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「ちょっ、ちょっと!? い、痛いってば!! 何、すんのさ!!」

 抗議の悲鳴をあげ――、リリスは表情を強張らせていた。

「…………」

「…………」

 黄昏時のぼんやりとした明りの中。

 リリスは黒ずくめの仮面の男――、ヴァロフェスと見つめ合っていた。

 な、何か話をしなきゃ……。

 無言のまま、リリスは焦っていた。

 だけど、何と言えば?

 あなたをお墓で見かけて、こっそりつけて来ましたとでも?

「おやおやぁ? どこかで見たけた小娘ちゃんじゃねぇか」

 足元から甲高い声が響いた。

 思わず後ずさったリリスの目に飛び込んだのは、燕尾服姿の木偶人形だった。

「あ、あんたは……」

「オルタンだ」

パチン、と片目を閉じて見せる木偶人形。

 どうやらウィンクのつもりらしい。

「男らしくて、カッコいい名前だろ? 何しろ――」

「なぜ、ここが分かった?」

 人形の言葉を遮るようにして、ヴァロフェスが尋ねた。

 静かだが、凄みのあるその口調にリリスはたじろいでしまう。

「それは……」

「あれま!! ヴァロフェス、お前、尾行されたのかよ!?」

 心底、意地の悪い声でオルタンが笑う。

「お前、ヤキが回ってんじゃねーの? よりにもよって、こんな小娘によぉ」

「こ、小娘?」

 ムッとしてリリスは言った。

「あたしはリリスだよ。小娘、じゃない」

「はいはい。小娘のリリスちゃん、な」

「黙れ、オルタン」

 ヴァロフェスが鋭い声で言った。

「私の名は――、もう、知っているな」

 そう言って、仮面の男は身を投げ出すようにして、安楽椅子に腰をおろす。

「それで? 何か用事でもあるのか?」

「う、うん。でも、その前に……」

 ふと思い出し、リリスはスカートのポケットから――、数日前、森で拾った貝殻の首飾りを取り出していた。

 その瞬間、ヴァロフェスが息を飲んだように思えた。

「それは……」

「やっぱり、あんたの落とし物だったんだね」

 頷きながらリリスは、男の手を取り、その掌に首飾りを乗せる。

「ずっと、気になっててさ。取っといてよかったよ」

「…………」

 暫くの間、ヴァロフェスは掌の中のものを見つめ、そっとそれを懐に納める。

 そして、それっきり黙り込んでしまう。

「あ、あのね……」

 気まずい雰囲気を払いのけようとリリスは口を切っていた。

「森であたし達のこと、助けてくれたよね? まだ、お礼も言ってなくて、それで……」

「礼を言われる筋合いはない」

 冷ややかな声で口を挟むヴァロフェス。

「お前達を救うことになったのは――、ただの結果だ」

「えっ? ……それって、どういう意味?」

「どうも、こうも、そのまんまだよ、小娘ちゃん」

 ケラケラとオルタンが笑った。

「こいつはな――、お前らを襲った連中の同類と年がら年中、殺し合ってるんだぜ? 何が面白いんだか知らねーケドよ」

「連中って」

 背筋が冷たくなるのを感じながら、リリスは言った。

「あの人の顔をした、狼みたいな怪物のこと?」

「やつらはその中でも最低最悪だ」

 ぼそり、とヴァロフェスが言った。

「その前に始末した者も醜悪だったが、単体であった分、まだマシだった……」

「ちょっ、ちょっと待って」

 目眩を覚え、リリスは遮っていた。

「あたし、あんた達が何を言ってるのか、全然、分かんない……」

「そりゃケッコウなこった」

 皮肉たっぷりな口調でオルタン。

「分からないほうが幸せだってこと、世の中には山ほどあるんだぜ。なぁ?」

「…………」

 木偶人形のおどけた口調に沈黙で応えるヴァロフェス。

「じゃあ――」

 次第にイライラしてくるのを覚えながら、リリスは言った。

「じゃあ、あんた達はいろいろ知ってるんだろうね? あたしなんかと違ってさ」

「ああ」

どうでもよさそうにヴァロフェスが答える。

「知っている。自ら望んだわけではないがな」

「だったら!」

ここぞとばかりにリリスは力を込めて言う。

「あんたの見識でこの村を助けて。ここの人達、今、大変なんだから」

 リリスは村の子供たちが次々と姿を消していることを話した。

そして、村の責任者でもあるルー夫人がその事で深く心を痛めていることも。

「だから、お願い。あんたならきっと、あたし達を助けてくれたみたいに――」

 ククッ……。

 リリスの熱弁は、ヴァロフェスの喉の奥で嗤うような声に遮られた。

 驚き、目を見開くリリスの前で、ヴァロフェスは肩を震わせ、声をあげて笑い始める。

 何の感情もこもらない、冷たい笑い声だった。

減らず口を叩いていたオルタンも、死んだように沈黙している。

「な、何がおかしいの?」

「いや、別に……」

 ピタ、と笑うのを止めるヴァロフェス。

「知り合いにお前とよく似た娘がいたことを思い出した。……外見だけではない。お人好しの愚か者であるところまで同じだとはな」

「なっ……!!」

カーッ、とリリスは耳まで顔が熱くなってゆくのを感じた。

怒りと恥ずかしさに思わず、握りしめた拳に力がこもる。

「その辺にしておいたほうがいいぜ、お嬢ちゃん」

 オルタンが言った。

 先程とは違い、驚くほど真摯な口調だった。

「親切で言ってやる。こいつ――、ヴァロフェスみたいなやつとは関わるな。こいつが出入りするような土地に長居するのもやめておけ。関係もないのにどんな貧乏くじを引かされるか分かったもんじゃねえぞ」

「関係ない? そんな言い方、ないでしょ」

 カチンと来てリリスは言い返す。

「おやっさん、いつも言ってるよ? この世で起きることに無関係でいられる人なんか一人もいないって」

 食い下がりながら、リリスはルー夫人のことを思い浮かべる。

 どこの馬の骨とも知らないような旅芸人の娘を失った自分の子どもと重ね、優しく抱きしめてくれた気の毒な女の人。

 あんな優しい人がこれ以上、苦しむなんて許せない。

 そんな世界は間違っている。

「つくづく、幸せな娘だな」

 冷ややかな眼差しでリリスを見返しながらヴァロフェスが言った。

「大切に育てられているらしい。過去はどうあれ、な」

 何だよ、こいつ!!

 今度こそ、リリスは本当に頭に血が昇った。

 鼻息荒く、椅子に身を横たえるヴァロフェスに近づき、その仮面に向かって手を伸ばす。

「やめておけ」

 煩わしそうにリリスの手をよけながら、ヴァロフェスが低く唸る。

「無礼な真似は為にならぬぞ……」

「無礼!? それはあんたのほうでしょ!! 人が真剣に話をしているのに――、仮面取れ!!」

 あまりの悔しさに、リリスは目尻に涙さえ浮かべていた。

この人を見下したような態度を取り、知ったような口を聞く男がどんな顔をしているのか。確かめねば気が済まなかった。

と――、ようやく、リリスの手が鴉の仮面を掴んだ。

 会心の笑みを浮かべ、そのまま、男の顔から仮面を引きはがそうとする。

しかし――

「あ、あれっ?」

 両手に渾身の力を込めながら、リリスは首を傾げていた。

「な、なんで? 外れない……?」

「無駄なことだ」

苦痛に耐えるような声でヴァロフェスが言った。

「自分でも幾度となく試した。何百回、否、何万回とな」

「はぁ? 何を訳の分からないことを」

 言ってんのさ、と返そうとして――、リリスは悲鳴をあげ、のけ反っていた。

 鴉を象ったヴァロフェスの仮面から、立ち上っていたのは青い煙のような何か。

 それは獲物に絡みつく蛇のように厭らしくのたうち、消えた。

「な、何? い、今の?」

 言葉では言い表せないようなおぞましさにリリスは声を震わせてしまう。

「あ、あんた、一体、何者なの?」

「……さあな。私は自分の素顔すら知らぬ」

肩をすくめ、白けたような口調でヴァロフェスが言う。

「何しろ、この仮面とは生まれた時からの付き合いだ。一度も外れたことはない」

「…………ッ!?」

「逆にこちらが尋ねたい。私は何者だと思う? やはり、化け物か?」

 自嘲するようなヴァロフェスの問いかけ。

必死になってリリスは首を横に振る。

しかし、その両膝は、カタカタとどうしようもないほど震えていた。

「私の母は、生まれたての赤子のおぞましい姿を見て正気を失った。祖父は、その赤子を魔物と呼び、決して側には近づけなかった。他の人間も同様だ。だが――、」

 言葉を切る、ヴァロフェス。

 リリスは周囲の空気が冷たく凍てついてゆくのを感じた。

「たった一人、この仮面に触れた娘がいた。その娘は死んだ。殺されたのだ。虫けらも同然にな」

 ギリッ、と奥歯を噛みしめるヴァロフェスにリリスは身を竦ませてしまう。

 そんな彼女に仮面の男は扉のほうを指差し、言った。

「もう、帰るがいい」

「えっ?」

「じきに日が暮れる。その前に家族の元へ戻れ」

「で、でも……」

「おぞましいものを見たくなければ、早々にこの村を去ることだ」

「…………」

 リリスはガックリと項垂れていた。

 よくよく考えてみれば――、自分の行動は行き当たりばったりで、酷く不躾なものだった。

 唇を噛みしめ、リリスが踵を返そうとした時、

「待て」短く呼びかけるヴァロフェス。

「届け物をしてくれた礼がまだ済んでいなかったな」

 そう言いながら、ヴァロフェスが外套の下から取り出したのは、小さな石の板。

 不可思議な文様がびっしりと刻み込まれた、その石板を仮面の男は、有無を言わさず、リリスの掌に押しつける。

「え、えっと、これは……?」

「魔除けだ」首を傾げるリリスにヴァロフェスは淡白にそう告げる。

「地霊の加護を受けた、正真正銘、本物だ。……肌身離さず持っておけ」

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