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第04話 遅く起きた朝に

 しばらく、はっきりしない意識の中を漂っていた。しかし不意に、今まで眠っていたことを自覚したヴァルダは、一気に覚醒まで到達して目を開ける。そうだ、自分は勇者パーティの一員になったのだ。押し寄せる高揚感とともに体を起こそうとしたが、走る痛みに顔をゆがめる。


 筋肉痛だった。それはそうだ。森から城へ走り、自分でぎょしたわけではないが慣れない馬に乗り、そのあとはこのサフィラの町まで歩いたのだから。旅から長く遠ざかっていたにもかかわらず、一晩休んだだけで回復を期待するのは、虫がよすぎるというものだった。


 馬上から叫んだせいか、喉の具合もあまりよくない。やれやれと思いながら、ヴァルダはゆっくりとベッドから足をおろして座る。昨日は部屋に入ってすぐベッドにもぐりこみ、そのまま眠ってしまった。泊まった簡素な一人部屋を、初めて見るような気がするのは無理もない。


 窓の外を見ると、ずいぶん日が高い。勇者たちはまだ眠っているのだろうか。彼らにしても旅慣れてはいるだろうが、城での出発式に参加し、城下の街をパレードをし、普段とは異なる行動に疲れているのかもしれない。そんなことを考えながら、ヴァルダは立ち上がった。足腰は痛むが、歩けないほどではない。杖の助けも借りながら、隣の勇者たちの部屋へ向かい、ドアを叩いた。


「勇者殿、勇者殿。起きておられますか」


 ノックをしたあとそう問いかけ、返事がないのでまたノックする。それでもなんの反応もない。どうすべきか思案したヴァルダがドアノブに手をかけると、カギはかかっていないようだった。


「勇者殿、失礼しますぞ」


 ヴァルダは思い切ってドアを開けた。


 中には誰もいなかった。すでに清掃が行われ、部屋は次の客を待ち受ける準備が整っていた。


「これはどういうことだ……」


 ヴァルダは戸惑いながらその場を去り、宿屋の受付へと向かう。昨日、勇者たちの宿泊手続きの相手をした人の好さそうな主人が、このときもそこにいた。やってきたヴァルダに気づき、「おはようございます」と笑顔を見せるので、ヴァルダも挨拶を返した。


「勇者殿がたはどこへ行かれましたか。先ほど部屋を見たところ、荷物などがなかったので気になりましてな」

「勇者?お連れの方々でしたら、今朝はやくに出発しましたよ。行きがかりで一緒になったご老人は、お疲れでしょうからゆっくり休ませてあげてくださいと言われまして」

「な、なんだと……」


 このときヴァルダは、ようやく自分が置きざりにされたのだと気づいた。自分に一部屋あてがってくれたのは親切心からだと思っていたが、こうしで出し抜くためだったのだ。愕然としたヴァルダは足の力が抜け、よろけながら両腕をカウンターに置き俯く。手放した杖が床に倒れ、乾いた大きな音を立てた。


「どうされました」


 心配そうな宿屋の主人の声が、頭の上から聞こえる。しかしヴァルダは顔を上げられなかった。叶ったと思われた積年の夢が、こうもあっさりと打ち砕かれたのだ。魔王の復活を知り、必死に勇者たちを追いかけ、パーティに受け入れられたあの喜び。魔王討伐の旅がいよいよ始まるのだと、胸に満ちた希望。それらはすべて無に帰した。その上、勇者から邪険にされたのかと思うとつらかった。自分の人生とはなんだったのか。計り知れない悔しさと情けなさに、知らず涙がこぼれた。


「あの……具合が悪いのであれば、お部屋まで行きましょう」


 その言葉にも返事をできず、ヴァルダは変わらず俯いたままだった。すると、宿屋の主人がカウンターを回り込み、自分の方へやってくる気配がする。あまり迷惑をかけてはいけない。そう思い、ヴァルダが体を起こしかけたそのときだった。


「ここに勇者がいるのは分かってるんだ。勇者を出せ!」


 町の入り口の方から、粗野な声が響いた。続けて、恐怖におびえたような悲鳴、走り去っていく足音が聞こえる。ヴァルダが袖で目のあたりを拭きながら顔を上げると、宿屋の主人は不安げに窓の外を見ていた。そこへ、宿屋の入り口からひとりの男が飛び込んでくる。


「魔族だ。魔族が現れたぞ!」

「なんですって」


 宿屋の主人は青ざめて立ち尽くした。どこで知ったのかは分からないが、この町に勇者がいるとの情報を得て、魔族がやってきたようだ。


 夢が潰えたことで、もうどうなろうとかまわないと、いじけていられるほど若くはなかった。自分が行かなければ、この町は危険にさらされる。ヴァルダは筋肉痛に顔をしかめながら腰を曲げ、倒れた杖を拾い上げた。そして「君はここに居なさい」と、魔族の出現を知らせに来た男に伝え、宿屋の外へ出て行った。


 通りに人の姿はなくなっていた。そんな中を、魔族が悠然と歩いてくる。そこへ立ちふさがるようにヴァルダは進み出た。すると相手は数歩手前で立ち止まる。


「勇者はもう、ここにはおらん」


 静かに、しかしはっきりと声を発した。すると、あからさまに不機嫌な様子で、魔族はヴァルダに近づいてくる。


「あ?なんだお前。どうせ隠してんだろ。さっさと勇者を出せ」

「おらんと言っておろう」


 聞き分けの悪い魔族に対し、ヴァルダは語気を強めた。それでも相手はさらに詰め寄ってくる。


「それで、はいそうですかって、このシグル様が引き下がるとでも思ってんのかよジジイ。いるんだろ、勇者。さっさとしねーと、この辺一帯、全部燃やすぞ」

「何度言ったら分かるんだ!あやつらはワシを置いて、さっさと行ってしまったのだ。だからここにはおらん!」


 ヴァルダは顔を真っ赤にして叫んだ。努めて冷静にと心がけていたが、シグルと名乗った魔族が勇者と言うたび、己の悲しみに暮れる胸の内を不用意に触れられているような気がして、思わず大きな声が出た。突然のことにシグルは呆気に取られていたが、すぐに腹を抱えて笑いだす。


「なんだジジイ、勇者たちに見捨てられたのか。まあ、ジジイの世話するくらいなら、自分たちだけで旅に出た方がいいに決まってるからな」

「ジジイジジイうるさいわ。年で言ったら、大抵お前ら魔族の方が上だろうが」


 言い返しながら、ヴァルダは魔法を放つ。出し抜けに強烈な風の直撃を受け、シグルは大きく吹き飛ばされた。


 怒りに任せた攻撃のようでもあったが、その実、ヴァルダはすでに冷静さを取り戻していた。まずすべきと考えていたのは、相手を町の外へ追い出すことである。そうすれば、魔法の応酬になったとしても、町への被害は最小限で済む。戦意の緩んだ相手の隙を見て、ヴァルダはそれを実践したのだった。


「てめぇ、不意打ちとは汚ねえぞ!」

「油断したお主が悪い」


 立ち上がり怒りに震えるシグルに対し、ヴァルダは臆面もなく答えた。


「クソが。まずはてめえからだ」


 敵意がこちらに向いたのは好都合だとばかりに、ヴァルダは筋肉痛できしむ体に鞭打ち、町から離れるようにシグルの右手側に回りこんだ。シグルはさきほど魔法を受けた警戒からか、動いているヴァルダを睨み続けながらも攻撃を仕掛けようとはしない。


「さっきまでの威勢はどうした。お主の魔法なら、こんなジジイ一撃だろう?」

「当然だ。食らいやがれ!」


 煽るヴァルダに対して、シグルはついに魔法を放った。ヴァルダは魔法防壁を展開して身を守る。シグルの魔法が霧散すると、ヴァルダは首を傾げてみせた。


「ふぅむ。さっきから思っておったんだが、お主、あまり強くないのお。この程度の魔法では、勇者どころかワシすら倒せんぞ」

「うるせえ!今のは手加減してやったんだ。次は全力で行くからな」


 ヴァルダのさらなる煽りをしっかり真に受けて、シグルは再度、正面から魔法を放ってきた。ヴァルダもそれに合わせて攻撃を仕掛ける。あとは相手の魔法を押し切るだけと考えていたが、ヴァルダの足腰に激しい痛みが走った。互いの魔法がぶつかった際、思わぬ衝撃を受け、筋肉痛の体が悲鳴を上げたのだ。必死に杖につかまり、どうにか相手の魔法を押しとどめるが、旗色は悪い。


「ぬぅ、昨日の疲労さえなければ……」

「もうへばったか。しょせんジジイはジジイだな。とっととくたばれ!」


 シグルのあざけるような声が響く。


「好き勝手言いおって……」


 険しい表情でつぶやきながら、ヴァルダは頭の中で策を練る。しかし、このまま押し切るには体勢が苦しく、引こうにも体が動かない。八方ふさがりで、万事休すかと思われた。


 そのとき、ヴァルダの横をひとつの影がすり抜けていった。続けて、魔族の悲鳴が響く。


「この不意打ち野郎どもがああぁぁぁぁ!」


 間抜けな断末魔を残し、倒れたシグルはそのまま動かなくなった。そばに立っていたのは、まだあどけなさの残る少年。彼が手に持った剣でシグルを斬りつけ、いとも簡単に絶命させたのだった。

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