しんしんと雪の降る、静かな夜。
少年がドアを開くと、一羽の黒々とした鳥がそこに立っていた。
「…………?」
弱々しい明かりが点ったランプを翳したまま、少年は片手でゴシゴシと目をこする。
夢でも見ているのかと思って。
ランプの灯を反射して鈍く輝く長い嘴。ドロリとした闇色に染め上げられた大きな翼。頭と肩に雪を積もらせたそれは、人間の、大人の男ほども背丈のある、鴉だった。
腰には銀色に輝く一本のステッキ――柄頭にはニンマリと笑みを浮かべた太陽が彫刻されている――が吊るされていた。
何だ、こいつ?
ひゅううううううううううううっ……。
首を傾げた少年と鴉の間を、冷たい夜の風が吹き抜けていった。
「……ダイン? どうしたの?」
と、後ろから心配そうな声に名を呼ばれ、少年――、ダインはハッと我に返る。
振り向くと、小柄な娘が一人、杖をつきながら、狭い廊下をヨロヨロとこちらに向かってくるのが見えた。
姉のメルディだ。
ダインと同じく、明るい茶色の髪を背中まで真っ直ぐに伸ばし、粗末なショールを麻のドレスの上から羽織っている。
美しいというよりは可愛らしい顔は、丸みを帯び、まだ幼さを残していた。
瞳は円らで大きかったが、そこに光は宿っておらず、何も映ってはいなかった。
生まれつき、メルディは盲目だった。
「どなた?」
壁を手探りながら、少し不安そうな声で弟に問い掛けてくる。
「お客様、なの?」
「な、なんでもないよ。姉ちゃん……」
いいから奥にいて。
そう、ダインが告げるよりも早く――、
「こんな夜分に申し訳ない、お嬢さん」
驚いたことに、鴉が人間の言葉を発した。
思いのほか、それは優しく、穏やかな声だった。
「私は旅の者だ。宿をとり損ね、難儀している」
あっ、とダインは気がつく。
鴉の顔は、精巧に拵えられた仮面だった。
嘴の下には形のよい口元がのぞいており、翼と見間違えたのは高襟の長い外套だった。
な、なんだ、人間だったのか。
そりゃ、そうだ。鴉が俺ン家を訪ねてくるわけがない……。
己の小心さが恥ずかしくなり、ダインは俯かせた顔を少し、赤らめていた。
と、
「不躾だとは思うが、一晩、この家に泊めてはもらえぬだろうか?」
「……え?」
思わず、顔をあげるダイン。
「今、持ち合わせの金は少ないが、必ず、礼はする」
ダインは慌てた。
じょ、冗談じゃない!!
鴉であろうと、人間であろうと――、こんな怪しいヤツを姉ちゃんと俺しかいない家に上げれるもんか。
「悪いけど旅人さん……」
「どうぞ、あがって下さいな」
断ろうとしたダインの言葉を遮り、明るい声でメルディが言った。
「こんな狭い家でよければね。お礼なんか、気にしないで」
「姉ちゃん……!!」
「いいこと、ダイン」
血相を変える少年の鼻先をチョンとつつく、澄まし顔のメルディ。
「世の中、困った時はお互い様なの。いつも、そう言っているでしょ?」
「それはそうだけど……」
「それにこの人はいい人。姉さんはね、目は見えないけど、そういうことはよく分かるの」
確かに、男の口調は礼儀正しく、紳士的だった。
だけど、この男の奇怪極りない井出達が見えたなら、いくら人のいい姉ちゃんだって……。
いや、何だかんだ言いながら、結局、泊めてやるだろうな。
ダインは小さく溜め息をついていた。
「何もないけれど、スープぐらいはご馳走できるわ。あの、旅人さん……」
「ヴァロフェス」
口ごもったメルディに仮面の男が答える。
「私のことはヴァロフェスと呼んでくれ……」