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6 30/2003

 私が教室で休み時間を過ごしていると、村雨が前の席に反対向きに座って私の顔を見た。

「こんにちは」

 私がはきはき言うと、彼女は同じ言葉をはにかんだ笑みで反射した。

「ホワイトデーだよね」

 村雨は一応の確認をする。

 そして彼女はバッグから物を取り出し私の前にころんと置いた。リボンの装飾が施された可愛らしいものだった。

「お返し?」

 私が彼女の瞳を見て言うと、彼女の黄色がかった目がそれを肯定した。

 彼女はどちらかと言うこういった事に関して、元気を突き通すというのが下手だ。だから、照れながら、ぶっきらぼうな感じになる。

 無論、決して彼女に対して不快に感じることはなにもない。何故なら、彼女の一挙手一投足からは紅が伺えるからだ。私はそういう彼女を見る度に、微笑ましい気持ちになる。

 私はお礼を云って箱を受け取る。持ち上げるとき、箱の中身がころころと転がらないことから、これは一口で食べられる手ごろな物ではないと勝手に想像する。その箱を私はバッグに仕舞って前を向くと、既に村雨から紅は消えている。

「ねえねえ、写真見せてよ」

 彼女は手を猫の様に招き、私に頼んだ。

 私は二つ返事で彼女にカメラを手渡す。

 彼女は写真のアイコンを選択し表示設定を変え、俯瞰で何枚も閲覧できるようにしてから、彼女はとある人物が写っている写真を目で追いながら探す。

 彼女は中村くんが写っている写真を見つけると、口元が綻ぶ。その黄色い瞳は、恋する乙女のそれである。

「たまに見せてもらう度に思っていたんだけど」

 彼女は画面から目を離さずに云う。

「一枚目が去年の夏だよね? もしかしてこの日にこのカメラ買ったの?」

 村雨はあどけない顔立ちで私を覗き込む。

「元々は、お父さんのカメラだったんだ」

 私は一枚目、あのトロッコ体験を思い出しながら言葉を紡ぐ。

「そうだったんだ。へえ。確かにデジタルなのに、少し古いもんね」

 私は頷く。

「ふうん」と彼女は漏らしカメラの矢印ボタンを押し込む。

 中村が写っている写真を見つけると彼女の指がボタンから離れる。

 彼女の指はとても丁寧に整えられている。それは村雨家がそれなりに清潔でよく出来た家庭であることを容易に思わせる。

「告白はしたんだっけ?」

 私が呟くと、彼女は腑抜けた声を出す。否。

「どうしてしないの?」

 純粋な質問であった。彼女は狼狽える。

「……色々あるのよ色々。進学先だとか私の個人的問題だとかね」

「個人的な問題?」

 聞き返すと、村雨は随分重いため息を腹の底から口へ移動させる。

「勉強と将来」

「……確かに二年生になったから、そろそろ考え始める時期だね」

「そういうあんたは決まってるの?」

 カメラを弄りながら、彼女は訊いてくる。

「私は決めてないよ」

「親から何か言われたりしないの? 社会に出てから困るのはお前だ! 勉強勉強勉強! 何やってるんですか! 勉強してください! っていう動画とか、見せてこない?」

「言われないし見せてもこないよ」

 私はえくぼを作って微笑んだ。

「苦労するかもしれないのに?」

 最後のその一言を発言したとき、彼女のトーンが下がった感じがした。説明することは難しいが、私は直感的に、その言葉が村雨の中でよく渦巻いている呪詛のようなものであると察しがついた。

「どう苦労するのかは人それぞれだと思うよ」

 私は窓から街を横目に、頬杖ついて語りだす。

 その景色は、私と村雨と中村の過ごした時間の残り香が、仄かに漂っている気がした。

「そういう体験談は必ずしも他人にも当てはまる訳ではない。確かに多くの場合、そうした方がいいことはよく分かっているつもりだけど、私は社会以外の場所でも野垂れ死ぬような国じゃないって日本を解釈してるから」

 私がこうして長い事を鷹揚と話せるようになったのは、つい最近の事である。

「じゃあ勉強とかはしないの?」

「するよ。嫌いじゃないから」私は正直に言う。

「うらやま」

 村雨はいつの間にかカメラを私の前に置き、机に顔をうずめて両腕を伸ばした。

 そして私の長い髪を、勝手に伸ばした両手で弄りだす。

 いつもの事だからと私はそれを許してふと時計を見る。休み時間がもう殆ど残されていなかった。

 こんな時間がずっと続けばいいのに。それが、私の当時の脳内口癖だった。

 ふと、外の電柱にかけられた電線の上に鳥が乗った。その鳥の影が、面白いことに村雨の突っ伏した後頭部に降り立つ。私は何だか面白くなって目の前に置いてあるカメラを持って、その写真を撮影した。

 それと同時にチャイムが鳴った。傲然な態度が目立つ体育の先生が部屋に入ってきて、こう云ったのを覚えている。

「転校生を紹介する」

 そうやって入って来た男の子の名は、村瀬友(むらせとも)と云った。

 私は何故か、自己紹介している彼と何度か目が合う事になる。


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