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「それにしても、質屋の狸親父め」

 再び、兜を巨木の洞に押し込みながらダインは不満げに呻く。

「俺が餓鬼だと思って、足元見やがってさ……」

 宝石と引き換えに、質屋が貸し付けてくれたのは、銅貨三十枚だった。

 たった、これだけ?

 もちろん、ダインは抗議したが、「流れてきた宝石は売り手が見つかりにくい」と質屋は言い張って、譲ろうとはしなかった。

 まあ、いいさ。

 家へと続く街道を戻りながら、ダインは肩をすくめる。

 兜が金になることは証明された。後は、これを高値で買ってくれる人間、それもケチな質屋なんかじゃなく、暇と金を持て余した貴族サマを見つけて売り込むだけだ。

 にやり。

 思わず片の頬が歪んだ。

 しかし、それと同時、脳裏をよぎったのは、メルディの笑顔。

 ――このお芋はね、弟が稼いでくれたお金で、今朝、お百姓から買ってきたものなのよ。

 無邪気に姉は、仮面の男にそう言った。

 適当についた、ダインの嘘を全く疑うこともなく。

 メルディは小さな頃から、信心深い娘だった。

 特に両親が亡くなってからは、朝夕、神々に祈りを捧げることを欠かさない。

 誠実に生きてゆけば、きっと神様が守ってくださるのよ。

 それがメルディの口癖だった。

 万が一、コソ泥まがいのことで弟が大金をせしめようとしていると知れば、彼女はどう思うだろうか?

 ダインには、どうしても、喜ぶ姉の顔を思い描くことはできなかった。

 しかし、

「ばれなきゃいい。そうだ、ばれなきゃいいんだ」

 森を歩きながら、ダインは唸るような声で自分に言い聞かせる。

「金さえ手に入りゃそれでいい。他のことなんか、知ったことじゃない」

 そうだ。この世の中、一番大切なのは金だ。

 金さえあれば、姉ちゃんはお医者に掛り、その眼に光を取り戻せたかもしれない。

 金さえあれば、あのケダモノ以下の男達に好き勝手な口を叩かせずにすんだ。

 結局のところ、とダインは奥歯を噛みしめながら思う。

 俺達、姉弟は最初から世の中にも、神々からも見捨てられている。

「……くそっ。どいつもこいつも。みんな、くたばれ」

 ドロドロとした暗い感情が昂って行き、ダインは思わず、呪いの言葉を口にする。

「同感だ」

「えっ!?」

 頭上から落ちてきた、笑いをこらえるような声にダインはギョッとして立ち止った。

慌てて周囲を見回すが巨木の枝が夜風に揺られている以外は、何者も動く気配がない。

「だ、誰……?」

「俺達はなかなか、気が合うらしい」

また声が聞こえた。

生気のこもらない、冷たいしわがれ声だった。

「お前は、随分と俺の作品を気に入ってくれたようだしな」

 その声は、ダインの耳ではなく、直接、頭の中で響いているのだった。

 ボウッ!!

「う、うわぁッ!!」

 悲鳴をあげ、ダインは冷たい雪の上に尻もちをついてしまう。

 その目と鼻の先で、燃え上がる青い炎。

 たちまちのうちに森の中は、青ざめた怪しい光で満たされてゆく。

 狼狽するダインを尻目に青い怪火は、アッと言う間もなく、その姿を変える。

 それは見上げるような、巨体の戦士だった。

 筋肉隆々とした、その逞しい肉体を包んでいるのは、大量の血飛沫を浴び、真紅に染まった鎧。片手にはダインの背丈の三倍の長さはあると思しき大剣が握りしめられており、その幅広な刃は赤く錆付いていた。

 だが、それらよりもダインの目をくぎ付けにしたのは、戦士の面構えだった。

 正確に言うと、戦士には顔がなかった。

 焼爛れ、表面をウジがうごめく腐肉の塊だった。そこにあるのは申し訳程度の、小さな瞳と鼻の穴――、そして、真一文字、横に裂けた狼のような大きな口。

 幽霊だ、とダインは思った。

 砦に出ると言う、戦士の幽霊だ。

「百人目だ、ダイン。お前で百人目なのだ、ダイン」

 幽霊の戦士が裂けた口を歪ませ、吐き気を催す臭気を放つ。

 まともにそれを吸い込んでしまい、ダインはヘナヘナとその場に座り込んでしまう。

 そんなダインに向かって、戦士は鎧を軋ませながら近づいてくる。

「つけを払ってもらうぞ、ダイン」

 顔のない戦士が声ではない声で、また、言った。

「俺の宝物――、《死面の兜》を盗み出したつけを、な」

「し、知らないッ!!」

 尻もちをついたまま、ダインは叫ぶ。

 情けないことに、ほとんど、泣き声だった。

「か、か、兜なんて、お、お、俺、そんなの知らない……!!」

「今更、白々しい嘘はよせ」

 ズイッとダインの鼻先に潰れた顔が突き出される。

 ひぃっ、と引きつった悲鳴をあげながら、ダインはそいつが笑ったのを感じた。

「俺はこの砦の処刑人だった。何百、いや、何千という数の捕虜を毎日毎日、殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺し続けた。お前は知るまい。非業の最期を遂げた者の遺体から抜き取った骨は、殺人者に至上の霊感を与えるのだ」

 自分の言葉に酔っているのか。戦士の声は、次第に恍惚としてゆく。

指一本動かせないまま、ダインはその声を聞き続けた。

と、

「あっ……」

 戦士の持つ大剣がゆっくりと持ち上げられた。

 大剣の鍔にはめ込まれていたのは、人間の頭蓋骨だった。それだけではない。戦士の身に纏う真紅の鎧に施された、禍々しい意匠の飾りは、彩色され、様々な形に削られ、切り落とされた人骨だった。

じゃあ、あれは……?

巨木の方角を振り返ったダインの背中に冷たいものが伝った。

俺が見つけた、髑髏の面頬が付いた、黄金の兜。

まさか、あれって……。

「俺は戦士にして芸術家よ。泣き叫ぶ捕虜どもの骨をつかい、様々な作品を生み出していった。ダイン、お前が盗んだ《死面の兜》は、その中でも最高傑作だ」

「ゆ、許して」

 ボロボロと頬を伝い落ちる涙。

 その温かさを感じながら、ダインは懇願していた。

「も、もう、二度としませんから……」

「断る」

 大剣を、頭上に大きく振りかぶりながら冷たく笑う戦士。

「俺の作品に手を触れた者は、見るも無残な最期を遂げるが決まりよ」

「ね、姉ちゃん……」

 戦士を見上げたまま、ダインは硬直し、声を震わせる。

 つい先刻、姉と食事をしていたのが遠い日の出来事のように思えるのがとても奇妙で違和感があり――、無性に悲しかった。

 ぶぅん!!

 空を切る音を立てて、ダインの小さな頭を目がけて、無慈悲な落下を開始する大剣。

 その赤錆びた刃がダインの顔を真っ二つにする――、その直前だった。

「…………ッ!?」

その場に飛び込んできたのは、一陣の黒い旋風。

そこから撃ち放たれる、銀の一閃。

ギィン、と冷たく乾いた音を響かせ、大剣が大きく弾き飛ばされる。

「子どもが夜、一人で出歩いくと必ず面倒が起きる」

 ダインを庇うかのように、その目の前にサラリと落ちる、漆黒の外套の裾。

「姉上が悲しむようなことは避けるがいい」

「あ、あんた……?」

 仮面の旅人、ヴァロフェスだった。

 肩越しにダインを振り返り、感情のこもらない、冷淡な視線を送ってくる。

「な、なんで? なんで、あんたが……」

「そこで大人しく待っていろ」

 涙と鼻水で顔をグチャグチャにしているダインにヴァロフェスが短く命じた。

「カタは、私がつけてやる」

 そう言って、ヴァロフェスには手にした得物――、銀のステッキの先端を戦士に向かってつき付ける。

「さて。……今宵も狂い咲くとしようか」

 うぉおおおおおおおおおおおおっ!!

 獣のような咆哮をあげる、巨体の戦士。

 凍てつくような殺気をまとい、大剣を大上段に振りかざしながら、仮面の男に切りかかってゆく。

 断頭台の刃のごとき斬撃が、空を裂き、横薙ぎにヴァロフェスを襲う。

 しかし、仮面の男は、軸足を僅かにずらしただけでその一撃を回避。

勢いあまり、そこに立っていた樹木を真っ二つに切り飛ばす大剣。

 その隙を逃さず、ヴァロフェスは外套をはためかせ、全身を回転させながら、戦士の懐へと飛び込む。そして、気合いの声を発し、手にしたステッキを槍のように突き出して、敵の胴を深々と貫く。

 否――、貫いたかに見えた。

 次の瞬間、戦士の巨体は煙のように薄れ、霧散し、消えた。

ぬぅ、と唸り声を発しながら後ろへと飛び退くヴァロフェス。

その頭上で燃え上がったのは、青白い怪火だった。

「いいだろう……」

 凄まじいまでの怒気を孕んだ、戦士の声が響く。

「ダインよ、お前につけを払わすのはやめだ。その代わり――」

「逃げるかッ!!」

 一喝し、怪火に向かってステッキを投擲するヴァロフェス。

しかし、その一撃は怪火をすり抜け、近くの木の幹に深々と突き刺さった。

「そんなもので、この俺が滅ぼせるものかよッ!!」

 ゲラゲラと高笑いを残し、空を飛び去る怪火。

 ダインは呆然と、口を半開きにしてそれを見上げているしかなかった。

「なるほど。本体は別にある、か。……これは面倒だ」

 空を見上げたまま、無感動につぶやく仮面の男。

 それから、ダインを振り返り、冷たい声で問いかける。

「答えろ。今の《叫ぶ者》、お前と一体、どんな因縁がある?」

「さ、《叫ぶ者》? な、何だよ? それは?」

 精一杯強がってはみたものの、ダインの声は完全に泣き声だった。

「人であることに耐えきれず、人であることを売り飛ばした者どもだ」

声を低くし、ヴァロフェスが続ける。

「別段、珍しい連中ではない。どんな町や村にも住みついているが、それと気が付く者が少ないだけだ」

 何だよ?

 こいつ、さっきから何の話をしてるんだ?

 ダインには、仮面の男の言葉が一句たりとも理解できなかった。

「うわっ!?」

 強引に立ち上がらされ、ダインは悲鳴をあげた。

 掴まれた腕から伝わってくる、男のどす黒い感情に身を焼かれるような気がして。

「恐らく、お前は――、最近、何か、変わった品を手に入れたはずだ」

「……ッ!?」

 ドキッとして、顔を強張らせるダイン。

 慌てて目を反らすが、動揺は十分、相手に伝わってしまったようだ。

「やはり、そうか」

「…………」

「ならば、それを私に渡せ」

「なっ!?」

 思わず、ダインは目を剥いていた。

 カァーッと血が昇り、頭の後ろが熱くなってゆくのを感じた。

「何でだよッ!? なんで、あんたなんかにッ!? 関係ないだろッ!?」

「お前が手に入れたものは、この世にあっていいものではない」

 噛みつくような剣幕のダインにヴァロフェスは静かに言葉を続ける。

「どんな形をしているのであれ、それは恐るべき呪物だ。持ち主には、災いしかもたらさぬ。お前の、いや、お前の姉上のためだ。私に引き渡すがいい」

 スッと差し出されたヴァロフェスの片手。

 その手をしばらく見つめた後――、ハハッ、とダインは乾いた笑い声をたてる。

「何がおかしい?」

「分かったよ。あんた、さっきの化け物――、いや、化け物のふりをしていた男とグルだろ!?」

「……どういう意味だ?」

「とぼけんなよッ!!」

 ギラギラと目を輝かせながら、ダインはヴァロフェスに指を突きつける。

「俺を騙して、恩を売って、手なずけて!! 俺と姉ちゃんから幸せを奪い取って行く腹だったんだろ!? だけど、お生憎様だな!! あれは俺しか分からない場所に隠してるんだ!! 絶対に見つかりっこない!! ざまーみろ……」

「愚かな子どもよ、聞け」

 ダインの言葉を遮り、短くヴァロフェスが言った。

 相変わらずその口調は静かだったが、今までにはない、ドンと胃に堪えるような重々しい響きがあった。

「呪物は持ち主に災いを運ぶと言ったぞ。その災いがお前だけではなく、お前の大切な者にも破滅をもたらすことがなぜ理解できない?」

「…………」

 言葉につまり、ダインはグッと唇を噛みしめる。

 こんなヤツの言うことを信じちゃダメだ。

 どうせ、口から出まかせを言っているに決まっている……!!

「そうなれば、お前は生涯、己を呪いながら生きることになる。それが望みか?」

「う、うるさいっ!!」

 ほとんど悲鳴のような声で叫んで、ダインは後退りしていた。

「俺みたいなガキを苛めるのがそんなに楽しいのかよッ!! 死んじまえッ!!」

「待て」

 ヴァロフェスの制止する声も聞かず、ダインは走り始めていた。

 姉が待つ、我が家へと向かって。


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