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9 69/2003

「お待たせしましたっ、きな粉クリームかき氷、トッピングできな粉クリーム増量です~」

 大きいかき氷を置いた可愛らしい店員から向けられる、愛想のいい撫で声に少しくらくらした。

 気まずくなって私は、スマホでかき氷を撮影する村雨に視線を移す。

「……お、大きいね」

「でしょ?」

 私の言葉に、村雨はわんぱくに笑った。

 村雨は栗のかき氷を注文しており、木のスプーンでさっさと口に運び始めた。

 私もそれを真似るようにかき氷を口に運び、きな粉クリームのほんのりとした甘さが癖になりながら、だいたい十分もしないうちに食べ終わってしまった。

「食べるの早いね?」と村雨は私をしげしげ見つめて呟く。

「きな粉クリームが美味しくて」私は照れくさそうに首をすくめた。

「前々から早食いだよね」

「そうかな?」

「お弁当食べるの早すぎて、村瀬がいじけてたことがあったくらいだよ」

 思わぬところで思わぬ名前が出て来たので少し驚いた。

「村瀬くんが?」

 村雨は私の問いに答えず、かき氷を私より五分増しで完食した。

 店ののれんを潜ると、あたりは小雨の影響か湿気を放っている。

「うわ、雨だ」

 村雨は気難しい顔をした。

「傘ならあるよ」

 私は折り畳み傘を村雨に差し出した。

 村雨はそれを受け取って、私と相合傘をした。

 そして雨の街へと歩を進める。寒雨は傘をリズミカルに鳴らして、肌を刺すような風が私と村雨の間を無遠慮に通り抜けた。

「そういえば」私が口を開く「中村くんは会社でどう?」

「全然ダメ」

 村雨は困ったように息を落とす。

「コンピューターがダメでね。苦戦しているみたいだよ」

「やっぱりそうなんだ」

 私は中村くんがそういう事務作業が得意ではないと、ふんわり知っていた。

「そういえば、結婚とかは考えていないの?」私は尋ねる。

「まだだよ。私はしたいと思っているけど」村雨は信号で止まって呟く「でも私も彼も安定していないしね。お金とかを考え始めると、ほら」

 私は相手が村雨なので、軽く「あーね」と相槌を打った。

 中村くんが高卒で会社員、村雨も同じく高卒で焼き肉店の店員をしているらしい。中村くんが機械系に疎いのはイメージ通りだし、村雨みたいな勝気な子が焼き肉店で働いているのもイメージにあっていた。そして私は二人の関係も知っているし、よく喧嘩したりしているのを愚痴られていた。

 私としてはこんな愛嬌のない自分に構ってくれるだけで、二人の事が好きだった。

「そういえば聞いた?」

 村雨の言である。

「村瀬の野郎、大学で凄い研究を発表して褒められているらしいよ」

 それは初耳だった。

「そうなんだ」

「聞いていなかったの?」

「うん」

 村雨はやれやれと手首を傾げて頭を振る。

「村瀬の野郎とそういう話はしないんだ?」

「そうだね。基本的に私から何か聞く事はないよ。彼もあまり自慢みたいなことも言わないから」

「じゃあいつもはどんな会話をしているの? いつもメッセで話しているんでしょ?」

 目の前の音響信号が鳴り始めて青い人型模様が点滅した。

 村雨が歩き出して私はそれに着いていった。スーツを着た男性とオシャレをした女性が反対側から歩いてきて、すれ違っていく。

「日常の話が多いよ」

 私は渡り切ってから答えた。

「あっちが話を振ってくるからそれに答えたり、悩みを聞いたりしている」

「あんた、それじゃあ先は長そうだね」

 村雨が肩をすくめて冷笑してから「何でもいいけどさ」と締める。

 ふと村雨は遠い場所をじいっと眺め始めた。

 私は不思議に思い、村雨が見ている場所を追うも、どれだけ探しても村雨が凝視しそうなものはなかった。

「あんたも一人は寂しいんでしょ。私みたいな友達は大切にしなよ?」

 村雨はとつぜん、悄然と呟いた。

 私は理解した。彼女の現状を考えたときにそれはただの独語ではなく、裏付けされた鬼胎を抱いていたのだ。彼女はいま、自分の親と折り合いが悪い。

「そうだね。私にとって村雨は一生の友達だよ」

 私は感傷に包まれた村雨に向かって、心から零れ落ちた『優しさ』という錆に従う事にした。

 雨は降り続いている。その雨は、人の心を守るためにある外殻をぺりぺりと剥がしていき、人をこうも侘しく虚脱な気持ちにさせてしまう。私は雨が好きだ。雨は、優しさが零れ落ちて人が人を想う、現象だと思うから。

 建物の下でカメラを構えると、村雨は黄色い折り畳み傘を持って街灯の下に立ってくれた。それを撮影すると、その写真からは滲んだ哀憐と、くすぐったい優しさの感触が記録されていた。

 建物の壁を伝って来た寒雨が私の右肩に落ちた。



 *


 記憶の乱れ。


 *



 20時04分

「聞いたよ、研究の発表が凄かったって」

「え、本当? 誰から聞いたの?」

「村雨から」

「そうだったんだ」

「どういうことをしたの?」

「ほら、いま巷を騒がしている奴だよ」

「小惑星?」

「うん」

「初めて知った。村瀬くんは凄いんだね」

「そう言われると嬉しいし頼もしいよ。ありがとう」


 20時10分

「そういえば聞きたいんだけど」

「どうしたの?」

「いつかの時、僕が君にどうして写真を撮るのか聞いた事があったと思うんだ」

「……憶えていないかも?」

「仕方ないね。ずいぶん前の事だから」


 20時15分

「遡上しても無かった」

「メッセージでのやり取りじゃないからね。ごめん、言い忘れていた」

「こちらこそ、記憶になくて申し訳ない」

 お辞儀している兎のスタンプ。お辞儀返ししている犬のスタンプ。

「それでね、確か君はこう言っていたんだ。写真家になってみたい」

「あ。言った覚えがあるかも?」

「それは良かった。それで、今日たまたまそう言っていたことを思い出したんだけど、まだそのつもりってあるの?」

「どうだろう。興味はあるよ。……確かに他の趣味よりも、写真は何か特別に興味がある気がする」

「いつもカメラを持ち歩いているもんね」

「うん。お父さんが写真家だったから」

「そっか。お父さんからカメラを受け継いだんだったよね?」

 「うん!」と肯定している兎のスタンプ。「なるほど」と考えている犬のスタンプ。

「いいじゃん。やってみたら?」

「でも、あまり自信はないよ。私自分の写真を他の人に見せたことがないし」

「村雨さんとかには見せるんだよね?」

「うん。昔から見せてって言われるから」

「そういえば、僕もあまり見せてもらったことないな」

「村瀬くんはダメだよ」

「ありゃ、どうして?」

「被写体の人にはあまり見せたくない、かも。村雨は昔から見せているから、抵抗ないけど」

「訳を聞いても?」

「恥ずかしいだけだよ。ただそれだけ」

「それじゃあ被写体にしていない友達はいる?」

「いるよ。バイトの先輩とか」

「いいね。見せてみなよ。それで好評だったら目指してみるといいと思う」

「私に出来るかな?」

「出来る出来ないを決めるのは自分だ。というのは君の言葉だったよね?」

「そうだったね。頑張ってみる」

「うん。今日は話しかけてくれてありがとう。そろそろ他の事をやるよ」

「こちらこそ、思い出させてくれてありがとう」

 「がんばれ」と言っている犬のスタンプ。

 「ありがとう」とお辞儀している兎のスタンプ。


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