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第2話 ギルドの名前は野良猫から


 なぜかオレはギルドマスターになることになった。そもそも、だ。オレは冒険者を始めてまだ1ヶ月。そんなレベルのオレにとっての冒険者ギルドの知識なんて、依頼を受ける窓口があって、依頼掲示板があって、冒険者が屯っていて、受付嬢がいる……その程度の表面的なものしか分からない。


 それでも、リリスさんと出会ったあの日のように親父の言葉を信じたいと思った。


 あの日、土砂降りの雨の中オレは露店で立ち尽くしていた。商品もろくに売れず、ただただ時間が過ぎるのを待つだけだった。そんな時、雨の中から美しい銀髪をなびかせ、現れたのがリリスさんだった。そして唐突に「お兄さんごとここにある商品が欲しい。と言ったら、お兄さんどうしますか?」って言われたんだ。


 訳が分からず戸惑ったオレの頭に浮かんだのは、親父の言葉だった。「お前を必要としてくれるなら、どんなことでも必ず意味がある」という言葉が頭を離れなかった。今思えば、あの奇妙な問いかけはこの時のためのものだったのだろうけど。そんなこんなで、オレはリリスさんに拾ってもらって今に至る。


「リリスさん、オレはギルド経営は正直、全然分かりません。まず何から始めればいいですかね?」


「まずは王国のギルド管理機関に申請を出して、正式な承認を貰う必要がありますね。これは手続きなので、今日中に済ませてしまいましょう。そしてギルドの活動拠点となる場所。これはもう決めてあります。それと、ギルドの運営を手伝ってくれる従業員も集める必要がありますね!まあそれは追々で。信頼できる仲間を見つけるのは、時間がかかるものですから。まずはギルド管理機関に行きましょう!」


 リリスさんは、まるで頭の中に完璧な設計図でもあるかのように、スラスラと答えていく。本当にギルド経営をしたかったんだろうな。その的確なアドバイスは頼りになるというより、むしろちょっと怖い。本気度が伝わってくるから余計にプレッシャーを感じる。


「分かりました。じゃあ、とりあえずまずはギルド管理機関ですね?」


「さすがはエミルくんです。話が早くて助かります。頼りにしてますよ?」


 リリスさんは、太陽のように明るい満面の笑みを浮かべて微笑んでくる。その笑顔は、天使のように可愛らしいはずなのに、今のオレにはなぜか悪魔の微笑に見えてしまう。


 というか、本当にこんな展開になるとは思ってなかった……まさか、オレがギルドマスターになるなんて。


 そのまま宿屋を後にし、王都の中心部にあるという王国ギルド管理機関を目指すことにした。朝の王都は、まだ少し冷たい空気に包まれていて、通りの人々は足早にそれぞれの目的地へと向かっている。


 石畳の道を踏みしめながら大通りに出ると、少しずつ人通りが増えてきた。露店が開き始め、パン屋からは香ばしい匂いが漂ってくる。


 その道中、隣を歩くリリスさんがまるで子供に絵本を読み聞かせるかのように、饒舌に楽しそうにギルド管理機関と冒険者ギルド、そしてギルドに登録された冒険者について説明してくれた。その話を聞きながら、オレは改めて、自分が足を踏み入れようとしている世界の大きさを知った。


 ギルド管理機関。それは、王国の冒険者活動の全てを司る巨大な組織。王国の威信を担うその機関は新たなギルドの設立を許可し、活動を終えたギルドに終止符を打つ権限を持つ。単に許可を出すだけでなく、冒険者ギルドからの依頼書を一つ一つ精査し、その活動が国の利益に反していないか、危険すぎないかなどを監督する。国の冒険者ギルド全体の健全な運営を守り、不正や腐敗を排除することもある。


 そして、管理機関に登録された冒険者ギルドは、厳しい許可を得た依頼のみを冒険者に斡旋する。依頼内容は、魔物討伐から素材採取、護衛、探索、配達、果ては落とし物探しまで多岐にわたり、名もなき市民の個人的な困り事まで受け付ける。実績と信用を積み重ねたギルドには、より困難で高報酬な依頼が舞い込み、それがギルド自体の力となる。冒険者ギルドは、単なる戦闘集団ではなく、資源の循環を促し、経済を活性化させ、時には国の盾となる――リリスさんの話を聞くにつれ、その存在がこの社会の根幹を成す、いかに重要なものか痛感させられる。


 さらにギルドには実績と信用による階級も存在する。Bランク以上の危険な依頼を受理できるかで区別される上級者ギルドは、国の発展に大きく貢献し下位ギルドの目標となる。そして、ギルド冒険者自身もまた、Fから始まりSへと、その能力と実績で厳密にランク付けされる。依頼達成の功績を積み重ね、信頼を得てようやく一人前とされるBランクへの道は険しい。 Sランクに至っては規格外で文字通り数えるほどしかいない。


 このランクシステムこそが、冒険者たちの努力と成長を促し、ギルドや王国全体の力を高める仕組みなんだろうな。これから色々と忙しくなりそうだ。その前に、リリスさんにどうしても聞いておきたいことがあるので、思い切って口を開く。


「リリスさんは、どうしてギルド受付嬢になりたいんですか?あの強さなら、このまま冒険者を続けていれば間違いなく王国最強になれたと思いますけど?」


「……はぁ……正気ですかエミルくん。私はもう限界なんです。というより、完全に飽きました。毎日毎日、同じような魔物を狩って、同じような場所を旅して。それに、私がパーティーにいることで、あいつらみたいな勘違い野郎が、まるで自分が偉くなったかのようにデカイ顔をするのも、心底気に入らないんです。それに何より……」


 何より?リリスさんの言葉には、何か特別な理由が隠されている気がした。


「……可愛いからです!」


「え?」


 待て待て。今、なんて言ったんだこの人!?可愛いって……あのリリスさんが言ったのか?聞き間違いであってほしい。


「だから可愛いからです!ギルド受付嬢は、世の中の勇敢な冒険者たちのアイドル的存在じゃないですか。それにあの可愛らしい制服も魅力的ですし、何より服が汚れたり、雨風に晒されながら野営したりする生活とは無縁になりますし最高です!ずっと我慢してたんですからねあんな泥臭い冒険者生活!」


 リリスさんは、目をキラキラと輝かせながら、まるで夢見る少女のように話している。本当に、自由で華やかな生活を謳歌したいようだ。なるほど、それが彼女の本音だったのか。確かに、女性にとってそういう願望は当然なのかもしれないけど……あの最強冒険者のリリスさんが、本当にそんな理由で?


 そんな話を聞きながら歩いているうちに、オレたちは王都の中心部に近づいてきた。建物一つ一つが大きくなり、石造りの重厚な建築が増えてくる。


「……あっ!エミルくん、着きましたよ。あれが王国ギルド管理機関です」


 リリスさんが指差す先には、圧倒的な存在感を放つ、巨大でどこか威圧感のある建物がそびえ立っていた。石造りの壁は歴史を感じさせ、高い窓からは鈍い光が差し込んでいる。入口には、今にも動き出しそうなほど精巧に彫られた誇らしげに剣を構えた騎士の銅像がまるで門番のように鎮座している。さっきリリスさんから聞いた話と相まって、その威圧感は増幅されているように感じた。


 建物の中に一歩足を踏み入れると、外観から想像していた以上に広いロビーが広がっていた。高い天井、磨き上げられた床、そして壁には歴代の代表者らしき人物の肖像画が飾られている。


 ロビーの奥の方には、複数の窓口がずらりと並んだカウンターが見える。職員らしき人々が忙しそうに行き交っている。リリスさんの迷いのない堂々とした足取りの後をついて、オレもおずおずとロビーの中に入っていった。


 リリスさんは、まるで自分の庭を歩くかのように、真っ直ぐにカウンターに向かって歩いていく。そして窓口にいた、優しそうな笑顔を浮かべたお姉さんに迷いなく声をかけた。


「すみません。ギルド開設の許可をいただきたいのですが」


「はい。新規で開設される方ですか? それとも、既存のギルドを引き継ぐ形でしょうか?」


「新設でお願いします。設立するためのお金はすでに払ってあります」


「お名前を教えていただけますか?」


「はい。リリス=エーテルツリーです」


 その名前を聞いて、受付のお姉さんの優しげな笑顔が凍りついた。瞳は驚きに見開かれ声もわずかに震えている。


「あの……本当だったんですか? 『精霊の剣』を解散して、ギルド経営するって……」


「はい。私のこと疑ってたんですか?」


「いや、まさか本当に……!だって、あの『精霊の剣』のリーダーだったリリス様が、パーティーを解散しただけでも衝撃なのに、まさか新設のギルドを……それもご自身で経営されるなんて、にわかには信じられなくて……!」


 確かに信じられないのかもしれない。Sランクの冒険者がパーティーを解散どころか、冒険者稼業から完全に身を引き、ギルド経営――しかも受付嬢として働くというのだから。オレだって未だに実感がない。


「とりあえず、ギルドのマスターはこちらのエミルくんで登録をお願いします」


「はっはい。かしこまりました。それでは、開設されるギルドのお名前を教えていただけますか?」


 ギルド名?ギルドの名前……。受付のお姉さんはオレの方に視線を向けた。


「ギルド名どうしますかエミルくん?」


「えぇ!? オレですか!?」


 オレは思わず大声を出してしまった。まさかこんなギルドの顔となるような重要なことを、何の相談もなくいきなり丸投げされるなんて……


「当たり前じゃないですか。君は、今日から私たちのギルドのマスターなんですよ?ギルドの名前を決めるのは、マスターの仕事ですよ?」


「で、でも、そんな急に……!」


「急に?ギルドを開設するのに、名前が必要なのは当たり前ですよ?それを考えておくのがマスターの役目ではないんですか?まさか、何も考えずにフラフラ私についてきただけだなんて言わないですよね?いいですか、ギルド名というのはそのギルドの顔であり看板です。君のセンス一つで、ギルドの第一印象が決まるんです……分かってますよね?ダサい名前をつけたら……殺しますよ?」


 最後の一言は、笑みすら浮かべずに言われた。ゾクリと背筋が凍る。これは脅しだ。本気の脅しだ。脳が必死に回転を始める。ダサい名前はダメだ。リリスさんを納得させられる名前……


「わっ、わかりました……えっと……」


 オレは、冷や汗をかきながら、思考をフル回転させて考える。リリスさんを納得させられるような、良い名前はないものだろうか……。


 正直、今まで生きてきた中で今が一番緊張している。相変わらずリリスさんは太陽のようにニコニコしているけどさ!その笑顔が逆にプレッシャーなんだけど!


 良い名前はないものかと必死に視線を彷徨わせた、その時だった。視界の窓の外に一匹の野良猫が見えた。気ままにどこかへ向かって歩いていくありふれた一匹の野良猫。


 ――『ストレイキャット』。


「え、えっと、名前ですが……」


 ごくり、と喉を鳴らす。


「『ストレイキャット』はどうですか?」


「野良猫ですか。理由は?」


「あ、あのですね。野良猫って、誰にも媚びず自由に生きてますよね?それにどんな厳しい環境でも逞しく生きていける。自分たちの力だけでどこでもやっていける強さがあると思うんです!まだ始まったばかりで、何の後ろ盾もない、初心者のオレたちみたいに……でも、だからこそどこにも縛られずに自由にそして強くありたいなって!」


「まぁ、無難なところですかね」


 オレは、その言葉にそっと胸を撫で下ろした。リリスさんの反応が怖くてもしこの名前でダメ出しされたらどうしようかと、心臓がバクバクしていたんだ。そんなオレの様子を見て、リリスさんが笑う。


「ふふっ」


「え?」


「それにしても。たまたま外に見えた野良猫から名前をつけて、それらしい理由を咄嗟に、しかもあんなにも真剣な口調で話すなんて。君は本当に面白い人ですね?その頑張りに免じて、ストレイキャットで妥協しますか」


 リリスさんはそう言って微笑む。バレていたんだな……。そのまま色々な手続きを済ませていく。そして、1枚の金属のプレートが渡される。そこには『ギルドマスター エミル=ハーネット』と書かれていた。


「それが、ギルド開設許可証のプレートです。正式にギルドとして認められた証になります。ギルドの看板はデザインも素材も自由で構いませんが、必ずその看板の近くにこの許可証を掲示してください。あとは、定期的に管理機関の者がギルドの活動状況や運営状況を視察に伺いますので、その際はご協力をお願いいたしますね」


 受付のお姉さんの丁寧な説明を聞きながら、オレはプレートを握りしめた。これがオレたちの、新しいギルドの始まりの証か。なんだか責任の重みが、プレートの重みと一緒に手の中にずっしりと伝わってくる気がした。


「分かりました。色々とありがとうございました」


「いいえ、とんでもございません。それではギルドの活動開始、頑張ってください。それとギルド名は正式に登録されましたが、まだギルドとしては何も活動していない状態ですので、まずはギルドとして行う依頼の申請をお願いいたします」


「依頼の申請ですか?」


「はい。ギルド管理機関に申請後、内容を審査し承認を得たものが、正式なギルドへの依頼書として配布され、冒険者に請け負ってもらえるようになります。最初は簡単なものから始めるのが良いかもしれませんね。あまり難しい依頼だと実績のないギルドには誰も来てくれませんから」


 なるほど。ギルドを運営していくためには、ただ場所と人員とお金を用意するだけでなく、まずは自分たちで、冒険者たちが請け負ってくれるような「仕事」を作り出す必要があるのか……


 そして、その「仕事」も、簡単に認められるわけではなく、管理機関の審査を通る必要があると。リリスさんの話でギルドの仕組みの複雑さは少し分かったつもりだったが、実際に手続きを進めていくと、さらに細かく、そして面倒なルールがたくさんあることに気づかされる。これは想像していた以上にずっと大変そうだ。


 でも、オレにはリリスさんがいる。きっと何とかなるはずだ。いや、きっと何とかしてみせる。オレは、手の中のプレートを見つめながら、心の中で確固たる決意を新たにした。これからやることが山積みだ。途方もない道のりのように見える。でも一歩ずつ進んでいくしかない。新しいギルド『ストレイキャット』の物語は今、始まったんだから。

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