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7 32/2003

 やあ、と友くんがおっとりとした顔で右手を上げて近づいてくる。

「おはよう、村瀬くん」私が言う。

「おはよう」友くんは首を傾げて云う。

 友くんは私が座っていた階段の隣に腰を下ろす。一応、それなりのエチケットなのかひと一人分の空間を作っていた。私はそういう友くんの気遣いに気が付くと感心した。

「こんなところで会うなんて、奇遇だね」と友くんは云いながらお弁当を広げる。

 私は軽くそれを肯定して自分もお弁当を広げる。確か、私のお弁当はとても愛らしいクマが描かれたピンク色の弁当だった気がする。でも、最近はそのピンク色が女の子らしすぎるなとも思っていた。そう言う事を考えていたものだから、たまたま目に入った友くんのお弁当に意識が持って行かれた。

「村瀬くん、男の子なのにピンク色のお弁当なのね。珍しい」

 私が意外そうに呟くと、友くんは驚いた顔になった。

「うふふ。確かに珍しいよね。教室でこのお弁当を使っていると、ほら、うるさい男子とかが」

 名前は憶えていないけど、そういうどうでもいいことで騒ぎ立てる男子が二、三人いたことを思い出す。

「私もピンク色だし、いいと思うよ」

「でも君は女の子じゃないか」

 私はかぶりを振る。

「そうだけど、でも最近は何となく、ピンク色が自分に合っていない気がするの」

「その感覚はよくわかるよ」友くんは自分のお弁当を見下ろす「僕のこのピンク色の弁当は単純に、一つ上のお姉ちゃんのおさがりだからなんだ。本当は僕だって黒か青がいいんだけど、うちはお金がないから」

 私は相槌を打つ。

「でも僕だってね」

 友くんは前方を見る。この校舎の階段には、外が見られる少し大き目な窓があった。その先にある街を、友くんは薄い目で眺めているように感じた。

「子供のころはピンク色のお弁当に憧れていたんだ」

「そうなの?」

「子供ながら、回りの友達と違うっていうのは特別に見えていたんだよ」

「特別?」

「そう。特別って嬉しいと思わない?」

 私は少し考えてから、頭を縦に振る。

 特別。その言葉は一見したとき、特に喜々としたものを感じなかった。が、父のカメラが自分にとっての特別に当たると気が付いてからは、確かにと思い始めた。

「そういえば――」友くんは私の方を見る「僕って最近クラスに来たからさ。あまり友人関係? とか知らないんだ」

 彼は覚束ない言葉を積み上げている。

「うん」

 私はこくりと頷く。

「君は誰と仲がいいの?」

「私、友達がいないの」

「嘘だ」友くんは目を揺らして微笑する「いなさそうな子にはこういう質問しないように気を付けていたのに」

 友くんは肩を落とす。それを口に出さなければ素晴らしい配慮だと思った。

「ふふ、嘘だよ」私は可笑しく笑って諧謔をもてあそんだ。

「やっぱり」私が訂正すると、友くんは安心したように表情を和らげた。

「村雨さんと中村くんとは特別に仲がいいよ。非行に走るくらい」

 友くんは吃驚した。

「……非行って煙草とか?」

「想像に任せるよ」

 試しに蠱惑的に微笑んでみると、友くんは「もう」とほっぺを膨らませた。

 今思うと、この頃からやっぱり私は、彼の事が気になっていたらしい。どうしてか説明するにはあまりに記憶が欠落しているけど、少なくとも私と彼の周波数がとても近い所にある感じはしていた。

「あ、ちょうどいいな。村雨さんと中村くん二人と仲いいなら聞きたいんだけど」

「なぁに?」と私は箸でトマトを口の中に入れた時に話しかけられる。

「あの二人って付き合っているの?」

 トマトを吹き出しそうになった。酸っぱいトマトがなおの事、口内で広がった。

「……そう見える?」

 友くんは頷いた。私はまた可笑しくて笑った。

「あれで付き合っていないんだよ」

 と私は真相を暴露すると、友くんは洒脱な顔を浮かべて。

「だと思った。いつもいがみあっているもんね」

 楽しそうににっと口角を吊り上げた。

 村雨と中村くんが次の日に告白をしあって付き合い始めたことは、そのときの私や友くんには知り得ない事だった。

 時間が経ってお昼休憩が終わりかけるとき、私は先に食べ終わってから階段を降りて振り返った。

 薄く青みがかった階段の上から数えて四段目に座る友くんを見て、私はカメラを構えた。

 友くんはやっぱりどこか控え目だったから、彼はポーズなどをとらず、おおらかな彼をそのまま続行してくれた。

 だからそのとき撮影できた写真は、まるで私がはなからその場所にいなかったような雰囲気を残していた。そして青みがかった光を受けながら、自然体でいてくれた友くんに、私は特別な何かを抱いた気がする。

 それとも、その時に撮れた写真が絢爛さもないのに、際立って視えたからなのか。



 *



 写真を捲れば捲るほど、胸の当たりがじんわりと熱くなった。

 自分の擦れるような息遣いが耳に届いていた。

 カメラから目を逸らして手をついた。

 白い砂がふんわりと浮かんだ。

 頭の奥がまだズキズキと痛い。記憶の奥底で、何かが蠢いている。私は頭を両手で抱えた。そしてお腹から喉を焦がすような叫びをする。叫びはあまり響かない。私の絶叫は、耳の中だけで完結した。

 静かの海。

 私は月のそう呼ばれている場所にいることを思い出す。そして私は割れるような叫びを終えると、涙が破竹の勢いで溢れてきた。身を支配する大きな情動でいっぱいに満たされて動けなくなった。

 でも私はそうしないうちに、朧げな視界でもう一度、カメラを触る事になる。


 取り戻さなければ。

 それが、私の心の輪郭にぺたりと張り付いた裂帛だった。


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