「お待たせしましたっ、きな粉クリームかき氷、トッピングできな粉クリーム増量です~」
大きいかき氷を置いた可愛らしい店員から向けられる、愛想のいい撫で声に少しくらくらした。
気まずくなって私は、スマホでかき氷を撮影する村雨に視線を移す。
「……お、大きいね」
「でしょ?」
私の言葉に、村雨はわんぱくに笑った。
村雨は栗のかき氷を注文しており、木のスプーンでさっさと口に運び始めた。
私もそれを真似るようにかき氷を口に運び、きな粉クリームのほんのりとした甘さが癖になりながら、だいたい十分もしないうちに食べ終わってしまった。
「食べるの早いね?」と村雨は私をしげしげ見つめて呟く。
「きな粉クリームが美味しくて」私は照れくさそうに首をすくめた。
「前々から早食いだよね」
「そうかな?」
「お弁当食べるの早すぎて、村瀬がいじけてたことがあったくらいだよ」
思わぬところで思わぬ名前が出て来たので少し驚いた。
「村瀬くんが?」
村雨は私の問いに答えず、かき氷を私より五分増しで完食した。
店ののれんを潜ると、あたりは小雨の影響か湿気を放っている。
「うわ、雨だ」
村雨は気難しい顔をした。
「傘ならあるよ」
私は折り畳み傘を村雨に差し出した。
村雨はそれを受け取って、私と相合傘をした。
そして雨の街へと歩を進める。寒雨は傘をリズミカルに鳴らして、肌を刺すような風が私と村雨の間を無遠慮に通り抜けた。
「そういえば」私が口を開く「中村くんは会社でどう?」
「全然ダメ」
村雨は困ったように息を落とす。
「コンピューターがダメでね。苦戦しているみたいだよ」
「やっぱりそうなんだ」
私は中村くんがそういう事務作業が得意ではないと、ふんわり知っていた。
「そういえば、結婚とかは考えていないの?」私は尋ねる。
「まだだよ。私はしたいと思っているけど」村雨は信号で止まって呟く「でも私も彼も安定していないしね。お金とかを考え始めると、ほら」
私は相手が村雨なので、軽く「あーね」と相槌を打った。
中村くんが高卒で会社員、村雨も同じく高卒で焼き肉店の店員をしているらしい。中村くんが機械系に疎いのはイメージ通りだし、村雨みたいな勝気な子が焼き肉店で働いているのもイメージにあっていた。そして私は二人の関係も知っているし、よく喧嘩したりしているのを愚痴られていた。
私としてはこんな愛嬌のない自分に構ってくれるだけで、二人の事が好きだった。
「そういえば聞いた?」
村雨の言である。
「村瀬の野郎、大学で凄い研究を発表して褒められているらしいよ」
それは初耳だった。
「そうなんだ」
「聞いていなかったの?」
「うん」
村雨はやれやれと手首を傾げて頭を振る。
「村瀬の野郎とそういう話はしないんだ?」
「そうだね。基本的に私から何か聞く事はないよ。彼もあまり自慢みたいなことも言わないから」
「じゃあいつもはどんな会話をしているの? いつもメッセで話しているんでしょ?」
目の前の音響信号が鳴り始めて青い人型模様が点滅した。
村雨が歩き出して私はそれに着いていった。スーツを着た男性とオシャレをした女性が反対側から歩いてきて、すれ違っていく。
「日常の話が多いよ」
私は渡り切ってから答えた。
「あっちが話を振ってくるからそれに答えたり、悩みを聞いたりしている」
「あんた、それじゃあ先は長そうだね」
村雨が肩をすくめて冷笑してから「何でもいいけどさ」と締める。
ふと村雨は遠い場所をじいっと眺め始めた。
私は不思議に思い、村雨が見ている場所を追うも、どれだけ探しても村雨が凝視しそうなものはなかった。
「あんたも一人は寂しいんでしょ。私みたいな友達は大切にしなよ?」
村雨はとつぜん、悄然と呟いた。
私は理解した。彼女の現状を考えたときにそれはただの独語ではなく、裏付けされた鬼胎を抱いていたのだ。彼女はいま、自分の親と折り合いが悪い。
「そうだね。私にとって村雨は一生の友達だよ」
私は感傷に包まれた村雨に向かって、心から零れ落ちた『優しさ』という錆に従う事にした。
雨は降り続いている。その雨は、人の心を守るためにある外殻をぺりぺりと剥がしていき、人をこうも侘しく虚脱な気持ちにさせてしまう。私は雨が好きだ。雨は、優しさが零れ落ちて人が人を想う、現象だと思うから。
建物の下でカメラを構えると、村雨は黄色い折り畳み傘を持って街灯の下に立ってくれた。それを撮影すると、その写真からは滲んだ哀憐と、くすぐったい優しさの感触が記録されていた。
建物の壁を伝って来た寒雨が私の右肩に落ちた。
*
記憶の乱れ。
*
20時04分
「聞いたよ、研究の発表が凄かったって」
「え、本当? 誰から聞いたの?」
「村雨から」
「そうだったんだ」
「どういうことをしたの?」
「ほら、いま巷を騒がしている奴だよ」
「小惑星?」
「うん」
「初めて知った。村瀬くんは凄いんだね」
「そう言われると嬉しいし頼もしいよ。ありがとう」
20時10分
「そういえば聞きたいんだけど」
「どうしたの?」
「いつかの時、僕が君にどうして写真を撮るのか聞いた事があったと思うんだ」
「……憶えていないかも?」
「仕方ないね。ずいぶん前の事だから」
20時15分
「遡上しても無かった」
「メッセージでのやり取りじゃないからね。ごめん、言い忘れていた」
「こちらこそ、記憶になくて申し訳ない」
お辞儀している兎のスタンプ。お辞儀返ししている犬のスタンプ。
「それでね、確か君はこう言っていたんだ。写真家になってみたい」
「あ。言った覚えがあるかも?」
「それは良かった。それで、今日たまたまそう言っていたことを思い出したんだけど、まだそのつもりってあるの?」
「どうだろう。興味はあるよ。……確かに他の趣味よりも、写真は何か特別に興味がある気がする」
「いつもカメラを持ち歩いているもんね」
「うん。お父さんが写真家だったから」
「そっか。お父さんからカメラを受け継いだんだったよね?」
「うん!」と肯定している兎のスタンプ。「なるほど」と考えている犬のスタンプ。
「いいじゃん。やってみたら?」
「でも、あまり自信はないよ。私自分の写真を他の人に見せたことがないし」
「村雨さんとかには見せるんだよね?」
「うん。昔から見せてって言われるから」
「そういえば、僕もあまり見せてもらったことないな」
「村瀬くんはダメだよ」
「ありゃ、どうして?」
「被写体の人にはあまり見せたくない、かも。村雨は昔から見せているから、抵抗ないけど」
「訳を聞いても?」
「恥ずかしいだけだよ。ただそれだけ」
「それじゃあ被写体にしていない友達はいる?」
「いるよ。バイトの先輩とか」
「いいね。見せてみなよ。それで好評だったら目指してみるといいと思う」
「私に出来るかな?」
「出来る出来ないを決めるのは自分だ。というのは君の言葉だったよね?」
「そうだったね。頑張ってみる」
「うん。今日は話しかけてくれてありがとう。そろそろ他の事をやるよ」
「こちらこそ、思い出させてくれてありがとう」
「がんばれ」と言っている犬のスタンプ。
「ありがとう」とお辞儀している兎のスタンプ。