「冗談はやめてください。好きでなったんじゃありませんよ。前任者が罷免されたばかりで、他になり手がいなかったものだから、私がやっているんです」
「そうか。まあよい。お互い年は取ったが、変わりなく壮健で安心したぞ」
「ええ、それは師匠も……そんなことより勇者のことなんですが」
窓のそばを離れ、ヴァルダは笑顔でかつての弟子に近づいたが、エンホサは挨拶もろくにせず本題へ入ろうとする。
「ああ、何か知っておるか?」
「それを聞きたいのはこちらの方ですよ。まさか、あちこちで言いふらしたりしてませんよね?」
質問に質問で返されたヴァルダは、エンホサの意図が理解できず、返答に窮する。
「宿屋と武器屋、それから酒場で勇者さんたちの行き先を訊きましたよ」
代わりにキルイが答えると、エンホサは初めて己の師匠以外に誰かいると気づいたように、そちらを見た。
「師匠、こちらはどなたでしょう」
「ワシの冒険者時代の相棒の孫だ」
「キルイです」
そう名乗ってキルイは笑顔を見せた。
「そうですか……ああ、すみません。おふたりともどうぞ、お座りください」
立ったままだったふたりに、エンホサが手を出して促す。
「でも、こんな汚い格好で座ったら……」
「大丈夫ですよ。汚れても掃除しますから」
やはり逡巡したキルイに対するエンホサの言葉は、ふたりが汚いと言っているようなものだった。しかし、「分かりました!」とキルイは喜んで座る。
「それで、勇者殿がたの居場所を知っておるのか。こちらへ来たかどうか、はっきりせんのだ」
ヴァルダも椅子に腰かけながら尋ねた。
「こちらへ来たかというのは、どういう意味でしょう?」
エンホサは苛立たしげに、また質問で返す。どうも話がかみ合わないと、ヴァルダは頭を掻いた。
「ボクたち、リヴラ王国を出発した勇者さんたちを追いかけてきたんですけど、ナンテの村からあとの行き先が分からなくなってしまって。それで、この国へきて聞き込みをしていたんですが、なんの情報も得られないので、エンホサさんを訪ねて来たんです」
キルイがこれまでの経緯を説明したことで、それまで落ち着かない様子を見せていたエンホサは、ようやく得心がいったようだった。
「ああ、なるほど。ナンテの村から勇者が来ていないか探していたんですね。そうか、そうでしたか」
「お主、何を隠しておる」
ようやく肩の力が抜けてきたエンホサだったが、ヴァルダの問いかけに、目を見開いて大きくのけぞるようにした。しかしすぐに姿勢を戻し、流れ出る汗をハンカチで拭きはじめる。
「い、いえ、何も。何も隠してなんていませんよ」
そう答えるエンホサを、ヴァルダはじっと見つめる。するとエンホサは、分かりやすく目を逸らした。
「大方、このマルズール王国でも勇者を用意しておるのだろう。どんな勇者かは知らんがな」
「そうなんですか?よかったですね、ヴァルダさん」
唐突にキルイからそう言われたが、ヴァルダは何のことだかピンとこなかった。
「よかったとは、何がだ?」
「一緒に旅をする勇者パーティが見つかったじゃないですか。ヴァルダさんは勇者さんと旅をして、魔王の討伐に行きたいんですよね?だったら、この国の勇者さんのパーティに入れてもらえばいいじゃないですか」
その言葉に、ヴァルダははっとした。エンホサが本当に勇者を用意しているかは分からないが、確かにリヴラ王国が認めた勇者クルードにこだわる必要はない。しかしヴァルダの中では、実際に会ったことがあり、勇者然としていたクルードの印象が強い。他の者を勇者として受け入れられるだろうかと不安を覚えた。
「いえ、ダメです。それはダメですよ」
ヴァルダがキルイの提案に考えを巡らせていると、エンホサが声を上げた。キルイはその慌てぶりに首を傾げる。
「いいじゃないですか。ヴァルダさんがパーティに入れば戦力アップは間違いなしですよ」
「ダメと言ったらダメです。パーティには入れません」
頑なに拒否するエンホサ。その様子に、本当に勇者がいるのかと驚きつつも、やはり何か隠しているなとヴァルダは疑いの目を向けた。
「会って話すくらいはよかろう。パーティ入りを断られたら、すぐ退散する。それとも会ってはならぬ理由でもあるのか?」
「いや、それは、その……」
「このまま帰ってもよいがな。ただそうすると、外でうっかり何を話してしまうか分からんなあ」
しどろもどろになるエンホサに対し、ヴァルダはわざと意地の悪いことを言って、席を立とうと腰を浮かせる。
「やめてください!分かりました、分かりましたよ。会うだけですからね」
エンホサはしぶしぶながらも降参し、ふたりはマルズール王国の勇者のもとへ赴くこととなった。
勇者たちがいるのは、城の中でもヴァルダらが今いる場所からさらに奥、賓客向けの部屋だった。エンホサは部屋の前で警備する兵士と挨拶を交わす。兵士は不審そうにヴァルダとキルイを見たが、宰相殿が連れてきた御仁たちということもあり、それ以上は怪しむ様子を見せなかった。
「いいですか。挨拶をしたらすぐ戻りますからね。城の中でも極秘なんですから」
兵士に背を向け小声で釘を刺すエンホサに、「わかっておる。悪いようにはせん」とヴァルダは呑気に答えた。
エンホサがドアをノックすると、すぐに「どうぞ」と声が聞こえた。ふたりはエンホサによって開けられたドアから中へ入る。そこには、リヴラ王国の勇者たちと同じく三人で構成されたパーティの面々が顔を揃えていた。
「エンホサさん、そちらの方々は?」
おそらく勇者と思われる男が、にこやかに問いかけた。そばにいた体格のいい戦士風の男、魔法使いの格好をした女も、同様に穏やかな笑みを湛えている。それぞれの端整すぎる見栄えや振る舞いに、ヴァルダは隣にいたエンホサを、横目で睨まずにはいられなかった。他に勇者がいたらどうしよう、などと不安になったのが恥ずかしくなるほどの偽物だった。
エンホサは、連れて来たふたりを勇者たちに紹介するという態度を取りながら、睨むヴァルダのそばを離れる。
「私の魔法の師匠とその同伴の方です。たまたまこの国を訪れていて、ぜひみなさんにご挨拶したいとのことで」
「そうでしたか。はじめまして」
勇者は笑みを絶やすことなく、よく通る声であいさつした。するとキルイはおもむろに近づいていき、勇者の目の前で止まった。
「あなたも精霊の加護を持ってるんですか?」
その質問に勇者は笑みを崩さず、目だけでエンホサに助けを求める。それに対し、二度ほど素早くうなずくエンホサを、ヴァルダは冷ややかな目で見ていた。
「精霊の加護だね。ああ、もちろんだ。失くしてはいけないから、しっかりと持っているよ」
「え……?」
「さあ、挨拶は済みましたね。そろそろ戻りましょう」
エンホサは大股で歩き、きょとんとするキルイと勇者の間に割って入った。そして「さ、行きますよ」とキルイを促して、部屋の外へ出ていく。ヴァルダもあとに続いたが、途中で勇者たちを振り返ると、まだ顔を張り付いたような笑みを見せていた。
「さて。用は済んだし、一度、宿屋へ戻るとするか」
「待ってください」
面会を終えたヴァルダが城の外へ出ようとするのを、エンホサはその前に立ちふさがって制止した。
「よろしければ、今夜は城にお泊りください。部屋と食事を用意させますので」
「でも荷物が……」
キルイが困り顔でつぶやく。いつも背負っているリュックを、宿屋に置いてきていた。
「大丈夫です。荷物は取りに行かせますので。宿屋もキャンセルしておきます。ですので、先ほどの部屋でしばらくお待ちください。すぐに用意させます」
そう言ってエンホサは、押し込むようにして、ふたりを偽物の勇者たちと会う前までいた部屋へ戻らせる。そして「呼びに来るまでここにいてくださいね」と言い残し、足早に去っていった。
「どうしたんですかね?」
「外へ出て、勇者が偽物だと言いふらすとでも思ったのだろう。見た目だけ整えても、戦い慣れていないことは、ワシらにはすぐ分かるからな」
ヴァルダは自分の元弟子の浅はかさに、ため息をついた。
「あ、やっぱりそうですよね」
キルイは嬉しそうに声を上げたが、すぐに難しい顔をした。
「でも、なんで偽物を用意する必要があったんでしょう?」
「さあな。何か理由があるのかもしれん」
エンホサの様子からすると、ろくな理由ではないだろうというのがヴァルダの見立てだったが、元弟子のことを、そこまで口に出して
やがてエンホサが戻ってくると、ふたりは大きな部屋に通された。偽勇者たちの部屋とは通路を挟んで隣り合っており、こちらも中庭に面している。部屋の中では、ふたつ並んだ大きなベッドと、これまた大きなテーブルセットの間に、キルイのリュックが我が物顔で座っていた。
「服の用意もさせますので、よろしければそちらに着替えてください。食事は時間になったら、こちらへ運ばせます。ですので部屋からは、絶対、出ないでくださいね」
絶対を強調して、子どもに言い聞かせるように念押しし、エンホサはすぐに部屋を出て行った。
「ていのいい監禁みたいだな」
ヴァルダはぼやいたが、「こんな監禁なら大歓迎ですよ」とキルイは笑った。