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第九話 ≪無の都≫

「コソコソ逃げ回るのもここまでだ」

 リリスを背に庇い、ヴァロフェスは鎖を手繰り寄せた。

 地面からステッキが引き抜かれ、主の手元へと帰ってくる。

「私と戦え、マクバ」

「逃げ回る、とは心外ですな」

 溜め息をつき、魔術師は肩をすくめる。

「王子よ、分かりませぬか? 今、こうしている瞬間にも――、新たな《叫ぶ者》が一人、また一人と生み出されているのですよ。勿論、わたしの手によってね」

「……何を言っている?」

「私は世界に遍在する者なのです、王子。あなた様のお父上と同じく」

「貴様は、十年前もそんなことを言っていたな」

 得物の切っ先を向け、嗄れた声でヴァロフェスは尋ねる。

「貴様が言う、私の父とやらは何者だ?」

「あなた様の父上――、と言うのは正確な表現ではありませんな」

腕組みをし、白衣の魔術師は続ける。

「言ってしまえば、この私の父でもあり、あなた様の後ろで震えている小娘の父でもある。いや、それどころか古の神々の父ですらあるのです」

「それはつまり、どういうことだ?」

 苛立ち、先を促すヴァロフェス。

「つまり――」

 クスクスと笑い、マクバが言う。

「我らの父とは、この世界そのものなのでしょうな」

 もう、沢山だった。

 獰猛な唸り声を上げながら、地を蹴るヴァロフェス。

 そして、ステッキを横振りに振り、魔術師の頭を打ち砕こうとする。

 しかし、その柄頭はむなしく空を切るだけだった。

「今や、あなた様は新たなる絶望を知った。この世に満ちる呪いは決して晴れることはなく、ただ我が子をいとおしく思う母親ですら《叫ぶ者》と化す始末だ」

 瞬時にしてヴァロフェスの背後に回り込み、わざとらしい溜め息をつく魔術師。

 短い怒声をあげ、ヴァロフェスは後方に突きを打ちこむ。

 しかし、その渾身の一撃は、魔術師のほっそりとした二本の指に挟まれ、制止されていた。

「そして今、あなた様は十年前のあの日、私に向かって吐いた想いを再び、心の底に浮上させつつある」

「…………ッ!!」

 火花を散らし、宙に舞う銀のステッキ。

 それは甲高い音を立て、リリスの足元に転がり落ちる。

 その隙を突き、ヴァロフェスは魔術師に飛び掛かり、地に組み伏せる。

「貴様。この期に及んで一体、何を企んでいる?」

「準備が整ったということですよ。あなた様が真のお姿を取り戻すためのね」

 涼しい口調で応える魔術師。

 組み伏せられたまま、人差し指を伸ばし――、ある方向を指差す。

 それにつられ、ヴァロフェスもそちらに視線を向ける。

「なっ……!?」

 絶句するヴァロフェス。

 二度と思い出したくない光景がそこにはあった。

 それはヴァロフェスの生まれ故郷だった。

 この十年間、悪夢の中、何度も何度も引き戻された石畳の都だ。

 大勢の民衆でごった返した黄昏時の広場。罪人に裁きを言い渡すための黒ずんだ石の塔。天に高く掲げられた魔除けの旗。槍を天に掲げた厳めしい面構えの兵士たち。

「まさか、これは……」

「その通りです、王子」

 組み伏せられたまま白衣の魔術師が嗤う。

「あの日をもう一度、再現するのです」

 既にヴァロフェスの耳には魔術師の言葉など届いてはいなかった。

たった今、現れ出た群衆に向かって駆け出していた。

「殺せ、殺せ! 魔女を殺せ!」

「息子もだ! 魔女の息子も殺せ!」

「火あぶりだ! 火あぶりだ!」

 猛り狂った人々を必死でかき分け、ヴァロフェスは火刑台へと向かう。

 途中、すれ違った顔は、どれも見覚えがあった。

十年前とまったく同じ顔だった。

 と、突然――、ヴァロフェスの眼前に鉄格子が現れる。

 気がついたときには既に遅く、鉄の檻に閉じ込められていた。

「おい、見ろよ、このバケモノ」

 群集の誰かがそう言いながら、石を投げつけてきた。

「死ねよ、汚らわしいバケモノ!」

「そうだ、バケモノは死ね! バケモノは死ね!」

「貴様のせいでこの国は目茶苦茶だ!」

「そうだ!! 死ね、死ね!!」

「火で焼かれながら死ね!」

 耳が痛くなるような怒声の中、ヴァロフェスは格子越しに、一人の女が群衆の前に引き摺り出されるのを見た。

 さ迷える死者のように恨みがましい顔つき。

みすぼらしく薄汚れたドレス。

ほつれた長い金髪。

 忘れはしない。忘れられるわけがない。

「は、母上……」

 自然と喉から掠れた声がもれる。

 ヴァロフェスの母――、この国の王女は焦点の定まらぬ目で、怒声をあげ続ける人々を眺め、不思議そうに首を傾げた。唇の端にはタラリと涎が光り、狂人としか思えぬ、意味不明の音が紡ぎ出され続けている。

「王女サーナ!! 汝の許し難い罪をここに断罪する!!」

 雷鳴のような宣告が塔の突き出た窓から狂える女王に投げつけられる。

「第一、王家の者でありながら悪魔と契りを結び、鴉の顔を持つ魔物を生んだ罪により火刑!!」

 火刑だ、火刑だ、火炙りだ!!

 連呼する群衆の怒号。

「第二、悪魔より学んだ魔法を持って父王、ウラウスを呪殺した罪により火刑!!」

「違う!! それは違う!!」

 檻に囚われたまま、ヴァロフェスは叫ぶ。

 王女サーナは、母上はただの狂人だ。

 魔法など使えるはずもない。

 この国の王を殺したのは私だ。

 王女の呪われた私生児を忌み嫌い、人目から隠すため、長年、暗い地下に閉じ込め続け、挙句の果てに亡き者としようとした実の祖父。

 白衣の魔術師マクバの手を借りて、王を殺したのはこの私だ。

「やめろッ!! 母を殺すなッ……!!」

 しかし、ヴァロフェスの叫びは誰の耳にも届かない。

 そして、王女の足元に松明は投げ込まれ――、悲鳴をあげることもなく、その身体は紅蓮の炎に包みこまれる。

 …………ああ、母上。

 力なく座り込みながら、ヴァロフェスは思った。

 生まれた私の顔を見た瞬間、気が触れてしまった母上。

私が側に立っただけで怯え、逃げ惑った母上。

私の名を一度たりとも名を呼んでくれなかった母上。  その母が今、炎の中で燃え上がり、崩れてゆく。

「いかがいたします、王子?」

 肉の焦げつく激臭がたち込める中、背後で声がした。

 そこに白衣の魔術師がいた。

「願い事を口になさい、王子。今、あなたの胸にある思いの丈を」

 よせ。

 魔術師の言葉にヴァロフェスは抗おうとした。

 しかし、彼の口は勝手に動いていた。

「私の願いは……」

「いけません、王子!」

 激しく格子を叩く者がいた。

ぎくり、とヴァロフェスの言葉が止まる。

 それは一人の少女だった。

イルマ。

それがその娘の名前だ。

「お願いだから、耳を貸して下さいませ!! 魔術師の口車に乗ってはいけません!! その者は、あなたの味方などではありません!! 何もかも奪う気なのです!! 王子が王子であることですら!!」

「おや? 妙だな」

 不可解そうに魔術師が首を傾げる。

「なぜ、この娘まで現れる? こんなものまで再現するつもりはなかったのだが」

 まあいい、と呟き、片手を一振りする魔術師。

 現れた時と同様、唐突にかき消える少女の姿。

「妄言の亡霊はかき消えました。……さて、王子よ。如何いたします?」

 刹那の沈黙の後――、

「わ、私は……」

 一言一言、絞り出すようにヴァロフェスは吐きだしていた。

「この忌まわしい、世の中の全てを滅ぼし尽くしたい」



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