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第08話 勇者の不始末

「それでは行ってくる。みな健康に気を付けるんだぞ」

「ヴァルダさんもお元気で」


 翌朝、ヴァルダとキルイは、リコリと弟子たちに玄関先で見送りを受けた。しかしリコリの挨拶が済むと、ヴァルダが振り返って歩きはじめる前に、弟子たちはそそくさと家の中へ戻っていく。目の前にある建物が、今では縁遠い他人の家になってしまったような孤独感を、ヴァルダは覚えた。


「リコリさん、素敵な人で良かったですね」

「ああ、そうだな」


 キルイのはつらつとした声とは対照的に、ヴァルダの声は哀愁に満ちていた。



 ふたりは来た道を引き返し、再びロアの家へ戻った。


「どうだった。弟子たちは元気にしてたか?」

「ああ、まあな」


 ロアに問われても、ヴァルダは寂しげに返すことしかできなかった。


 この日はロアの家に宿泊し、いよいよ勇者を追う旅が始まる。一昨日と変わらず、ミリエは別れに際して涙を流しながらキルイを抱きしめ、キルイはヴァルダとともに元気よく家を出た。違っていたのは、キルイの荷物の量だ。ロアは畑で取れた野菜に加え、調理道具、携行食、飲料、毛布などなどを大きなリュックに詰めこみ、キルイに背負わせていた。


「荷物が多すぎやしないか?」

「ちょっと重たいですが大丈夫ですよ。野菜は食べれば減りますし、トレーニングだと思えば丁度いいです」


 ヴァルダの心配に、キルイは涼しい顔で答えた。


 ふたりはサフィラの町を出て、ロアから聞いていた情報に従い東へ向かう。キルイはヴァルダの歩くペースに慣れたのか、あるいは背負う荷物が重いからか、常にヴァルダに付き従うようにして歩いた。


「勇者さんはなんで東に行ったんですかね?」

「魔王城がある大陸へは、ここから南東にあるカーフェの町で船に乗らねばならん。そのためには南の山地を越える必要がある」


 ヴァルダはキルイの問いに答えながら、この先の旅路を思い浮かべた。


「山地ってあれですよね。あれを越えるのは大変そうだなあ」


 キルイは遥か遠くに横たわる、峻険な山並みを指差す。


「だが東へ行けば、標高がかなり低くなっているところがある。だからまずは東へ向かったのだろう」


 それからふたりは、ひたすら東へと歩みを進めた。最初に行き当たった集落で、勇者たちがさらに東へ向かったとの情報を得る。ヴァルダはそれに喜びつつ、その後も勇者たちの足跡をたどり続けた。道中は魔物との戦闘はあったものの、ロアの口止めが効いたのか、魔族を倒した者として襲われることはなかった。


 ヴァルダはしばらくの間、明日こそ起きたらまた、ひどい筋肉痛に見舞われるのではないかと、不安になりながら眠りについていた。しかし多少の疲労が残る日はあったものの、勇者たちに置いて行かれた日ほどの激痛に見舞われることはなく、順調に旅を続ける。そうして、いくつかの町や村を経由し、畑の広がるのどかなトーナの村にやってきた。



「ああ、あの人たちなら、山地を越えるために南の方へ行ったよ。そんなことより、ちょっと面倒なことになってて」


 勇者たちの行き先を話したあと、村の男は困り顔を見せた。


「少し前から、村にグレイベアが出るようになって、畑を荒らされてさ」

「ほう、それは大変だ」


 ヴァルダの表情は険しくなる。グレイベアといえば、大きく凶暴な魔獣だ。通常は山奥などに住み、人里へ降りてくることはないのだが、もし村に現れたとなれば、いつ人が襲われるか分からない。しかし男はそうではないと、慌てて否定する。


「あ、いや、それは勇者たちが倒してくれたんだ。死体が向こうの畑の奥に転がってる」

「では、何が問題なんだ?」


 ヴァルダの問いかけに、男は肩を落とす。


「それがさ。その死体を目当てに、ゴブリンが寄り付くようになっちまったんだ。さっきも一匹来て死体を物色してったよ。今のところ村へは入ってこないんだけど、今度はゴブリンが畑を荒らしに来るんじゃないかって、みんな心配してるんだ」

「ゴブリンがいないうちに、グレイベアを解体すればいいんじゃないですか?」


 キルイの当然と思われる疑問に、男はため息をついた。


「それはそうなんだが、いつゴブリンが来るかもわからないから怖くてさ。それに、村からは少し離れていて誰の土地でもないから、みんな進んでやろうとしないのさ」


 自分に被害が及ばない限り他人事ひとごとだと決め込んで、なんの対処もしないのはよくある話だ。しかし話を聞く限り、ゴブリンが山から下りてくることを覚えてしまっている。遅きに失しており、近いうちに他人事ではなくなりそうだがとぼんやり考えながら、ヴァルダは村を見渡した。


「ヴァルダさん、ボクたちでやりましょうよ」


 不意にキルイから声をかけられ、ヴァルダは渋い顔をした。


「おお、やってくれるか。ありがとう、助かるよ」

「いや、まだやると決めたわけでは……」


 男が早くも礼を述べるので戸惑うヴァルダに、「とにかく見に行ってみましょうよ」とキルイは張り切る。ヴァルダとしても、勇者たちとの距離がさらに開くのかと思うと気乗りしなかったが、このまま放っておくのは忍びないのも事実だった。


「そうだな、とりあえず見てみるか」


 ヴァルダが諦めたようにそう応じると、男はナイアミだと名乗り、嬉々としてグレイベアの場所までの案内を引き受けた。



 ふたりはナイアミに先導され、作物の植えられた耕地や、葉を繁らせる果樹の林の間を通り抜けた。そうしてやってきた村の北側には、獣が暴れた跡の残る畑の奥に、三メートルはあるかと思われる大きなむくろが横たわっている。さらに数十メートルほど先には、なだらかな山の入り口が迫っていた。ヴァルダは念のためそちらへ警戒の目を向けたが、今のところゴブリンがやってくる気配はない。


 三人は顔をしかめながら、グレイベアの死体を見下ろした。


「勇者殿がたがこれを倒したのはいつのことかね?」

「ええっと、四日前だ」

「ちょっとにおいますね」


 さほどひどくはないが悪臭を放ち、小さな虫が何匹もたかっていた。そして、その腹の肉が乱雑に剥ぎ取られている。勇者が剣で斬りつけた場所から、ゴブリンが肉を持って行ったようだった。


「このまま放っておくと、もっとにおいがきつくなる。だいたいグレイベアは、きちんと処理すれば肉も食えるし毛皮もそこそこ高く売れるのに、勿体ないことをしたもんだ」


 ヴァルダはグレイベアの周囲を歩き、時折しゃがんだりしながら状態を確認した。


「皮の方はまだ使えそうだな。誰か毛皮を剥ぎ取れる者を知らんか?」

「いや……この村は農家ばっかだからな」


 ナイアミは落ち着かない様子で、山の木立の方をちらちら見ながら答える。


「そうか、では仕方ない。悪いが背負子を貸してくれんか」

「分かった、取ってくるよ」


 返事をすると、ナイアミは足早にその場を離れて行った。


「どうするんです?」


 興味津々、キルイが問いかける。


「まあ見ておれ」


 ヴァルダは答え、グレイベアの右後ろ足の上で杖を構えると、魔法を放ってそれを切断した。断面の下の地面も、数十センチの深さまでひびが入ったように割れている。


「すごい!」


 キルイは歓声を上げた。


「風魔法の応用だが、なかなか力の加減が難しくてな。さあ、ここからはお主の出番だ。こいつを山間やまあいまで運んでもらうからな」

「分かりました」


 そう言うとキルイは、切断面の血を振り払い、赤ん坊を抱くように切り落とされた足を持ち上げる。そしてにおいを嗅いで、ひとつうなずいた。


「お、おい、そんな持ち方じゃ疲れるだろ。三十分は歩くことになるからな。そのために背負子を頼んだんだ」

「足だけなら、においもあまりないですし、このままで大丈夫ですよ。背中の荷物も持っていけますしね」


 ヴァルダが忠告しても、キルイは重いはずのグレイベアの後ろ足を平然と抱え続ける。そんな様子に呆れたものの「あまり無理をせんようにな」と言うにとどめ、ヴァルダは戻ってきたナイアミには手間を取らせたことを謝った。



「それにしても、勇者さんたち、ひどいですよね。後始末もしないで行ってしまうなんて」


 山沿いを歩きながら、キルイは怒っていた。


「そう言ってやるでない。勇者殿がたは冒険者をして長いようだからな」

「どういうことです?」


 キルイはヴァルダの顔を覗き込むように首を傾げる。


「冒険者は主に、ギルドで受けた依頼をこなして金をもらう。だから依頼されたこと以外はせんのだ。今回もグレイベアに困っていると言われて、その要望にはきっちり応えている。それ以上のことをするという考えがなかったのだろう」


 ヴァルダが勇者たちを擁護しても、キルイはまだ不満げだ。


「でも、後始末をしなければどうなるかは、想像できるじゃないですか」

「どうだろう。冒険者は仕事が済んだら、さっさと引き上げるからな。勇者殿がたもグレイベアを倒してすぐ、旅立ったのかもしれん」

「そんなあ。ボクだったら絶対、後始末までちゃんとしますよ」


 キルイは盛大に嘆いた。


「もちろん、それが理想ではある。だが勇者殿がたは、魔王討伐のために旅していることを忘れてはならん」


 ヴァルダが会話を打ち切るようにそう言うと、納得できない表情のまま、キルイは抱きかかえたグレイベアの後ろ足を見つめていた。


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