隠し通路は、すぐに下る階段があり、そのあと右へ折れていた。そして次に左へ曲がると、少し歩いた先に上りの階段が見える。ピーリはそこでまた立ち止まり、ふたりを振り返った。
「この階段の天井が、入ってきたところと同じように隠し扉になっていて、魔王様の玉座のうしろに出るんです」
そう告げるとピーリは前を向いて階段を上り、ヴァルダがそれに続く。キルイは背負っていたリュックを下ろし、壁際に置いてから階段に足をかけた。
いよいよだ。まさかこんな形になるとは思わなかったが、夢にまで見た魔王との決戦が目の前に迫っている。緊張しながらヴァルダが上っていくと、その前でピーリが体を反転して階段に腰かけながら、天井のくぼんだ取っ手に手を差し入れ引っ張る。すると、天井が正方形に少し下がり、同時にガタっと音がした。
「絶対、魔王に気づかれましたよね」
キルイが小声で言うと、ピーリは「そうですね……」と悪びれる様子を見せながらも扉を引き開ける。扉の音に眉根を寄せていたヴァルダは、頃合いを見て魔法の明かりを消した。
「どうぞ、私はここに隠れていますので。魔王城は先人の陣形魔法で、ちょっとやそっとじゃ壊れないようになっています。存分に戦ってください」
ピーリは小声でそう言って端に寄り、ふたりに玉座のうしろへ上がるよう促す。てっきり一緒に戦うものと思っていたヴァルダは戸惑ったが、ここで揉めても仕方がないと歩みを進めた。
ピーリの脇から階段を上がっていくと、すぐに右手上方に玉座が見え、思わず立ち止まった。ひじ掛けに前腕がかけられており、魔王がそこに座っていることが分かる。ヴァルダの鼓動は一段と速くなった。階段を上り切る前に心を落ちつけようと、胸に手をあてる。そして、静かに長く息を吐きはじめたそのときだった。
「そのようなところで、こそこそしておらず出てこい」
魔王の声が重々しく響いた。思わず息が止まる。そして、ゆっくりと階段を引き返した。キルイを追い立てるようにして、一番下まで下りる。
「やはり気づかれておるな」
ヴァルダはそう言いつつ、階段の上を見やった。
「不意打ちは無理そうですね」
キルイは苦笑した。ヴァルダとしても残念ではあったが、魔王を相手にするなら正々堂々と戦いたいと思ってもいた。いずれにせよ仕切り直しだと、一度、隠し通路の中に戻ったのだった。
「こうしている間にも、魔王が上から攻撃してくるんじゃないですか?」
心配そうに、キルイも階段の上を見る。
「いえいえ。気位の高い方ですから、そんな姑息なことはしませんよ」
そうピーリが答えるのを聞き、ヴァルダは自分たちが姑息なことをしていると言われたようで、妙な心持ちになった。
「でも、どなたかを呼んで、ここへ送り込んでくるかもしれませんね」
「そうなったら面倒ですね。ヴァルダさん、魔王がひとりのうちに戦いましょう」
「ああ、そうだな」
どうにも緊張感がなかったが、邪魔が入らず魔王と戦える、またとないチャンスを逃すわけにはいかない。ヴァルダは気を引き締めて、キルイとともに階段を駆け上がった。ふたりで玉座の正面に回り込み、魔王に相対する。
やはりピーリは玉座の裏から出てこなかった。魔王は四段ある階段の上に置かれた玉座にゆったりと腰かけたまま、ふたりのことを見下ろしている。
「ガキと年寄りが何の用だ。あいにく、この城は見学禁止なのだがな」
そう言いながら、不機嫌そうに頬杖をつく。
「隠し通路を使ってきたということは、ピーリの仕業か?あれはほとんどの者がその存在自体を知らんからな。ピーリ、そこにいるのか!いるなら出てこい!」
魔王が鋭く声を発すると、しばらくしてピーリはおどおどと姿を現し、俯いたまま玉座の横まで進み出て来た。
「どういうつもりだ。人間どもを招き入れるような真似をするとは。我を裏切る気か」
魔王から問われても、いつもの多弁さは影を潜め、ピーリはただ震えるばかりで黙っている。それで代わりにキルイが口を開いた。
「ピーリさんは、あなたが復活したせいで、仲良くしていた町の人たちから嫌悪感を持たれてしまったんです。だから、もう一度町の人たちに受け入れてもらうために、あなたを倒さないといけない。それで、ボクたちをここに連れて来たんです」
横で聞きながら、皆まで言ってやるなとヴァルダは思ったが、もう遅い。
「そうなのか、ピーリ?」
魔王は頬杖をついたまま横にいるピーリを睨む。ピーリは顔を上げられず、俯いたままだった。
「まあよい。結果として、こいつらがリヴラ王国の勇者どもと組んで挑んでくることがなくなったわけだ。それでよしとしよう」
魔王の言葉に、そうか、その手があったかと、ヴァルダは膝を打つ思いだった。すっかり勇者たちを敵対視していたが、オリハルコンを譲ることで恩を売ったのだから、それと引き換えに共に行こうとでも言えば、なんとかなったのではないか。なぜそんな簡単なことに気づかなかったのだと、ヴァルダは自分の思慮の足りなさを呪った。
しかし、悔いたところで始まらない。今はそんなことを考えている場合ではないと、雑念を振り払った。
「そのリヴラ王国の勇者どもも、ずいぶん近づいてきているようだからな。準備運動といくか」
余裕たっぷりな口ぶりの上、魔王は玉座から立ち上がるそぶりも見せない。なめられたものだと思いながらも、これはチャンスだとヴァルダは杖を構える。
そして真正面から魔法を放った。相手は魔王だ。小細工は必要ない。全力でぶつかるだけだった。魔王は身動きひとつすることなく、魔法防壁で守りを固める。それもまた余裕を見せた行動だったが、ヴァルダの一撃はその守りを貫く。魔法防壁によってかなり弱められていたものの、被弾した魔王は顔をしかめた。
そこへキルイが階段を駆け上がって斬りかかると、魔王は脇に置いてあった剣を手に取り、素早く鞘から抜いて受け止めた。しかし、それでもまだ押し込まれるので、もう一方の手で小さく魔法防壁を張り、剣先を支える。そして立ち上がりながらキルイを押し返し、階段下へ落とす。キルイはどうにか足で着地したが、後ろにかかった体重を止めるため、勢いよくあとずさって、ようやく止まった。
「やれやれ、準備運動では済まないか」
そう言って魔王は、剣をもてあそびながら階段をゆっくりと下りてくる。大柄で厚みのある肉体を持つ魔王は、同じ高さに立ったことで威圧感を増していた。しかし怯むことなく、キルイは向かっていく。キルイの攻撃の直前に合わせてヴァルダが魔法を放つと、魔王は魔法防壁でそれを防ぎつつ前進し、次の瞬間にはキルイと剣を交える。
数度、剣戟の音を響かせたあと、魔王は蹴りを出す。キルイは避けようと身を引いたが、それ以上に伸びてきた足を腹に受け、地面に転がる。その隙にヴァルダが魔法を撃ち込むと、魔王は軸足で飛び退いて、どうにかそれをかわした。
「さすがに一筋縄ではいかんな」
ヴァルダはそうつぶやいたが、口元には笑みが浮かんでいた。そこへ魔王の魔法が飛んでくる。ヴァルダは魔法防壁で防いだが、今まで感じたことのない重みに思わずふらつき、杖を頼りに地面を踏みしめて耐える。それすらも嬉しくなるほど、戦いを楽しく感じていた。
一方で態勢を立て直したキルイは、すぐ攻撃に出る。何度か剣を交えたものの圧倒され弾き飛ばされると、魔法で追撃されたが、ヴァルダが魔王から狙いを変え、それを撃ち落とす。続けざまにヴァルダが魔王へ攻撃を仕掛けるが、それを魔王の反撃の魔法が飲み込み襲ってくるので、魔法防壁を展開して事なきを得た。
そうして、魔王と互角とも言える展開に持ち込んでいたが決め手がない。この状況を打開するため、何かしら工夫をせねばと考えはじめた矢先、キルイを弾き飛ばした魔王がヴァルダに向かってくる。しかしそれは充分に予測できた動きだった。
ヴァルダは魔法防壁で、振り下ろされた剣を防ぐ。その圧力に魔法防壁が砕けたが、それもヴァルダの想定のうちだった。すぐに切り替え魔法で攻撃に出る。予想外だったのは、魔王がまったく怯まないことだった。防御姿勢など微塵も取らず、正面から斬りかかってくる。ヴァルダの魔法の方がわずかに早く、魔王を押し返したが、それでも剣がヴァルダの体を斜めにかすめた。