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第21話 旅の続き

「海水を練りこんだパンだそうだ。うまいぞ。お前も食うか?」


 そう言って紙袋を差し出した。ヴァルダはそれに興味を示さなかったが、キルイは身を乗り出して、傾けられた紙袋の中を覗き込もうとしている。


「そっちの子は、お前の連れか?」

「ああ、キルイだ」

「そうか。食べていいぞ」


 リステは歩み寄り、キルイに取りやすいように紙袋を向けた。


「ありがとうございます」


 キルイは礼を言って、その中に手を差し入れた。そして、取り出した赤子の拳ほどの小さな丸いパンを、そのまま口の中に運ぶ。その間にリステは、手に持った残りのパンをほおばった。


「ホントだ。塩味がしておいしいですね」


 もごもごしながら感想を言ったあと、しばらくしてキルイはパンを飲みこむ。その様子に、「だろう?」と、リステは満足そうな表情を見せた。


「ところで他のふたりを見なかったか。あとから市場へ行くと言っていたのに、なかなか来なかいから、戻ってきてしまった」

「えーと、さっき、ボクたちと話していて、そのあと外へ出て行きました」

「おや、入れ違いだったか」


 キルイがおずおずと話すと、リステは市場の方を見やった。しかし、すぐに視線を戻し「まあいい。ここで待っていれば、帰ってくるだろ」と、ヴァルダの隣のベンチに座った。


 静かに時間が流れていく。その間に、リステはもうひとつパンを取り出し、腹の中に収めた。


「お前を置いて行こうと言ったのは私だよ」


 突然の告白に、ふたりはリステを見た。


「頭を冷やせば分かると思ったんだ。私たちのパーティは、お前の死に場所ではないとな」


 その言葉は、ヴァルダに重く響いた。


 リステの言うとおりだった。なりふり構わず勇者たちに付いていこうとしたあのとき、ヴァルダは文字通り、必死の思いだった。最後にひと花咲かせて散りたい。だからこそ、置きざりにされたときのショックは計り知れなかった。そしてこの旅は、奪われた自分の散り場所を取り戻すためのものだった。だが。ヴァルダは思った。それは旅に出るまでのこと。ここへ来るまでの間に、死に場所を求めることはやめたのだと、今ならはっきり言える。


 ヴァルダがそのことを、口に出して伝えようとしたときだった。


「私は二百年前、魔王を倒し損ねたパーティの一員だ」


 リステは俯いて、足もとを見つめる。


「え、ホントですか?」


 キルイが驚いて声を上げたが、「エルフの寿命は長いからな」と、こともなげにリステは答えた。


「伏兵に眠らされてな。気がついたときに魔王の姿はなかった。人間たちは危機が去ったと浮かれていたが、私は魔王を倒せなかったことを悔いたよ。いつまた訪れるともしれん脅威を残してしまったわけだからな。それからは魔王がいつ復活してもいいように、私は冒険者として、努めて力のある者たちとパーティを組むことにしていた。お前たちに声をかけたこともある」


「本当か?」


 気の沈んでいたヴァルダだったが、この時ばかりは上ずった声を出した。


「ああ。あっさり断られたがね」

「ひどいですよヴァルダさん。覚えてないんですか?」


 キルイに問われても、思い出すことができない。


「ん、ああ……すまん。あのころはギルドに行くたびに、仲間に入れてくれという輩が寄ってきたからな。だから、よく考えもせず断ってしまったのかもしれん」


 言い訳がましく言葉を並べるヴァルダを、リステはただ横目で見た。


「気にするな、よくあることだ。いずれにせよ、私は常に魔王の復活に備えていた。だが、それももう終わりにしようと思っていたんだ。二百年も平穏な時代だったわけだからな。贖罪には充分だろう。疲れてもいたしな、今のパーティが最後のつもりだった。そこへ、魔王復活の報が届いた。幸いクルードとスモルは、二百年前に組んだ者たちと比べても遜色ない。これが定めかと覚悟を決めたよ。今度こそ魔王を倒し切るつもりだ。分かってくれるな。残念だが、お前の入る余地はない」


 淡々と語るリステの言葉に並々ならぬ決意を感じ取り、ヴァルダは恐れ入る思いだった。二百年という長きにわたり、訪れるとも知れぬ機会に備えるのは相当な忍耐を伴っただろう。しかし、それ以上に強く抱いたのは嫉妬だ。魔王と戦った経験を持ち、己の力を磨きながら魔王を待ち、魔王を共に倒さんとする勇者がいる。二百年の時を犠牲にしたとはいえ、魔王を倒す条件が揃っているではないか。それは自分に言わせれば、定めではない。幸運だ。喉から手が出るほどの僥倖だ。


 恵まれた者たちが、そろいもそろって自分を拒絶している。ヴァルダはひとつ大きく息を吐いた。


 仲間であるはずと思っていた勇者パーティに、はっきりと見切りをつけた瞬間だった。自分にはもう、勇者など必要ない。それは、欲しかったものが手に入らないと分かった途端に貶めるような、愚かな考えだ。ただの負け惜しみでしかない。それでも、前に進む力にはなる。


「お主にも苦労があったのだな。もうパーティに入れてくれなどとは頼まんよ」


 そんなしおらしい言葉に、愁いの色など微塵もない。ヴァルダは既に、ここを旅の終着点にしないと決めていた。


「ワシはワシで、魔王討伐を目指すことにする」


 見栄も虚勢もなく、ただそれが当然のことであるかのように宣言する。そんなヴァルダに、リステは目を瞠った。しかし、しばらくすると表情をやわらげ、初めて笑みを見せる。


「そうか。では、これからはライバルというわけだな」


 そこへ、クルードとスモルの話し声が聞こえてきた。リステはそちらへ目を向けると、「ではな」と言ってベンチを立ち、ふたりに合流する。スモルはリステの奥にいるヴァルダに気づくと、嫌なものでも見たように視線を逸らした。


「そういうことだ。すまんが、ひとりで帰ってくれるか」


 一緒に来てほしいのはやまやまだが、ここまで充分過ぎるほど……


「え、ボクも行きますよ?」


 ヴァルダのしんみりした考えを遮って、キルイは意外そうに声を上げる。それは嬉しい反応ではあったが、魔王にひとりで挑むという悲壮な覚悟に水を差された気もして、ヴァルダは困惑した。


「いや、もう勇者のところへ送り届けるという目的は果たしたのだから、これ以上ワシに付き合う必要はない。いつぞやはそれが済んだら、家へ帰ると言っておったではないか」


 せっかくついてきてくれるというのに、出てくる言葉は、なぜか意に反してキルイを帰そうとしてしまう。しかしありがたいことに、キルイがヴァルダの言葉に、素直に従うことはなかった。


「それは、ヴァルダさんが勇者さんのパーティに入ったときの話です。それがなしになったのですから、ボクはこれからも一緒に行きますよ。ロアじいにも、勇者パーティに入れなかったら、最後までお供して、ちゃんと連れて帰ってこいと言われていますし」


 ロアのやつ、余計なところに気が回るものだと、ヴァルダはため息をついた。しかし、そうであるならキルイ本人の意志を確認せねばならない。


「本当によいのか?これからの旅は今までより厳しくなる。ロアに言われたからではなく、お主自身で決めなさい」

「分かりました。これからもヴァルダさんについていきます」


 キルイのまっすぐな視線に、これ以上ヴァルダが問うべきことはなかった。


「そうか分かった。では、ひとつ考えがある。町を出て南へ向かおう」

「海が凪ぐのを待たないんですか?」


 不思議そうに尋ねるキルイに、ヴァルダは「ああ」とうなずく。


「前に翼竜に乗りたいと言っておっただろ。それを叶えてやろうと思ってな」


 そう言ってニヤリと笑った。


「明日は夜が明けたすぐに出発しよう。勇者たちに見つからんようにな。うまく出し抜いてやるのだ。だから今のうちに買い出しをして、夕食を済ませたら早く寝てしまおう」

「分かりました」


 話が決まり、ふたりは立ち上がった。するとキルイが、思いついたように口を開く。


「さっきリステさんからもらったパンなんですけど、買ってもいいですか?」


 よほど美味かったのだろうかと考えていると、不意にヴァルダは、翼竜に乗るためにパンが必要なことを思い出す。


「ああ。そういえば、翼竜の世話をする魔族に、パンをやることになるかもしれん。多めに買っていこう」


 そしてふたりは市場へ行き必要なものをそろえた。立ち寄ったパン屋ではキルイが目的のパンを見つけ、「別にそれでなくてもいいんだが」というヴァルダの言葉を聞かず、リステからもらったのと同じものばかりを、大量に買い込むのだった。


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