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第1章 菊人形の里

1-1 幹の爪痕

 空気に冬のきざしが混じる、11月の初め。

 極東エリアの東端に位置する小さな島国は、すっかり晩秋のよそおいだった。木々は紅葉し、多くの実りをたたえて絢爛けんらんに着飾っている。まるで、厳寒の季節を迎える前の祝祭のように。


 そんな、にぎわしくも静かな山中を、一台のバイクが走っていた。

 銀色の、飾り気のない三輪バイク。長距離走行に適したツアラー型トライクだ。エンジン回りが特別に改良されているのか、走行音や排気ガスはほとんど出ていなかった。

 鬱蒼うっそうとした林を駆ける三輪バイクはさながら銀の馬――と言いたいところだが、それはコンクリートで舗装されていない悪路に暴れ、騎乗する二人の人間を翻弄ほんろうしていた。

 前輪タイヤがブナの根に乗り上げ、車体が大きく跳ねる。


「ひゃっ」


 背中から小さな悲鳴が聞こえて、リュッカは後ろの同乗者に話しかけた。


「大丈夫ですか、チト様?」

「…………」

「結構、泥も跳ねましたね。お召し物は汚れてないですか?」

「…………」


 ――やはり無視か。

 返事はないだろうと思っていたものの、実際にシカトされるとなかなかこたえる。


 リュッカは振り向きたくなる気持ちを抑え、バイオ燃料で走る三輪バイクのギアを落とした。

 後部座席に大量の荷物とチトを乗せたそれは、VERTヴェールの公務用バイク。ヴァレリア医師の監督のもと、義手のリュッカが運転しやすいように改造された特注車だった。


 植物にまつわる異変や事件を巡る、VERT特派員の移動手段がバイクだなんて。

 リュッカは初め不審を抱いたが、その理由は、第一の派遣先「ヨナギ村」に向かう道中でおのずと知れた。

 チトとリュッカの派遣先は、交通アクセスがよい場所ばかりではない。公共交通機関が存在しない土地や、車両では通れない狭隘路きょうあいろ、徒歩だと何日もかかる山の奥。そういった場所に赴くには、安定性のある三輪バイクが最適解なのだ。

 そう判断したVERTは正しい。正しいのだが……


 三輪バイクを繰るリュッカには、気に入らないことがひとつ。

 リュッカの後ろに座るチトが、いっこうにけてくれないのだ。


(俺、やっぱり嫌われているんだろうか)


 リュッカは、時計塔でチトと初めて会ったときを思い出した。

 転びそうになったチトに手を差し伸べようとして、無下むげに断られたあのとき。チトから返ってきた言葉は「わたしに触るな!」だった。


(……だったら、バイクで二人乗りタンデムなんかさせないでくれよ)


 後部座席の存在感に、もやもやがつのる。

 VERT本部を出発し、本島に到着して三日。チトは基本的に、野営でも口をきいてくれなかった。敵視というより無視。リュッカを同行者に選んだのはチトだと聞いていたが、どうにも当たりがキツくて凹む。特派員に任命されて舞い上がっていた気持ちは、とっくに地に落ちていた。


 チトは〈一級庭師〉だからリュッカを見下しているのか、それとも、単純にリュッカが気に入らないのか。

 いずれにしたって接し方がわからない。それなのに――近い。

 薄明光線はくみょうこうせんつむいだようなブロンドの髪からは、花の香りが漂ってくる。衣服と同じ深緑のヘッドドレスが、頻繁にリュッカの背中をつついてむずがゆい。


「あの……チト様。バイクから落ちたら危ないので、せめて、俺の腰につかまってくれませんか」


 雨上がりでぬかるむ山道。うっかりバイクで転倒してチトを傷つけようものなら、その後の処遇が恐ろしい。

 リュッカは熟考の末にお願いしてみたが、案の定チトには聞き入れられず、後ろに沈黙とわだちが残るだけだった。




 それから、大した会話もないまま山を行くこと数時間。

 頭上には鰯雲いわしぐも。真っ赤なハゼの葉を滑った雫が、ヌルデの虫こぶで跳ねる。三輪バイクが起こした風で、サンショウの枝が黄金色に揺れる。

 風景だけ切り取ればのどかな旅路だ。それなのに、後ろでチトが身をよじるたび、居心地の悪さに気が滅入めいって仕方ない。

 仕事とはいえ、二人きりの旅なのだ。道すがら、もっと気楽に会話をしたり、天気がよければ鼻歌を歌ったりして移動したかった。

 リュッカがシケた顔で運転を続けていると、


「きみ。次の十字路を、右折してくれ」


 後ろから、鈴を鳴らすような声がした。


 目的地の「ヨナギ村」が近いのか――どうやらチトは、道案内をしてくれるつもりらしい。

 後部座席のチトはしきりに、地図か何かを確認しているようだった。VERTの特派員として必要な書類は、義指の動作が難しいリュッカに代わって、すべてチトが管理していた。


 リュッカが投げかける会話には応じないのに、仕事には随分熱心なチト。

 リュッカは苛立ちを抑えつつ、アプローチを変えて尋ねてみた。


「……ええと、チト様。よかったら、俺たちが向かっている『ヨナギ村』からの依頼について、もう一度教えてくれませんか?」


 考えるような沈黙が数秒。

 チトはリュッカの耳元で溜め息を吐くと、仕方ない、といった声色で話し出した。


「依頼主は斉藤正夫さいとうまさお。この国の山間部に位置する『ヨナギ村』の村長だ。ヨナギ村は世界有数のキクの産地として知られているが、今年はなぜか、キクの生育不良が顕著けんちょらしい」

「……なるほど」


 ――チトって、こんなふうにしゃべるんだな。

 リュッカはそれに気を取られて、ほとんど内容を聞いていなかった。

 少女っぽくない、どこか老成ろうせいした話し方。淡々としていて、文章を朗読しているみたいだった。涼やかな声質に不釣り合いな口調は、異能力者のチトを、いっそう浮世離れした存在へと演出していた。

 VERTの最高権力者という立場にあったせいで、そういう喋り方を求められてきたのだろうか。


「ゆえに、VERTへの依頼内容は『咲かなくなったキクの原因調査および対処』……って、きみ、ちゃんと聞いているのか?」


「き、聞いてますよ! ……ただちょっと路面が悪くて、バイクの運転に集中してたんです。参っちゃいますよね、いまだにこんな未舗装路があるなんて」


 リュッカが取りつくろうと、


「仕方ないさ。ヨナギ村はだから」

「重点文化保存地区?」

「国が定めた特別なエリアのことだ。地域の伝統文化を残すために、建物や風景を、昔のまま保存する決まりになっている。ヨナギ村の住人たちは、便利な暮らしを諦めるかわりに、伝統文化の保護者として生活しているんだ」


 ヨナギ村までの道がまったく整備されていないのは、そのためか。

 リュッカは喉元まで出かかっていた不満をぐっと飲み込んだ。


「実際に、ヨナギ村のキクの栽培は、昔ながらの露地栽培だ。外部環境に左右されやすいから、花が咲かなくなることだって当然ある――だから、わたしやきみが呼ばれたんだ」


 チトは事務的にそう告げて、口を閉じた。

「説明責任は果たした」とでも言いたげな、よそよそしい温度感。リュッカはチトのつれなさの綻びを探した。

 今みたいに、チトは仕事に必要な話はしてくれる。リュッカの疑問も放置せずに答えてくれる。思うにチトは、リュッカを邪険じゃけんにしたいわけではないのだろう。

 きっと、チトは警戒心が強くて、人見知りが激しいだけ。リュッカは唐突にそんな気がしたし、そう思いたかった。


 リュッカは情に訴えるように、小声でそっと頼んでみた。


「チト様……できれば、俺のことは名前で呼んでくれませんか?『きみ』と呼ばれるのは他人行儀な感じで、パートナーとしてちょっと寂しいです」

「…………」

「だめ、でしょうか?」

「…………わかった。それではわたしのことも――ひゃうっ!」


 瞬間、小石に乗り上げた三輪バイクの弾みで、チトはぴょんと飛び上がった。タンデムシートにお尻を打ち付け、言葉尻が悲鳴でかき消える。

 チトは何と言いたかったのか――リュッカはついに聞きそびれた。


 出会ってから、リュッカの期待を裏切り続けるチト。口調こそ老成しているが、その仕草はどう見ても、小柄で非力な少女である。

 彼女は本当に、植物を操る異能〈みどりのゆび〉の保有者なのだろうか?

 そんな疑問がリュッカの脳裏をかすめるが、今はそれよりも、チトのか弱さへの動揺がまさった。

 精巧に作られた人形のようなチトは、ふとした衝撃で壊れてしまいそうで、


(ああ……つまり、か)


 リュッカはたちまち、自分が、チトの護衛として当てがわれたことを悟った。

 自分の役割は、か弱いチトのボディーガードなのだ。リュッカは急に理解した。

 先日出されたVERT特派員への辞令。あれは、リュッカの知識や経験が買われたわけではない。そして多分、両腕を失ったことへの憐憫れんびんで推薦されたのでもない。ものものしい鉄の義手に利用価値を見出されたのだ。

 リュッカは義指に力を入れて、三輪バイクのハンドルを握り直した。


 ――と、そのとき、視界に入る樹木の異変に気がついた。


 赤く色づいた広葉樹の幹に、無数の爪痕つめあと


 幹の傷をよく見ると、それは地面と水平に刻まれたき傷の集まりだった。十数本の線の集まりは、下の線ほど短く、遠目から見ると逆三角形を描いていた。その逆三角形が、7~8メートルはあろう木の至るところに刻まれていた。

 鋭い爪のようなもので執拗しつように傷つけられた幹。シカやクマの痕跡こんせきだろうか。獣の仕業とするには若干几帳面きちょうめんな印象だが、用心に越したことはない。


 リュッカはぞっとして身を強張こわばらせたが、


「リュッカ。間もなく見えてくる木橋を渡ったら、今度は左折してくれ。もうすぐヨナギ村だ。わたしの庭師としての初仕事――絶対に成功させないと」


 チトは自分をふるい立たせるように呟き、ドレススカートの上でこぶしをつくっていた。健気けなげな発言に、俄然、親近感が湧く。チトはまだ幹の爪跡に気づいていないようだった。


「そうですね……急ぎましょう」


 リュッカは無粋ぶすいなことは言うまいと口を閉じ、黙って三輪バイクのスピードを上げると、逃げるように林を抜けた。

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