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第八話 ≪叫ぶ者≫

「鎧戸だ!」

 リリスを含め――、混乱に陥る子ども達にアブンが怒鳴った。

「鎧戸を落とせ!! 早く!!」

 その声に弾かれたように、リリスの近くにいた男の子が窓に飛び付く。

 鎧戸が落とされる寸前、醜い獣に喉を食いちぎられた哀れな村人が血泡を吐きながら、何か叫ぼうとした。

 助けてくれ、だったのか。

 早く逃げろ、立ったのか。

 とにかく、それは鎧戸を貫く、けたたましい断末魔へと変わった。

「ああ、クソッ!! 化け物が増えやがった!!」

 顔面蒼白になりながらアブンが叫ぶ。

「あいつらか? お前とタックを森で襲った狼の群れってのは?」

「う、うん」

 カタカタ、膝が震えるのを感じながらリリスは頷く。

「間違いない、と思う」

「だから、こんなド田舎は嫌だって言ったんだよ。ああ、もう、一杯引っかけたいぜ……」

 ブツブツとアブンが愚痴をこぼした時――、

 ドンッ!!

 鎧戸の向こうから何かが激しく体当たりしてくる。

 ついで鋭い爪の先でガリガリとかきむしる音が聞こえてくる。

「ア、アアアッ!! い、いい匂いいい匂いがするぅううううっ!!」

 鎧戸の外からゲラゲラ馬鹿笑いする声。

「子どもだぁ子どもの匂いだぁ!! い、いるぅ!! 一杯いるいるいるいるぅうッ!!」

「喰えるか!? 喰えるのか!? なぁ、く、く、喰えるのかぁ!?」

「喰えるよ喰える喰える!! 目玉でもハラワタでも!!」

「お、おい!! ここを開けろ!! 早く開けろ!! 開けろォオオオッ!!」

 わんわんと響く下品な喚き声。

 そのあまりのやかましさにリリスは、クラッと目眩を覚える。

 そして、思い描いてしまう。

 狼どもの言葉通り、眼球をえぐり取られハラワタをかき出された、無残な己の死を。

 ああ、あたし、今度こそ死ぬんだ。

 殺されちゃうんだ。

「うるせぇ、このクソどもッ!! どこかに行きやがれ!!」

 大声を張り上げるアブン。

それから拳を固め、ガンッと鎧戸を殴りつける。

 鎧戸の向こうで、ドッと爆笑が巻き起こり、タタッと走り去る足音が聞こえた。

「おい、大丈夫か?」

 振り返り、リリスの腕を取るアブン。

「あ、アブン兄ィ……」

「いいか、よく聞いてくれよ?」

 涙に濡れたリリスの顔を両手で挟み――、いつになく真剣な口調でアブンが言う。

「あいつら、人を喰うらしい。喰われたら、死ぬ。だから、絶対、外に出るな」

「…………うん」

「いや、ここじゃ心許ねーな。鎧戸が破られたら終わりだ。もっと安全な場所……」

「で、でしたら!!」

 と、口を挟んだのは、屋敷の下働きと思しき若い女だった。

 泣きじゃくる赤ん坊を必死であやしながら言う。

「地下に酒蔵があります。旦那様がお亡くなりになってからは、奥様も私達使用人も出入りはしていませんけど、あそこなら……」

「そこだよ、そこ!!」

 女に笑顔で頷き返し、リリスに向き直るアブン。

「聞こえたな? お前ら全員、そこで隠れてろ」

「アブン兄ィは? アブン兄ィはどうするの?」

「俺? 俺は一っ走りして、外の連中を助けてくる」

「えっ……」

「おいおい、そんな顔すんなって」

 思わず目を潤ませるリリスの額を軽く小突くアブン。

「これでも俺、お前らの用心棒なんだぜ? あんなやつら、屁でもねーよ」


 ヤケクソのような雄叫びを張り上げ――、槍を振りかざしながらアブンは屋敷の外へと飛び出していった。

 その無事を祈る間もなく、リリス達は酒蔵に向かう。

 地下へ通じる階段は狭く、子ども達は一人一人、順番に並んで下っていかなければならなかった。

「怖いよ、リリス」

 チコリ婆さんに手を引かれたタックが今にも泣き出しそうな顔で振り返った。

「僕、下に行くのヤダ。暗いし、狭いし――、何だか嫌な匂いがするんだもん」

「分かってねーガキだな」

 けけっ、と嘲笑いの声をあげたのは、リリスが小脇に抱えるオルタンだった。

「嫌な匂いだと? こりゃ、酒の匂いじゃねえか。それもとびっきり上物の」

「男の子でしょ? 泣き言、言ってんじゃないの」

 何とかいつもの口調でそう言い、リリスはタックの背中を軽く叩く。

「ほら、皆の迷惑だからサッサッと進む」

「ううっ、きっと鼠とか大きな蜘蛛とかがいるんだ。それで僕の背中に……」

 グズグズ言いながら階段を下りはじめるタック。

 溜め息をつき、リリスもその後に続こうとする。

 しかし――、

「あれ? ちょっと待って」

 リリスは立ち止り、階下を下ってゆく人々に声をかけた。

「奥様はどこ? お昼からこっち、ずっと見ていないような気がするんだけど?」

「あ、いけない!! てっきり、一緒にいらっしゃるものとばかり」

 ランプの薄明かりの中、この酒蔵の話をした若い女が顔を青ざめさせる。

「きっと、お部屋にいらっしゃるのだわ。早くお呼びしないと……」

 なんてこと、とリリスは思った。

 まさか屋敷の外にいるわけではないだろうが、こんな時、一人きりにするなんて。

 上手くは言えないが――、悪い予感がする。

「じゃあ、あたしが奥様をお呼びしてくるよ」

「一人でだと? 馬鹿じゃねーのか、お前」

 呆れたようにオルタンが口を挟む。

「お嬢ちゃんよぉ、お前、今、どんな状況か把握できてねーだろ? 《叫ぶ者》が集団で村に殴り込みに来たんだぜ? 何が起きるか、分からねーンだぞ」

「だったら、尚更、奥様をほっておけないじゃない!!」

 リリスは声を荒らげ、目玉をクルクル回しているオルタンの首をつかみ直す。

「あんた、一緒に来てよ!! それなら一人じゃないでしょ!!」

「お、おい!! よせ、やめろッ!! 俺様を巻き込むんじゃねーよ!!」

 ギャアギャア、と抗議の声をあげる木偶人形を無視して、リリスは階段を駆け上がった。



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