最初はぼんやりと、しかししばらくすると、はっきりわかるほどメイエスの全身が白く輝きだす。それが緩やかに収まっていき完全に光が失われると、メイエスは微かに動いたが、先ほどまでと同じように立ち尽くしている。
キルイがまた近づきに動こうとすると、突然、低い地鳴りのような音がした。その音に、ヴァルダは思わず頬を緩める。
「腹が減っておるのか。キルイ、リンゴか何か渡してやってくれ」
「え?あ、分かりました」
状況が飲み込めない様子のキルイは、ヴァルダに言われるままリュックからリンゴを取り、「どうぞ」と元魔王の目の前に差し出す。
「すまんな」
メイエスは先ほどまでも話せたのではないかと思わせるほど自然に言葉を発し、リンゴを受け取った。そしてそれをゆっくりした動作でかじり、腹の中に収める。それからおもむろにヴァルダの方を見た。
「封印を解いたのはお前か?」
「そうだ。久しぶりだな、メイエス」
ヴァルダはそう声をかけたが、メイエスの顔には懐古の情はおろか、なんら感情と呼べるものは現れない。が、少しして、「私にお前のような老人の知り合いなどおらんが」と静かに言った。魔族に年寄り扱いされるのは、どうにも腑に落ちない。しかし二度目と言うこともあり、ヴァルダは軽く眉根を寄せるだけにとどめた。
「ワシはヴァルダ。五十年ほど前、ロアと一緒にお前さんの食料の世話をしたのを覚えておらんか?人間、五十年も経つと、いかに若くともこうなるのだ」
ヴァルダの説明を聞いても、メイエスは納得したのかどうか、やはり表情からは読み取れない。そういえばメイエスは、もとからこんな調子だったと、ヴァルダは徐々に当時のことを思い出してきた。
「そうか。人間は短命だからな。しかし、その者は?ロアならお前と同じように老人になっているはずだが、むしろ幼くなっているように見える」
「この者はロアではない。その孫のキルイだ。実際、あの頃のロアよりも若いのだから、そう見えて当然だ」
ヴァルダが呆れたように言うと、メイエスはまた「そうか」と言って黙った。そして「立ち話もなんだな」と、そばに立つ木の近くへ歩いていく。キルイが不思議そうな顔をしているので、「面白いぞ、よく見ておけ」とヴァルダは耳打ちする。
メイエスが木に向かって手を差し出すと、まず枝が落ち、続いて幹が適度な大きさの角材や板に寸断される。メイエスが体の向きを反転させると、それとともに木材も動き、やがてその場で組み合わさり椅子とテーブルを形作った。
「すごい」
キルイは感嘆の声を上げた。
「そこにある小屋も、メイエスが同じように魔法で建てたものだ。ただ修繕をせんから、傷んでくるたびに新しいもの作っているがな」
ヴァルダは奥に行くほど損傷の激しい、いくつも並んでいる小屋に目をやった。キルイも同じようにそれらを眺める。
「だから、何個も似たような小屋があるんですね」
「一から作った方が楽だからな」
それが当然だとでもいうように、メイエスは答える。そして、下ろした手を微かに動かして合図するので、ふたりはできたばかりの椅子に腰かけた。
「さて、どこから話したものか」
「メイエスさんを封印したのは勇者さんたちですか?」
話を切り出そうとする元魔王に対し、キルイはなんのてらいもなく尋ねた。
「勇者……私のもとへやってきたのは、ふたりの人間とひとりのエルフだ」
「それだ、勇者殿がたで間違いない」
興奮の声を上げたヴァルダだったが、メイエスとキルイに視線を向けられ、気まずさからひとつ咳ばらいをした。
「その者たちから、私が森にいるがために、村人たちを怯えさせていると言われてな。それについては謝り、もう村へ近づくつもりはないと伝えたが、信じてもらえなかった。攻めかかられたから反撃したが、しばらくして、ようやくこちらから傷つける意志のないことに気づいたようでな。だが、このまま放置してもおけないと、封印することにしたようだ」
メイエスは自分に起こったことを、まるで
「なぜ村へ近づいたのだ」
「カリーンが来なかったからだ。カリーンは月に二度、私のところへ食料を運んでくれていた。しかし、ひと月前ここへ来たときに倒れてな。森の入り口まで運んで行ったのだ。その後やってこないので村へ様子を
ヴァルダの問いかけに、やはりメイエスは淡々と話した。そして思い出したように、「そういえばあの女もずいぶん老いてきていた。お前のように」と付け加えた。
カリーンと言う名は覚えていなかったが、ヴァルダは今と同じように森でメイエスと話していた際に、ひどい剣幕で走ってきた女のことを思い出してした。その女がカリーンだとすると、自分より少々年上のはず。メイエスの言葉から察するに、あまりいい状況ではないだろう。嫌な想像を振り払うように、ヴァルダは少し俯いて目をつむった。
「ボクたちでカリーンさんの様子を見てきましょうか?」
そんなキルイの声が聞こえ、ヴァルダは目を開ける。そして賛意を示すためにうなずきかけた。
「そうしてもらえるか」
メイエスの声は、相変わらず感情を含んでいなかった。
キルイは早くも腰を上げていたが、「それではヴァルダさん、行きましょう」と言った直後、腹の虫が鳴き声を上げ照れ笑いする。
「その前に昼食とするか。お主ももう少し食べた方が良かろう」
ヴァルダはメイエスを気遣いつつ、そう提案した。
「さっきの話からすると、メイエスさんは、一か月くらい何も食べてなかったってことですよね?」
キルイは、三人の食事があらかた終わったあと、そうメイエスに問いかけた。この日の昼食はヴァルダの好きな野菜のエール煮込みで、キルイが調理したそれを、メイエスの作った木の器に盛って提供された。
「そうだ。魔族は人間と違い、さほど食事せずとも問題ないからな」
「でも、お腹が鳴るくらいなら、何か自分で食べ物を取った方がいいと思うんですけど」
ヴァルダは、ずけずけとものを言うキルイに、内心ひやひやしていた。しかしメイエスは、「そうだろうな」と、このときも他人事のようだった。
「生きるための欲を欠いてきているのだ。長く生きれば生きるほど、魔族というものは感情や感覚が枯れていき、やがて死がもたらされる。魔王城から私を連れ出し、最後まで世話を焼いてくれていたサネルもそうだった。皮肉なことに、他者を気にかけることはできるから、互いに下らぬことで死なないよう気をつけていたのだがな。サネルは食べ物を取りに出て獣に襲われたのだが、抵抗もせず、戻ってきたときには致命傷となっていた」
「そのあとカリーンさんがやってきたんですね」
抑揚なく語るメイエスと対照をなすように、キルイの声が明るく響いた。
「カリーンがやってきたのは、私の腹の音を聞いたからだった。そのころカリーンは幼子を失くして塞いでいたのだが、その音を聞いて、私が助けを呼んでいると思ったそうだ。もちろん、そんなわけはない。ただ腹が減っているだけだと教えると、カリーンは食料を持ってくるようになった。それが先月まで続いていたのだ」
「そうだったんですね。カリーンさん、無事だといいですね」
「そうだな」
メイエスはかすかにあごを引くような動きを見せたが、それがキルイの言葉にうなずいたのかどうか、ヴァルダには分からなかった。