夕焼けが背中を照らし渡り烏が頭上で聴きなれた風に鳴いた。
踏切が前方で降り私達は二人で電車の通過を待っている。
「どぉするべきかなあぁ」
中村くんは大袈裟にため息をついてみせた。
「ホワイトデー、何を返したらあいつは喜んでくれると思うー?」
私は小さい声量を遮断機の音にかき消されぬよう、これでもかと上げて訊いた。
「村雨さんからは、何を貰ったの?」
彼は首を傾げ、私に説明するために唸って記憶を呼び起こす。
「ここだけの話、値札がついてたから二千七百円だったんだ」
「……じゃあ、その値段くらいのチョコを買ってあげればいいんじゃない?」
「どうだかなぁ」
中村くんは気難しそうな表情を作り、逡巡する。
「去年もな、俺あいつからチョコ貰ったんだ」
彼は語り出した。
「それで今みたいに同じくらいの値段のものを調べて、ホワイトデーはそれを渡したんだよ。でも、なんか面白くなさそうだったんだよな」
「なるほど……」
私は相槌を打った。
カンカン、カンカンと赤いランプが左右に動いて、遠くで何かが近づく音がする。地面の小石が微かに振動して、何かの到来を私に知らせると同時に、中村くんの直面した問題が煩雑としていることを把握した。
「中村くんはどちらかと云うと、村雨さんには喜んでもらいたいんだよね?」
私は出来るだけお腹から声を捻り出した。
「もちろんだ」と中村くんは言い切った。
「じゃあいっそのことさ」
私は視線を彼に向げ、声を張り上げる。
「手作りしてみたらどうかな? ちょっとだけ考えてみたんだけど、女の子って物事の価値より、それに込められた感情を! 特別視しているような! 部分があるから!」
間に合わなかった。
電車が右から左へ空気を押しのけながら素早く通り過ぎた。そのせいで私の静かな嗄声がかき消されているような感じが、当事者ながらとても気掛かりになり、結果的に私は後半にかけて声を思いのほか張り上げていた。
「どうかな?」
その成果があったのか、中村くんは得心がいった顔をしていた。
「……確かにな。要はあれだろ? 形而上的か形而下的でいうと、女の子は形而上的の方が好ましいって訳だよな」
中村はきっと最近覚えたであろう言葉を使って、私の言葉を言い換えた。
「言い方はすこしおかしいけど、そういうことだとおもう」
私はオブラートに包みながらもそれを肯定した。
「なるほどな……いやあ、お前は本当にものの言語化がうまいな! 将来は国語の先生とかになるのか?」
中村くんは調子づいて私を追従した。
私は息を短く吸って両手を激しく振る。
「私は、そういう感じじゃないよ。声も、小さいし、背も低い。でも、なんて言うんだろうね」
電車が最後まで通過して踏切が重々しく持ち上がり、カンカンという音がにわかに霧散した。そうして世界は唐突に、電車の通過という現象を忘れたかのようにゼンマイが回る。車は踏切を抜け、遠くで烏の鳴き声が夕焼けに溶けて薄れていった。
「私はただ怖いんだと思う」
「怖い?」
踏切を渡り切ったところでぽつりと言った。
中村くんはその場で止まり、その言葉の意味を考えてくれる。
私は止まった中村くんに振り返ると、カメラを持ち上げた。
上がり切った踏切を背景に、黒ゴマのような烏が中村の耳の上に三羽飛んでいる。空は一色橙色で、太陽は静かに闇に身を落としている。校舎が遠くに見え、山の奥で木々が揺れる様子がありありと写真に写る。写真の撮影と共に、私はその言語化を終える。
「私は、私を構成した全てが失われることが怖い、のかも」
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