「勇者さんたちは、ナンテの村を出たあと、分かれ道で東の方に行ったんですか?」
やはりそのことが気になっていたのか、キルイは席に着くなり尋ねた。
「そうだよ。南へ向かってもよかったんだけど、東へは行ったことがなくてね」
エールのジョッキが運ばれてきたので、クルードは言葉を切った。それぞれがひとつずつジョッキを引き取ったが、重苦しい空気を察したのか乾杯などは求めず、クルードは話を続ける。
「どちらからでもカーフェの町に着けるのは分かっていたから、今回は東にしたんだ。いい勉強になったよ」
「そうだったんですね。あのあと、クルードさんたちの足取りがつかめなくなったから、選択を間違えたって後悔したんです」
キルイの言葉に、クルードは困ったような笑顔を浮かべる。すると、次に口を開いたのはスモルだった。
「南にはマルズール王国があったろ?君はそこの勇者について何か知らないか?」
「勇者って、えっと……」
キルイは偽勇者たちのことについて話すべきか迷ったのか、不安そうにヴァルダを見つめる。
「マルズール王国の勇者がどうかしたのか」
代わりにヴァルダが問い詰めるように訊き返したので、スモルは怯んで言葉が出ない。こちらは代わりにクルードが話しはじめた。
「マルズール王国の勇者が魔族を倒したそうなんですが、その魔族というのが、魔王の配下の中でもかなり重要な人物だったようなのです。それ以来、勇者に対する警戒感が強まっているようで、魔族による襲撃が増えているんですよ。先日も僕らを狙って、この町へ魔族たちがやってきましたしね」
「標的にするのはマルズール王国の勇者だけにしてくれればいいんですけどね。同じ勇者ってだけで、こっちまで狙われるんだから、いい迷惑ですよ」
スモルはエールをあおって毒づいた。
「勇者ともなれば、遅かれ早かれ魔族に狙われることになるだろう。宿命みたいなものだ」
ヴァルダは重々しくそう言ったが、その実、キルイが余計なことを口走らないかと、気が気でなかった。それで勇者が狙われる原因を作ったのが自分たちだとバレてしまえば、クルードらはいい気はしないだろう。しかしキルイが何かを言う前に、「おっしゃる通りです」とクルードが同意してくれたので、ヴァルダはほっとした。
「それに、ひとつひとつの戦いが、魔王討伐の糧になるのだと、スモルもちゃんと分かっていますよ」
そうクルードに笑いかけられると、スモルはごにょごにょ言いながらエールのジョッキに両手をあてた。
その後はキルイが、クルードがどのような道を辿ったのかを聞きたがった。クルードは乞われるままに、これまでの旅で起こった出来事を話し、キルイは驚いたり笑ったり楽しげに耳を傾ける。しかし魔族や魔物を倒した話をするたび、キルイがその後始末をどうしたか尋ねるので、クルードはタジタジになった。はじめはどうにかはぐらかしていたが、しまいには、「これからは気をつけるよ」と戸惑いながら約束させられていた。
話が一段落したところで、クルードは「ヴァルダさん」と不意に呼びかけた。そのかしこまった声に、ヴァルダだけでなく、スモルもクルードの方へ顔を向ける。
「あのときもお話ししたと思いますが、俺は今のパーティに誰か加えようとは考えていません。ここまで追いかけて来ていただいたのに心苦しいのですが、今まで通り三人で旅を続けようと思います」
クルードの非情とも言える宣言に対し、声を上げたのはキルイだった。
「そんな。置き去りにされたから、ヴァルダさんはこうして追いかけてきたんですよ。だったら、最初からそう言えばよかったじゃないですか」
それに対し、「そうだね」とうなずき、クルードは目を伏せる。
「その件については謝ります。もっと言葉を尽くすべきでした」
「いいんですよ、謝らなくて。あのときは話して分かるような状態じゃなかったですから」
横からスモルがクルードを援護する。ヴァルダ自身、当時の自分は普通でなかったと自責の念を抱いていた。
「まあ、そうだな。あのときはワシもよくなかった。魔王が復活したと聞いたばかりで、年甲斐もなく舞い上がっておったのだ。勇者殿には迷惑をかけたと思う」
「いえ、そんな……」
神妙な様子のヴァルダに、クルードは申し訳なさげに言いよどむ。しかし、そんなクルードを追い立てるようにスモルは立ち上がった。
「もう話は終わりですね。それでは、気をつけてお帰りください。エールの代金はこちらで払っておきますので」
「待ってください。まだ話は終わって……」
「もうよい」
呼び止めようとするキルイを、ヴァルダは短く制止した。席を離れながらも、クルードはふたりのことを気にしていたが、「余計な気遣いをしたら、また追いかけてきますよ」とスモルに急き立てられ、カウンターで金を払い、宿屋の外へ出て行った。
「ヴァルダさん……」
キルイが消え入るような声で呼びかけたが、ヴァルダには届いていなかった。
当然の帰結だった。老いさらばえた身に降って湧いたと思った、勇者とともに魔王を討伐する機会。そんなものは、はじめからなかったのだ。それが現実だ。
ヴァルダはひとつ大きく息を吐き、何気なくキルイに目をやった。泣きそうな顔で、ヴァルダのことを見つめている。ヴァルダは胸が苦しくなった。何も考えず己の不幸に浸り、キルイにこんな顔をさせてしまっていたのかと思うと、情けなくなった。
「少し風に当たりに行くか」
ヴァルダはそう言って立ち上がる。そして、ふたり連れだって宿屋を出た。
念のため周囲を見回してみたが、先に出ていったクルードとスモルの姿は見当たらず、ヴァルダは安堵した。目の前にある広場の脇にベンチを見つけ、そこに腰かける。キルイもリュックを置いて、ヴァルダの隣に座る。相変わらず空は灰色で風は冷たかったが、エールによる火照りを冷ますにはちょうどよかった。
「こうなることは分かっておったのだ。お主には迷惑をかけたな」
ヴァルダは率直に、今の思いを伝えた。
「そんなことないですよ。すごく楽しかったですから」
キルイは笑顔で答える。その笑顔に嘘がないと分かるからこそ、ヴァルダは救われた気分になった。
思えばキルイと過ごす時間に、どれほど助けられたことかと、ヴァルダは考えた。はじめは年のわりに無思慮なものだと、煩わしく感じていた。いや、それは今も変わらないかと、思わず頬が緩む。気の向くままに動く姿は、祖父である元相棒のロア譲りだ。そして、あらゆることに興味を持ち、学び吸収していく姿に目を細めずにはいられない。キルイは冒険者としての懐かしさと、新たな刺激を同時に与えてくれた。そして、掴んだと思ったかりそめの夢に見放されていた昏い心に、光を注いでくれた。
「それで、このあとどうするんですか?」
このあと。そう訊かれ、ヴァルダは何と答えていいか分からなかった。旅はここで終わりなのだ。それは変えようがない。あとは帰るだけではないか。そして今までと同じように、弟子たちの面倒を見ながら暮らそう。今までと、同じように……
「おや、見た顔だな」
思索の外から響いてきた声に、ヴァルダは顔を上げた。声の主は勇者パーティの女エルフ、リステだった。片手で紙袋を抱きながら、もう片方の手には食べかけの小さなパンを持っている。