「岡本、長谷川はあと半年で幹事の役職を決めなあかんけど、何が向いてそう?」
高橋に訊かれて、そうですねぇ、と文哉は応じた。来年度の部長候補である文哉には、長谷川のこのクラブでの立ち位置を固めてやるという、貴重なコントラバシニストを辞めさせないための任務がある。
「あいつ結構何でもできますよ、まあ3回生入部なんで連盟と指揮者は無いとして」
その「連盟」こと、関西大学管弦楽連盟の理事候補である
長谷川は自分がコミュ障の陰キャだと思っている節があるが、喫茶「淡竹」の常連の評判もいいし、出張演奏の依頼や広告費を取るルート営業、渉外を任せてもいい。
1学年上の、長谷川と同じく3回生で吹奏楽部から移ってきた戸山は、ライブラリアンを兼ねた総務を担当している。そういった仕事でも、長谷川ならきっちりやってくれそうだ。
現在の連盟の理事である三村は、微苦笑した。
「長谷川がパーカッション手伝うの反対やったけど、何かええ感じにやってるよな……百花姫を介して木管の連中とも交流してるし、ああいうタイプ貴重かも」
弦楽器群、管楽器群、それに打楽器群がそれぞれ固まって行動しがちなのが、管弦楽団の弱みと言えばそうだった。プロならいざ知らず、学生オーケストラでは違うセクションのプレイヤー同士が、信頼し合えることが大切だ。それだけで音楽がまとまり、技術の不足を補ってくれることもある。
「長谷川がセクションの橋渡しになれそうってこと?」
高橋の言葉に、三村は頷いた。文哉は考える。全体に気を回す自由さと裁量が持てる、部長以外の役職って何や。
堀内が腕時計を見て、驚いたように文哉たちを見回した。
「もう10時半っすよ、帰って合宿の用意せな」
「明日早いからここまでや、長谷川には、合宿中に全員の顔と名前を覚えてもらおか」
高橋の言葉に、文哉は堀内と、はい、と声を合わせた。合宿直前の打ち合わせを兼ねた、ちょっと秘密めいた会議が終わった。
楽譜やペンケースを鞄に入れながら、文哉は思いついて、1人でにやけそうになった。
副部長や。他の仕事と兼任してもろてもいい。長谷川が副部長やったら、俺も何かと相談しやすい。めっちゃええ考えやん。
管弦楽団員を乗せた観光バスは、山道をカーブしながらまったりと走り、草原の中の道に出る。目的地はもうすぐだ。
夏合宿の開始を迎え、バスの中はテンションが上がっているかと思いきや、集合時間が早かったためか、半分以上の部員が寝ていた。中には車酔いをして、口がきけなくなった者もいるようだった。
泰生は隣で爆睡している岡本をちらっと見てから、窓の外に視界を移す。木々の緑が、夏の陽射しにきらきらしている。時々、ペンションやロッジの前を通り過ぎ、中には泰生たちのような学生が出入りしている宿もあった。この高原地帯は冬になると雪に包まれ、スキーヤーが集まるが、夏は学生・生徒の部活動の合宿地となるのだ。
バスがロッジの前にゆっくりと停まった。前の席に座る者たちから順番に、運転手に礼を言ってバスを降りる。外はかっとした暑さだが、「下界」よりじめじめしていない感じがした。
吹奏楽部の夏合宿もこの高原でおこなっていたので、山を背にした白い壁のロッジも、その奥に立つ体育館らしき建物も、泰生にとってはそんなに物珍しい風景ではない。先に到着していた2台の2トントラックの前では、4回生たちが皆の到着を待っていた。
「皆さんお疲れさまでした、みんな自分の荷物を食堂に置いて、ちっこい楽器の人は自分の楽器を、そのまま音楽室に持ってってくださーい」
部長の高橋が声を張ると、約80人がざわざわと動き始めた。初めての合宿となる1回生を、2回生が建物に入ったところにある大食堂に誘導した。泰生も管弦楽団員としては初めての合宿なので、岡本について行く。
金管楽器と弦楽器が積まれた2トントラック周辺に集うのは、自然と男子部員が多くなる。管弦楽団の男女比はちょうど半分ずつくらいだが、吹奏楽部と同様、大きな楽器は男子が担当しがちだ。
岡本はぼんやりした目のまま、腹減った、と呟いた。岡本と同じチェロパートの3回生の
「すぐ昼ご飯やん、みんなお腹減ってんねんから口に出しな」
「何で、口に出したら暴動でも起きるんか?」
泰生は2人の会話にぷっと笑ってしまう。まだ管弦楽団の全員の顔を覚えていないが、同期の18人は何とか把握しつつある。お盆明けに練習が始まってすぐ、泰生の歓迎会を催してくれたからだ。コントラバスパートに同級生はいないが、弦楽器群の10人が仲間扱いしてくれるので、吹奏楽部時代と違って練習中は心強く、休憩中も周辺はいつも賑々しい。
コントラバスは荷台の一番奥に入っているので、少し待たなくてはいけない様子だ。パーカッションや譜面台などが積まれたもう1台のトラックも荷下ろしを始めたので、泰生はそちらを手伝うことにした。
「えっ長谷川さん、どこ行くんすか」
コントラバスの2回生の小林に言われて、泰生は振り返る。
「俺らの楽器まだ出ぇへんやろ、パーカッション手伝おうや」