足を取られただけです!」


 どうも危なっかしいので、俺は浮き輪に彼を掴まらせて、浜のほうに連れて行った。彼の兄弟と岡本くんが、異変を察して波打ち際に走ってくる。


「泰生、何溺れかけてんねん!」

「長谷川、大丈夫なんか!」


 長谷川と呼ばれた彼は、肩をすくめて小さくなる。これは俺がちょっと、大げさに動き過ぎたかもしれなかったが、一応説諭する。


「この海は遠浅だけど、たまに深いところがあるから、あまり沖に出ないほうがいいですよ」

「はい、海が久しぶりでちょっと方向見失いました、すみません」


 長谷川くんは素直だった。ぺこりと頭を下げる彼を見て、岡本くんとお似合いだなと、俺はちょっぴり切なくなった。




 長谷川くん一家は夕方まで海水浴を楽しみ、車でホテルに帰った。海の家を片づける岡本くんが、砂浜の点検に回る俺に話しかけてきた。


「ありがとうございます、長谷川助けてもろて」


 そんな風に言われると、少し胸が痛い。


「大切な人なんだね」

「へ? あ、まあ、管弦楽団の友達なんですよ、俺が誘ってまだ入部したばっかしで」


 そうか、と俺は応じて、夕日の沈み始めた海に目をやる。この海岸は日没が美しいことでも有名だ。


「あの子と一緒に夕日を見たらよかったのに」

「は?」


 岡本くんはきょとんとしていた。俺は彼の顔を見て、もしかしたら……と思った。いやしかし、岡本くんだって俺みたいな冴えないおじさんより、同い年の長谷川くんと居たほうが楽しいに違いない。大人の男として、俺は浅はかな期待をしてはいけないのだ。

 俺の気も知らず、岡本くんは海を見ながら言う。


「明日も晴れそうですねぇ」


 そうだね。俺は呟いた。岡本くんの横顔が眩しかった。


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