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第10話 森の中の元魔王

「大丈夫ですか、ヴァルダさん」


 キルイは杖をつきながらゆっくりと登ってくるヴァルダに声をかける。


「歩き慣れたと思っていたが、山の登りはさすがにこたえるな。しかし、もう少しのはずだ」


 ふたりはトーナの村で聞いた通り、勇者パーティが向かったとされる南へ歩き、この日は立ちはだかる山地越えに挑んでいた。両脇よりも尾根の標高は低く、旅人に使われるもっとも緩やかなルートではあったが、山へ入って半日近く経っており、ヴァルダの疲労はピークに達していた。


「あ、ほんとだ。あそこで登りは終わりですね」


 上り坂が途切れたと見て取ると、キルイは足早に山道を駆け上がっていく。それを追いかける気など、ヴァルダには起こりもしなかった。


「ワシはのんびり行くとするか」


 そうつぶやいて、杖を突きながら一歩一歩、確実に進んでいく。そんな亀のような歩みでヴァルダが登ってくるのを、キルイは尾根で待ち構えていた。


「村です。森の中に村が見えますよ」

「ああ、ナンテの村だな」


 ヴァルダもようやく尾根までたどり着き、一息ついた。そして木々の間から、眼下に広がる森と、その中に埋もれるように点在する家々を眺める。


「しかし今日中に村へ着くのは無理そうだな。もし旅人のための山小屋があれば、そこを借りるとしよう」

「登る途中にありましたから、こちら側にもあるんじゃないですかね」


 そんな話をしながら、ふたりは登りのときより足もとに注意を払い、山をくだりはじめた。



「少し前に、森に魔族が出たみたいでね。勇者かどうか知らないけど、ちょうどよかったから見に行ってもらったみたいよ。それが五日前だったかねえ。そのあと、どうなったかは知らないけど」


 村の入り口近くで日陰に座っていた初老の女は、キルイに対して世間話でもするかのようにそう教えた。


 旅人用の無人の小屋に泊まった翌日、山をくだりきって森の間をまっすぐ走る道を行くと、尾根から見えたナンテの村へ着いた。そして、「この村はよそ者への警戒心が強いからな。さてどうするか」と村へ入る前に策を練ろうとするヴァルダに対し、「ボクが行って訊いてきますよ」とキルイが女のもとへ行き話しかけ、あっさりと情報を引き出したのだった。


 礼を言って切り上げたキルイが、少し離れたところにいたヴァルダのもとへ戻ってきた。相手の女はまだ話し足りなそうに、ふたりの方へ目を向けている。ヴァルダはその視線を避けるように歩きはじめた。


「村へ行かないんですか?」


 ヴァルダについていきつつ、キルイは村の方を振り返りながら尋ねた。


「ああ、森の魔族というのが気になってな」

「聞こえてたんですね」


 警戒心は強くても声が大きいというのは、どこにでもある話だ。


「村の中を通って行くと怪しまれるからな。少し遠回りするぞ」

「え?でも、勇者さんたちが倒しているんじゃないですか?」

「さあ、どうだろう。詳しくは村を離れてからだ」


 山へ引き返すのは不自然なので、ヴァルダは努めて平静を装い、村の前を通り過ぎる。そして振り返っても村が見えなくなったところで、ふたりは森の中へ入った。



「この村の者は森で罠猟をしているからな。引っかからないよう足もとに気をつけなさい」


 ヴァルダはそう忠告して、できるだけ開けた場所を選びながら歩いた。村では眩しいほどだった日差しは、高く生い茂る木々に遮られ、薄暗くさえ感じられる。そんな中で、仕掛けられた罠だけでなく、盛り上がった木の根や突き出た枝などを避けつつ、野生動物にも目を配った。


「尾根から村を見たとき、その左にも木が少ない場所があったのに気づいたか?」


 森に入ってから少しして、ヴァルダは聞いた。「いえ、全然」と、キルイは目を丸くしてぶんぶん首を横に振る。


「まあ分かりづらいし、普通は村の方にしか目が行かんからな。今、向かっているのはそこだ」

「そうなんですね。そこに魔族がいるんですか?」

「五十年ほど前にはいたのだ。元魔王メイエスがな」

「え?そんなすごいヒトが?」


 キルイは驚いてヴァルダの方を見た。そして、驚いたままロープで逆さづりにされる。くくり罠に引っかかったのだ。


「足もとに気をつけろと言ったろう」

「すみません。話に夢中で」


 そう言って笑うキルイの足が縛られたロープを、ヴァルダは風の魔法を放ち切断する。頭から地面に落ちかかったキルイは、逆立ちするように両手をつき、そこから前転して立ち上がった。


「ロープだからよかったが、とらばさみなんかだと、足をやられてしまうからな。それにこれで、何者かが森の中に入ったと村の者に分かってしまう。警戒を怠ってはいかん」

「すみません、気をつけます」


 ヴァルダの説教を受けてキルイは謝り、表情を引き締めた。


「元魔王が相手だとすれば、勇者殿とて簡単には倒せぬはず。だから、どうしたか気になるのだ。あるいは、すでにメイエスはおらず、別の魔族が住んでおったかもしれんがな」

「それで見に行くんですね。でも、意外でした」

「何がだ?」


 キルイの言葉の意図が分からず、ヴァルダは訊き返した。


「てっきり魔族のことなんて放っておいて、勇者さんたちを追いかけるのかと思いましたから」


 そう言われ、ヴァルダは思わず足を止める。しかし、「ヴァルダさん?」と横から聞こえるキルイの心配げな声に、「いや、何でもない。行くぞ」と返し、森の奥へとを進めた。



 森へ入って一時間ほど経ったころ、目的の場所に到着した。開けた土地にいくつかの小屋がある。と言っても、ほとんどがその体を成していないほど損壊していた。


 一番手前にある最も立派な、と言っても充分簡素ではあったが、その小屋から少し離れたところに魔族が立っていた。ヴァルダにとって見覚えのある者ではあったが、まったく動く気配がない。


「このヒトが元魔王ですか?全然、動かないですけど」


 キルイは警戒心なくそばまで近づいていき、周囲を回りながら様子をうかが

う。


「ああ間違いない。元魔王メイエスだ。だが封印されておるな。スモルがやったのだろう」


 そんな言葉を聞いて、キルイはヴァルダの方を振り返る。


「勇者パーティの魔法使いの人でしたっけ。ヴァルダさんの弟子だったっていう」

「ワシの弟子とは呼べんよ。ほとんど何も教えとらんからな」


 そう言ってヴァルダは苦い顔をする。


 スモルの魔法の才能は、他の弟子たちに比して抜きんでていた。おとなしすぎるきらいはあるが、そのうち他の弟子たちと打ち解け、切磋琢磨して、一流の魔法使いになるだろう。そんな確信を抱かせてくれるほどに。しかし、少なくともヴァルダのもとでは、そうはならなかった。溢れんばかりの才能は、ヴァルダの家を抜け出すために使われただけだった。


「倒せなかったから封印したんですかね?」


 相変わらずキルイは、固まっている魔族の前で手を振ったり、頬をつついてみたりと忙しい。


「さあな。本人に訊いてみるか?」

「え?」


 キルイはメイエスに対して目をみはると、ヴァルダのそばまで飛びのいた。そして改めてメイエスを眺め、首を傾げる。


 その間にヴァルダは、握った杖を体の前で地面に立て、魔法を使う態勢に入っていた。以前に会った印象から、メイエスが積極的に人に害をなす者でないことは分かっている。果たして、勇者殿がたと何があったのだろうかと思いながら、封印を解きにかかった。


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