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第05話 剣士の孫

「大丈夫ですか?」


 振り向いた少年は、抜身の剣を持ったまま、ヴァルダに近づいてくる。


「ああ、ありがとう。筋肉痛がひどくてなあ」

「魔族にやられたわけではないんですね?」


 杖を頼りに立ち上がるヴァルダに笑顔を見せる少年は、どこか見覚えがあるような気がした。


「お主は……」

「お~い、キルイー!」


 遠くからしわがれた、しかし耳なじみのある声が聞こえた。


「あ、ロアじい!」


 少年は声の方へ走っていく。ロアじいとは、きっと自分の知る元相棒の剣士ロアのことだろう。とすれば、今の若者はあやつの孫か。そんなことを思いながら、ヴァルダは遠ざかる少年の背中をぼんやりと見ていた。小さくなった少年が歩いてきた男のそばまで行くと、振り返りヴァルダを指差す。そしてふたりはゆっくりと近づいてきた。


 少年とともにやってきたのは、真っ白になった頭髪を短く刈り込み、顔には多くのしわが刻まれていたが、確かにヴァルダの元相棒だった。ロアはヴァルダの姿を見て取ると、驚いて目を丸くする。


「ヴァルダ、ヴァルダか。ずいぶん久しぶりじゃないか。ああいや、そんなことより、町を助けてくれたようだな」

「いや、助けられたのはこっちの方だ。筋肉痛でな。年にはかなわん」


 そんなヴァルダのぼやきに、ロアは怪訝な表情を浮かべたが、すぐ快活に笑い、「まあ、ここじゃなんだ。うちへ来てくれ」と誘う。ヴァルダも「ああ、そうさせてもらおう」と笑顔で応じ、サフィラの町の奥にあるロアの家へ向かった。



 ロアの家を訪れたのは二十数年ぶりのこと。年季が入ってはいたが、ヴァルダの記憶にあるロアの家とほとんど変わっていなかった。窓の外には畑が広がっている。冒険者をやめてからのロアは、町のはずれに家をかまえ、農業に従事していた。


 ヴァルダは部屋でひとり、ロアの妻ミリエから出されたエールに口をつける。ロアは途中で何かを思い出したのか、「家の場所は分かるよな」と言って中心街の方へ戻り、キルイは家に着くなり奥の部屋へ引っ込んでしまっていた。


 ロアが帰ってきたのは、ヴァルダが八割方エールを飲み終えたころだった。


「待たせたな。魔族の処理をどうするか相談してたんだ。それから、町の者への口止めもな。お前とキルイが魔族を倒したとよそへ伝わると、面倒なことになるだろうからな」


 そう言いながら、ヴァルダの向かいに座る。確かに、魔族を倒した人間がいるなどと魔王に知られては厄介だ。そう思ったヴァルダが、「すまんな、世話をかけて」と礼を言っていると、そこへミリエがやってきて、ロアの前にもエールの入ったコップを置く。「お代わりはいるかい?」とミリエから問われたヴァルダは、丁重に断った。


 積もる話はあるが、昨日からのことも重大事だ。何から話そうか決めかねていると、ロアの方が口火を切った。


「それで、なんでこの町にいたんだ。魔族が勇者どうとか言ってたらしいが、それと関係あるのか?」


 他の相手に訊かれたのであれば見栄を張りたくもなったろうが、相手はほかならぬロアだ。ヴァルダは二百年ぶりの魔王復活を知ったことから、勇者たちに逃げられたことまで、なんのてらいもなく話して聞かせた。


「なるほど、そんなことがあったのか。お前らしいと言えばらしいが」


 顛末を聞き終えたロアは、そう言って笑った。


「笑い事ではない。あやつら煙に巻くような真似をしおって、人のことを何だと思ってるんだ」

「面倒だと思ったんだろ。ジジイがやたら絡んでくるから」


 プリプリ怒るヴァルダに対して、ロアは何のためらいもなく茶々を入れる。一瞬、呆気にとられたが、ロアという奴は昔からそうだったと、ヴァルダは怒る気をなくし、ため息をついた。


「そう言ってくれるな。ワシだって自分が若いとは思っとらん。しかし諦めきれんのだ」

「魔王を倒すのはお前の夢だったからな。復活を知って、居ても立ってもいられなくなったのは分からんではない」


 しおらしくなったヴァルダに、ロアは理解を示した。すると、またヴァルダは元気を取り戻す。


「そうだろう?魔王と聞いて心が沸き立たん方がおかしいのだ。お前だってそうだろう」

「いや、俺は……」


 気圧されして、ロアは言葉に詰まった。そこへヴァルダは畳みかける。


「そうだ。ここで会ったのも何かの縁だ。ワシらのパーティを復活しよう。約束したではないか。魔王が復活したら再結成すると」

「いやいや、そんな約束はしとらんし、していたとしても俺が結婚することになったころの話だろう。もう昔のように体は動かんよ」


 もちろんヴァルダとて、ロアがすんなり、よしやろうと言ってくれるとは思っていない。しかし元相棒から、すっかり老け込んだような言葉を聞くと、知らず気持ちが沈んでくる。盛りはとうに過ぎてしまったのだと、現実を突きつけられている気がした。


「ところでカルデトはどうしたんだ。どこかへ出ておるのか?」

「……いや、あいつは死んだんだ」


 何気なく話題を変えたつもりだったヴァルダは、驚きのあまり言葉を失った。カルデトはロアの息子だ。まだこの家へよく顔を出していたころ、ヴァルダおじさんと呼ばれて、よく遊んでやっていたことを思い出す。ロアに似て快活な子どもだった。思えばキルイに見た面影は、ロアというよりはカルデトのものだったのかもしれない。


「いつ」

「もう十年以上になる。城下の街で流行り病があったのは覚えているか?ちょうどあのとき、運悪く街にいたんだ。

 もともと、うちの畑で採れた野菜を使って、食堂をやりたいと思っていたらしくてな。嫁さんとふたりで、城下の街に店を構えることになったんだ。幸いすぐに食堂は繁盛したようだが、忙しさのせいで体が弱っていたのもあるんだろうな。先にカルデトが、続いて嫁さんが立て続けにだったそうだ。幼かったキルイは、向こうで落ち着いたら迎えに来るからってことで、うちで預かっていたんだが、まあ……不幸中の幸いってやつだな」


 ロアの言葉は淡々としていたが、端々にやりきれなさをまとっていた。


「そんなことが……」


 流行り病のときのことは、ヴァルダもよく覚えている。森で暮らしているため巷間の情報には疎かったが、貴族たちがいち早く、流行り病を避けるために預けていた子どもを連れて城下を出たいと伝えてきたのだ。ヴァルダと残った弟子たちは、買い出しの回数を減らすなどして街へ行く機会を減らし事なきを得たが、その一方で、元相棒の息子夫婦が病魔に絡めとられていようとは思いもしなかった。


「それで、どうするんだ。もうあきらめて帰るか?」


 先ほどまでとは打って変わり、ロアはいつもの明るい調子で訊いた。


「いや、勇者殿を追いかけるつもりだ。今朝のことにしても、よくよく考えてみれば、スモルが他のふたりをうまく丸め込んだに違いない。あやつはワシを毛嫌いしておったからな。勇者殿ともう一度話をすれば、またパーティに入れてもらえる可能性は十分にある」


 我ながらあきらめが悪いと思いながらも、ヴァルダはもう一度、勇者とともに旅する望みを捨てきれなかった。ロアはそれに納得するかのように、ひとつふたつうなずく。


「そうか。だったら、キルイを連れて行ってもらえんか」

「キルイを?」


 突然の申し出に、ヴァルダは眉根を寄せる。


「大切な一粒種ひとつぶだねだろう。手元に置いておいた方がよいのではないか?」

「あの子はまだ十五だが、俺の剣技はすべて叩き込んである。こんな田舎に縛り付けておくのは勿体ない才能だ。さっき魔族の死体に刻まれた傷を見たが、見事だった。俺がやった剣をすっかり使いこなしている。あれなら充分、お前の助けになるはずだ」

「いやしかし……」


 自分のわがままに、年端も行かぬ子どもを巻き込むのは気が引けた。それに、旅に危険はつきものだ。キルイに何かあってはロアに顔向けできない。しかしロアはかたくなだった。


「連れて行かないというなら、嫌でも森へ帰ってもらうぞ。だいたい、年寄の一人旅なんて無謀だろう。魔法の腕が衰えていなかったとしても、ちょっと動きの速いヤツに出くわしたら、すぐやられちまうぞ」

「そ、それは……」


 そのことにはヴァルダも気づいていた。先ほどの魔族との戦いも、機先を制しつつ言葉で挑発するなどし、相手に考える余裕を与えなかったのが奏功した。しかし、そんな戦い方が通じる相手ばかりとは限らない。


「料理もちゃんと教えてある。お前の好きな野菜のエール煮込みもな」


 冒険者をしている間、料理はもっぱらロアの担当だった。森で暮らすようになってからは、ヴァルダも料理をするようになったものの、弟子たちからの評判は決して芳しくない。


 ありがたい話ではあったが、やはり気が進まない。しかしロアに提案を撤回させるのは難しそうだ。そこでヴァルダは、キルイ自身がどう思うか尋ねることを思いつく。きっと

、よく知らない相手と旅することに、しり込みするはずだ。本人が嫌がれば、ロアもそれ以上は強く言えないだろう。ヴァルダはそう考えた。


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